若き侍ジャパンの試合は夜遅くなるのが予想されたので近くに宿をとっていました。翌日せっかく都市部に出てきたのだから映画を観て帰ろうと作品選びをあらかじめしておきました。
初日初回のTOHOシネマズ池袋は結構お客さんが入りました。
僕は水木先生のまんがをほとんど読んできませんでした。もちろんまんが雑誌を読めば連載がありましたけど、こども心に「これはイラストだ」と、、、といいますか、絵のすざまじい描写に圧倒されて、「よくわからないや」と。ながめるだけでした。
さて、映画です。いわゆる怪奇モノの筋をなぞったような導入部分ですが、これは後年ポップになった『ゲゲゲの鬼太郎』から最初の禍々しく井戸の底に溜る黒い水のような『墓場の鬼太郎』への橋渡しなんですね。
話が進むにつれ、僕はいたたまれなくなりました。
映画で薬品Mと
映画で薬品Mとあるのは「ヒロポン」のことです。フィクションではありません。
これは覚醒剤です。戦中から戦後まで「普通に流通していた」れっきとした覚醒剤です。劇中示唆されていますが、兵士たちの恐怖心、疲労感を麻痺させた地獄の薬品。そして戦後も疲労回復になどと宣伝されて普通に薬局で購入できたのです。
そして中毒患者が社会底辺の人たちを中心に増大したのです。犯罪として取り締まるようになりましたが、ご存じのように現在も根絶からは遠い状態です。
まだあの戦争は終わっていないのです。
映画の中に「生き血を吸う巨大な桜」が出てきますが、僕には売血にしかみえませんでした。いわゆる「黄色い血」です。
ここにもヒロポンが顔を出します。仕事がない、あっても貧しい人が追い込まれて行きました。そして、売血は戦後ずっと続いていました。
まだあの戦争は終わっていないのです。
僕はあの桜にからめとれている人たちを思って涙が出ました。この池袋だって、悲惨だった。。。。
山手線をぐるりとバラックが囲んでいた。
僕らが子供のころはそんなだったのです。敗戦から10年程度で今のような綺麗な町並みになるはずなどありません。
道ばたで飯を食っていた時代は終わったんです。
そうなんでしょうか?50年、70年なんてついこの間のことです。
映画の中でヒロインが叫びます。本当は知っていた。東京にでても女に自由はない。。。。
それはいまは解決したのでしょうか?
僕は映画の画面から制作者たち、もちろん原作の水木先生も、の怒りを感じました。
水木先生は「目に見えないもの」を失った人間がどうなるのかを描き続けていたと思います。妖怪とは零落した古い神様たちだと僕も思います。彼らが見えないのは昔を忘れた、過去を知らない人でしょう。
過去はそれが暗いものであればあるほど生き残るようです。綺麗な町並みも一皮むけばおぞましい過去から続く暗黒はあります。
土葬された母親から生まれた鬼太郎になにかしら未来への希望を感じたのは僕だけでしょうか。『墓場の鬼太郎』はポップになり、可愛らしい見た目にはなりましたけど、やはり人間とは一線を引く姿勢は保っています。
色々な事を思って映画館を出ると池袋の街は雨上がりでした。