海辺の風景

海野さだゆきブログ

『頭文字D』再読

どなたかの評で、作者は「青春8、車2」のまんがを描いたらまったく受けなくて、その比率を逆に「車8、青春2」にしたら大ヒットした、というものがありました。その通りなのでしょうけど、僕はその評を読んだおかげなのか、今回この作品が「青春8、車2」に思えたのでした。

 

公道レースなんて一般的には迷惑なことに熱中している若者たちが主人公たちです。そこは作り事のよい面画出たと思います。「ありえそうでない」という虚実の被膜に触れているからです。

 

車が好きで、公道でその「気分」を味わっている人は実際いるとおもいます。その意味で「ありえる」わけですが、対向車がいつくるかわからない、騒音などなどで、その道路を生活の道として日常的に利用している人からすれば迷惑きわまりなく、安全安心面からしてレースという形での実現は「ありえない」です。

 

そこで「青春とは何だ」なのです。若者を惑わすことばに「若い人には無限の可能性がある」なんてのがありますけど、これ本当の所は

 

よーするに、あんたら今何も持っていないからっぽなんだから、そこに入れるものを作って行けよ

 

ってことなのではないでしょうか。「何かあるようでない、ないようである」という禅問答(笑)。その虚実の被膜、そのありようが公道レースというありそうでないものにぴったりはまったのではないでしょうか。

 

そのはまり方がリアルさを産み出したように思えました。

 

最後、ゲームマスターみたいに「外」から物語を語っていた涼介が、生々しさをまとったのは、なにかこう作者の投影なのかなあ、と読めました。

 

まんがで夢を語ろう