海辺の風景

海野さだゆきブログ

『星明かりグラフィクス』山本和音 著 が完結 全3巻

美大を舞台に繰り広げられる青春劇。などと言いますと、甘酸っぱいアレやコレと思い浮かべるかと思いますけど、この作品は違います。すでに経過してしまった、そしてキャリアも終ってしまった僕が言うと、なんだか「わかったような」ですけど、

 

社会に出るジャンピングボード

 

が描かれているように思いました。才能はある、でも社会でそれを生かすには欠点が大きい、そういう存在の吉持に対して、その部分は私が補う、私たちはふたりでひとつ、という姿勢を園部はとるのですが、実際に「仕事」を請け負う中、吉持は「自立」して行くのです。それを園部は見送るしかない、という苦しさを味わいます。

 

吉持がインターンとして飛込んだデザイン事務所での、「プロ」の姿勢、そしてそこで「プロ」言った言葉は名セリフだと思います。うなりました。はい。僕もそうだと思います。

 

そして、最後、園部が自分の価値に挑戦したいと受けた採用面接での質問への答え、これもうなりました。そうなんですよね、そう。

 

大学生活に意味があるとしたら、「このひとにはかなわない」と思える人に出会うこと、そして、その人に追い付けたら、です。

 

いいなあ、デザイン、あ、平面構成をしっかり毎日トレーニングしているだろうなあ、という絵、スピード感のあるセリフと展開、そして、ずっしりと重みのある美大生たちの「それぞれ」。

 

このまんがに大学在学中にであっていたら、3年の間、ほぼ引き籠もり状態なんてことはなかっただろうなあ、、、大学をジャンピングボードにすべき学生さんたちの多くがこのまんがに出会うことを願っています。

 

最高のお勧めです。

『LOST 風のうたがきこえる』池部九郎 著 咲良ゆき イラスト

地方都市、音楽に目覚め、その才能を開花させようとした少女が事故で亡くなる。後悔の日々を送るバンド仲間であった主人公は、遺品として彼女が思いついた歌の歌入れに使っていたスマホを受け取るが、なんとそこに彼女から電話がかかってくる。彼女は「向こう側の」東京にいて、そこで音楽活動をしているという。

 

平行世界、なのでしょうか。平行世界を僕らが認識するのは難しいようですが、、、、。「浅茅が宿」のような怪異談として読みました。どうしても音楽を続けたかった、東京に出て活動をしたかったという少女の念が現実化したということでしょう。

 

バンド活動、アマチュアレベルでの録音、などなど、記述がとても具体的で、実際そういうことをしている僕は作品世界にぐっと親しみを感じて読み進みました。作者さんがそういうことをやっていたんですね、なるほど。

 

彼女の才能をなんとか世に出したいと思った主人公は大学を休学して、実現のために動き始めます。

 

どんなレベルであったにせよ、音楽に夢を持ったことがある人ならば、クライマックスの奇跡のステージに胸打たれると思います。

 

今は発表ということだけならば、ネットに動画をuploadする、という手軽さがあるのですけど、音楽は演奏者が聞き手と同じ空間を震わせることで、はじめて生きたものになる、というのも確かだと思います。

 

録音が死んでいる、というわけではないのですが、やはり別物、音楽はライブが基本でしょう。写真と実物くらい違いますから。

 

若い人は、「それでも」夢を追ってください。この老人はその夢の残滓を楽しんで人生の夕暮れを楽しんでいます。

 

なかなか良い小説でした。

『Detroit Become Human』PS4

www.jp.playstation.com

もちろんの『ブレードランナー』からウン年、彼らの物語は21世紀的になって、つまりゲームとなって僕たちの前に現れました。

 

最初のプレーでは、よくもまあここまで人間っぽい造形をしたなあ、なんて思っていましたが、モデルの役者さんがいることを知ってびっくり。モーションキャプチャーだったんですか。いやあ、これは元の役者さんがめちゃめちゃ優秀だったから、データになっても「生きている」感じを僕たちに与えるんですよ。いやあ、参りました。すばらしい役者さんたちです。

 

提起された問題はとても深刻です。僕はどこかしら、これは「人種差別」問題と同じだ、と思いました。AIにはまったく夢をみたりはしません。その設定を借りて僕らに訴えているのだと感じました。

 

今現在「人間以下」の扱いを受けている「人間」が壮絶な人数いることを思うと、「ではどうしたら人間であることを認てもらえるのか」という問いかけは、現実的にとても重いのです。

 

では、「人間」の定義とはなんなのでしょうか?僕ら人類は過去に、いえ、現在も「奴隷」という「人間以下」を作り続けているではありませんか。「人間」とは何なのでしょうか。

 

マルチエンディングですから、今現在僕はすべてのエンディングをみたわけではないのですが、「歌」が世論を動かすという結末には、本当に震えるほど感動しました。

 

すばらしい作品です。絶対のお勧め!!!!

