海辺の風景

海野さだゆきブログ

『絶体絶命都市4PLUS』

絶体絶命都市4PLUS』

 

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絶体絶命都市4PLUSスクリーンショット

www.zettai-zetsumei.jp

すでに2周目です。2011年に発売するはずだったそうですが、開発が間に合わず一旦中止になったといういきさつがあります。ゲームの世界で7年という月日はとてつもなく長い時間でしょう。この2018年に発売されたゲームと比べると、正直色々な側面で辛いものがあります。

 

そして、未完成ぶりも問題でしょう。バグもそうですが、どうにも中途半端なエピソードがいくつもあるのです。おいおい、これはどうなったの?とプレイして思うことはあります。

 

繰り出されるエピソードも「胸糞悪い」という評判を投げつけられていますが、それもその通りでしょう。

 

ですが、それでも僕はこのゲームはたといこの状態であっても出してくれてよかったと思うのです。

 

前半、悪夢のような状況から、ほんの道一本隔てたところで、突然「何もなかったような光景」が目の前に広がって、めまいがしました。

 

そうです。やった、もしくはやっている方は、紫陽花交差点、つまり上にアップした状況から、カキツバタ大通りに出たところを思い出してください。

 

そこには、何もなかったように、大勢の勤め人たちが歩いているのです。もちろん、何事もなかったわけであるはずはないのですが、歩くのさえ困難なところから、オフィス街を行き交う大勢の人が、「いつものオフィス街の喧騒」に見えて、自分がどこにいるのかを見失うほど、めまいさえするほど、ショックでした。

 

実際の被災地でも、道路一本隔てると「別世界」のようなことがあったそうです。ほんの数キロ先では何も変らない日常が営めたことがあったのも確かなようです。災害は「平等」に襲ってくるわけではないのです。

 

そのあまりのギャップ。僕はそこに猛烈なリアルを感じたのです。

 

このゲーム、主人公に排泄欲求があります。それで僕が思い出したのは、東日本大震災の時、救援の自衛隊の指揮官が、隊員たちに指定場所以外の排泄を絶対にしないように話した、ということです(出典は震災をレポートした雑誌だったと思います)。

 

どこに遺体があるのか分からないからです。

 

破壊された街の生々しい描写は、相当に覚悟と根気がなければ取り組めないでしょう。なぜならば、そこには遺体がある可能性が高いからです。ゲーム製作スタッフの方々にプレッシャーがなかったはずはないと想像します。

 

「これでよいのか?」と思い始めたら製作はできなくなるでしょう。でも、やはり伝えなくてはならない、そういう思いがあればこそ、世に出すところまでなんとかもって行けたのでは、と。

 

クソゲー」?結構じゃないですか、僕は若い頃「低俗映画」ばかりをのべ2000本は観ました。低予算、たりないスタッフ、そうしたなかでも、志のある映画かどうかは観れば分かりました。そして、僕はいつもこう言っていました。

 

世に出る映画の99%は駄作。だから素晴らしいのです。魂をゆさぶる1%の傑作が、無数の映画を産み出しているのだから。

 

このバグだらけ、欠点だらけのゲームが「ひとのこころを動かす」という一点で傑作となる日が来るかもしれないではないですか。