『ニーア オートマタ』の前作がリメイクされて新作として発売されました。早速やってみました。作り手はゲームの世界とゲームをする人がいる世界との関係を色々と考えてきたようです。
『ソードアートオンライン』の新しい話でも「作られた世界」と「それを作った世界」との境界線がなくなってしまった「事件」を描いていました。ゲームにのめり込んだ人の中にはそういうことを考えるひとがいるようですね。
僕は「敵をやっつける」系統のゲームが好きではないです。「話せばわかる」がよいのですけど、まあ、現実が「話してもわからない」だらけなので、「やっつけろ」方向でゲームが作られるのもまあわかります。
ただ、僕がやった範囲で言えば、「敵をやっつける」系統のゲームには「戦後処理」はありませんでした。そっちのほうがよっぽど大変なのですけどね。。。。。
しかしまあ、ゲームの主人公、つまりそれを操作しているこの僕、が快刀乱麻にやっつけている「怪物」が実は生き残りをかけた「人類」だとは、まったくもって皮肉な設定です。それが分かって以降、ゲームの進行に爽快感はまったく感じなくなります。
最初から羊を殺すにせよ、大量の血が飛び散り、そうやって生き延びてきた人というものの本質をこれでもかと突きつけているので、その描写に胸のつかえを覚える人は、立場の違い、もしくは世界の違いが原因で殺し合うという話が続くことに一貫した主張を読み取ります。
ではどうしましょう。所詮ゲーム?
半村良さんの『妖星伝』も同じ様なことを突きつけていました。
さて、、、、、