海辺の風景

海野さだゆきブログ

高齢者ドラマー計画その12 習いに行かないの?

独学でやるつもりなのかと言えば違うのです。単にレッスン代を残すの忘れてしまっただけです。はい。なーにしろドラムのあれやこれやを買うのが楽しくて、気が付いたら予算を大幅に超過していまして、レッスンのためのお金がなくなってました。あははは。

 

だって楽しかったですよ、ああこれがdwかあ、とか自分のものとしてみると全然違いますから。買い物が楽しかったのはまずかったですね。。。。でもやっぱり自分のものにしないと微に入り細に入り確かめられませんからね。。。。

 

独習するはめになってわかったことは少なくないです。予想はしていましてけど、要するに、ベースの時もそうだったのですけど、体のことに関してひとつの答えというものはない、ということです。

 

もうひとつ、これは当たり前すぎるかもしれませんけど、職業としてやることと趣味としてやることは別のものになる、ということです。

 

みなさんだって、仕事の上ではその道のプロですよね、そのプロからみて「おいおいおい」っていうことはあると思うのです。プロってシステムですよね。前提としてシステムをいかに使いこなすかってのがあると思うのです。でもプロじゃない人たちが取り組むと、まず「システム抜き」って無理ゲーなんですよね。

 

音楽の分野でも同じだと思うのです。プロの人はシステムを前提としています。それを持たない趣味の人間はプロの人とは違う方向で進まざるを得ないし、それでいいのだと思うのです。

 

僕はとっくに引退していますけど、もとプロだった分野でアマチュアの方々が色々と言ったりやったりしていることをみると「それ無理ゲーだよ」って思います。だって、僕らはチーム、組織力を駆使できましたからね、予算規模も全然違うし、、、、

 

で、趣味のドラムでも僕は同じことを感じました。

 

技術?なんのための技術?だって「顧客の要望」なんてないし、、、、納期もないのになぜ「早く」やる必要があるの?「完パケ」なんてゴールなんてないし、、、、

 

依頼主も納期も完成形提示もないのに、それを前提とした技術とか、、、、関係ないじゃん、、、、

 

ドラムで言えば、グリップで分かりました。色々な人が色々なグリップを提示しています。人指し指と親指だの中指と親指だの、、、、

 

でも演奏の動画を見ていますと、演奏中にグリップが変化自在なんですね、皆さん全員。プロはそういう表現の多彩さを要求されていますでしょうからそれは当然の技術でしょう。そして、プロの「共演者」とか「録音技術」とか「PA技術」はその多彩な技術を要求するのでしょう。

 

僕みたいな高齢者お楽しみではそういうの全然必要ないんです。はい。とにかく楽しくやればオッケイです。難しいところは簡略化してオッケイです。苦しいのは現役時代の現場でもう沢山味わいましたからもういらないです。

 

それに体のことで苦労した僕は体のことでひとつの答えはない、って断言できるだけの経験があります。

 

筋肉の付き方も、関節の有効可動域も、日常での動作習慣も全然違うのです、ひとりひとり。同じ動きは不可能です。目的のためにそれぞれも持っているものであれこれ工夫して「結果として」同じになることくらいしかないのです。

 

あるところで「習いに行かないとヘンナ癖がつきます」とありました。60年以上そのヘンナ癖だけで生きてきましたので、もう変えるのは無理です。はい。あはははは。そのヘンナ癖を総動員して「結果として」同じになるように努力するわけです、僕は。あははははは。