 

 

『数学的な宇宙 究極の実在の姿を求めて』マックス テグマーク 著 谷本真幸 訳

数学者による大著。順を追って、それもかなり詳細な記述が続くので、飽きることもなく、途中分からなくなるようなこともなく、最後まで読めました。

 

なんと言っても、平行宇宙についての話、いえ、論はとてもスリリング、刺激的で、僕は自分がいかに「ぼーっと」世界を捉えていたか痛感しました。内容は下手な解説無用です。読めば分かります。

 

数学というと、僕は高校の時に数列に出会って、その面白さに気が付きました。そこから線形、非線形ということに入れ込みました。しかし、大学は心理学なんてものを専攻したため、数学を追うことは止ってしまいました。うーん、勿体なかったなああ、、、、、。

 

コンピュータに出会ったのもそのころです。認知論に入れ込んだりしてましたけど、思えば、もっと数学やりたかったですねええええ。。。

 

下手なSFより面白く読めます。といいますか、ちょっとでもSFが好きな方には、強くお勧め致します。

 

『絶体絶命都市4PLUS』

絶体絶命都市4PLUS』

 

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絶体絶命都市4PLUSスクリーンショット

www.zettai-zetsumei.jp

すでに2周目です。2011年に発売するはずだったそうですが、開発が間に合わず一旦中止になったといういきさつがあります。ゲームの世界で7年という月日はとてつもなく長い時間でしょう。この2018年に発売されたゲームと比べると、正直色々な側面で辛いものがあります。

 

そして、未完成ぶりも問題でしょう。バグもそうですが、どうにも中途半端なエピソードがいくつもあるのです。おいおい、これはどうなったの?とプレイして思うことはあります。

 

繰り出されるエピソードも「胸糞悪い」という評判を投げつけられていますが、それもその通りでしょう。

 

ですが、それでも僕はこのゲームはたといこの状態であっても出してくれてよかったと思うのです。

 

前半、悪夢のような状況から、ほんの道一本隔てたところで、突然「何もなかったような光景」が目の前に広がって、めまいがしました。

 

そうです。やった、もしくはやっている方は、紫陽花交差点、つまり上にアップした状況から、カキツバタ大通りに出たところを思い出してください。

 

そこには、何もなかったように、大勢の勤め人たちが歩いているのです。もちろん、何事もなかったわけであるはずはないのですが、歩くのさえ困難なところから、オフィス街を行き交う大勢の人が、「いつものオフィス街の喧騒」に見えて、自分がどこにいるのかを見失うほど、めまいさえするほど、ショックでした。

 

実際の被災地でも、道路一本隔てると「別世界」のようなことがあったそうです。ほんの数キロ先では何も変らない日常が営めたことがあったのも確かなようです。災害は「平等」に襲ってくるわけではないのです。

 

そのあまりのギャップ。僕はそこに猛烈なリアルを感じたのです。

 

このゲーム、主人公に排泄欲求があります。それで僕が思い出したのは、東日本大震災の時、救援の自衛隊の指揮官が、隊員たちに指定場所以外の排泄を絶対にしないように話した、ということです(出典は震災をレポートした雑誌だったと思います)。

 

どこに遺体があるのか分からないからです。

 

破壊された街の生々しい描写は、相当に覚悟と根気がなければ取り組めないでしょう。なぜならば、そこには遺体がある可能性が高いからです。ゲーム製作スタッフの方々にプレッシャーがなかったはずはないと想像します。

 

「これでよいのか?」と思い始めたら製作はできなくなるでしょう。でも、やはり伝えなくてはならない、そういう思いがあればこそ、世に出すところまでなんとかもって行けたのでは、と。

 

クソゲー」?結構じゃないですか、僕は若い頃「低俗映画」ばかりをのべ2000本は観ました。低予算、たりないスタッフ、そうしたなかでも、志のある映画かどうかは観れば分かりました。そして、僕はいつもこう言っていました。

 

