こんなゲームがあったなんて。2015年ですか。僕にとっては「世界で一番美しいゲーム」になりました。
すでに色々な方が評しているので、そっちの方に内容についてはおまかせ。
僕がうちのめされたのは「見えないことを見えるようにする」というその発想と、実装です。
そんなこと思いもしませんでした。そして、この主人公の女の子にもあることを強く感じました。
「ない」感じがない。
先日NHK-BSで満島さんがいわゆる「パラアスリート」を何人か訪ねるという番組をやっていました。そこに登場した人たちにも同じことを強く感じました。
思い出すのはもう20年近く前に夜の新宿ですれちがった義足の若い英語圏内の男の人。彼の右膝から下が義足でしたが、その「足」にはライトが内蔵されていて、光っていたのです。
あまりに普通に友だちと談笑しながら夜の町を楽しんでいた風でしたので、すれ違ったときに「あれ?」と思った自分にとまどったくらいでした。僕と一緒に歩いていた妻は気が付きませんでしたし。「ね、あれを見て、彼の足を」と。
なにか、すごいショックでした。何に衝撃を受けたのか、僕の何が衝撃を受けたのかもわかりませんでした。ずううううっと。妻も同じ様な感想をもらしました。
かなり後でそれを『「ない」感じがしない』と自分なりに言葉にしました。今もそれ以上の言葉は作り出せません。
このゲームの小さな女の子には「目が見え"ない"」の"ない"がないのです。
港の局面では僕は本当に恐怖を感じながら前に進みました。見えないことが見えるように思いました。
しかし、なんと美しい画面でしょうか。そう、世界は美しいですよね。
こんな美しい世界を生きているんですよね。
さて、この『「ない」感じがない』、はそういう風な見方をすると、色々な人に感じることがあります。亡き友人もそうでした。彼は独立するときに言いました。
やるって時に、やらない理由はすぐに100個浮かぶ。それに引き替え、やる理由はひとつかふたつしかないし、頼りないんだよね。
猫好きにはたまらないゲームでもあります。よくわかっているよねえ、猫のこと。
なぜ今の今、このゲームにであったのか、その答えは明白です。僕も猫を探しに美しい世界を歩こうと思いました。