世に出る映画の99%は駄作。だから素晴らしいのです。魂をゆさぶる1%の傑作が、無数の映画を産み出しているのだから。

 

このバグだらけ、欠点だらけのゲームが「ひとのこころを動かす」という一点で傑作となる日が来るかもしれないではないですか。

 

JCOM端末の発熱対策

JCOM端末がいつもひどく熱を持つのです。私のところはHUMAX WA-7600というものなんですけど。触るのも憚れるほどの温度になるのです。

 

それが原因なのか、時々、コントロール不能に陥ります。リセットすればよいのですけど、rebootに結構時間がかかり、不便です。観たい番組へチャンネルを変更するときに初めて気が付くのですから、ちょっといただけません。この夏は猛暑だったせいか、この「熱暴走」らしき症状が多発しました。

 

もちろん、ファームウエアは最新にしてあります。バグというよりも熱暴走を疑いました。

 

どうも、中では大きなHeat Sinkがあります。そして、とても小さなファンもあるのですけど、僕には冷却能力が足りていないのではないかと思われたのです。

 

なので、Heat Sinkを追加しました。表面積が少しでも大きくなれば、それだけ放熱能力が上がるのでは、と思ったのです。パソコン用の後付けHeat Sinkを購入し、もとのHeat Sinkに張り付けました。

 

これは効果がありました。フリーズの頻度が下がったのです。しかし、まだなお、時々起るのです。

 

USB端子が空いていますので、それを利用して外部ファン追加することで徹底的な熱暴走対策をすることにしました。

 

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HUMAX WA-7600発熱対策

函体の熱感は完全に消失しました。これでフリーズがなくなれば良いのですが。しばらく様子を見ます。

 

『はしっぽ花星』全2巻 こがわみさき 著

僕が1972年に発見した少女マンガは、こういうものでした。すなわち、

 

小さい波動のおりなすレゾナンス。

 

一読で虜になってしまったのは、風景描写の中に心象風景を表現する石ノ森先生が大好きだったからだろうとおもいます。

 

少年漫画は互いの違いを拡大して行くことで、それこそ力づくで、その異差を運動エネルギーに変えて物語を駆動して行くものでした。そこには敵と味方だけです。敵を倒すために主人公は力を増大させますが、敵はそれに対応して更に強力になってゆく、その繰り返しなのです。

 

しかし、大きくすそ野を広げた少年漫画はそうした単純な力学ではなく動いて行く世界を描く作家を何人も産み出しました。石ノ森先生もそうでした。

 

そして、『巨人の星』です。主人公の最大のライバル、花形満は主人公の姉に星飛雄馬への深い共感を告白します。味方を自認する者たちよりも敵であるはずの花形の方がずっと、理解も共感も大きいという、人間と人間との関係の在り方は、当時「根性で敵を倒す」などという理解とは無縁の広く大きく深い世界を読者である少年に開示したと思います。

 

ああ、これは大きなメロディが動くものではない、小さな半音たちが織り成す複雑な、美しくもあり汚くもあり、深くもなく、短く、すぐに消えてしまうあの、レゾナンスの感じだ、、、、と1972年冬、誰もいない病院の待合室に読み捨てられていた少女マンガ雑誌を広げていた車いすの僕は、その響きが照明の落ちた夕方の窓から聞こえるように思えたのでした。

 

言いそびれてしまった事。渡しそびれてしまった何か。記憶の底にある、そこだけがあやふやな思い出。人の形をしたやさしいもの。

 

そう、確かに「おもいでのひとつぶ」になってしまっているのかもしれない。でも、そのちいさな一粒はかすかですが、半音たちが奏でるレゾナンスを今でも、そうです、50年ちかく経過した今も響かせています。

 

襟をまくるいたづらをした若葉がきゅんとする。その半音階。僕はそれを知っています。40年前に聴えたその響きは、すぐに人の輪郭を持ち始め、空気の流れが渦を巻き、色が次第に浮き上がり、鮮やかに、その襟元、むすんだ髪、ぎこちない笑顔、そうした半音たちが、テリーライリーに調律された純音階のミニマムミュージックとなって星空にちらばってゆくのです。

 

人生がわかるよ、とか、思想が理解できるよとかの、大きな共感、同意では、なく「うん、それわかるよ」という小さな響き。ちょっとした違いが生じさせる半音たちのレゾナンス。

 

そう、僕は少女マンガのおかげで、そうした「なんでもない」小さな半音たちの響きを50年たってもわすれずに思い出せる人間になることができました。