『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』で始まるライトノベルのシリーズです。その変わったタイトルのせいで気にはなっていまして、電子書籍の「あとでね」にずっと置いてありました。休日に配信サービスのリストのアニメの中にそのタイトルを見つけて見始めたところ、強い衝撃を受けました。
実はアニメの方は以前に観たことがあったのです。その時は特に何にも感じなかったのです。ライトノベルの「ねーよ帝国主義」(カワイコちゃん最低5人は出しておけに始まる、そんなのねーよ、そんな奴いねーよ、という感想を力業で押し切る)に基づく作品ですから、あ、そうなの、程度で終わってしまいました。
深刻なテーマを提示していたにもかかわらず、僕はなーんにも感じなかったのです。
鈍感な僕は実は再度見直しでも4話を過ぎるころまでは、なーんにも感じなかったのです。ですが、
あれ?
これはとんでもなく深刻なことに取っ組み合いを挑んでいるのではないのだろうか。いかにもライトノベルのラブコメを装っている、いえ、そのフォーマットに忠実でありながらも、その読者たる層にとって深刻な事象に応えようとしている、、、?
勝てるのか?いや、勝とうとしている、確実に。
それはよいです、それはそれとして、僕にとって決定的だったのは、牧之原という少女の「登場」です。
電撃で頭が半分に破壊されるかと思いましたよ。
病欠、長期入院でほとんど学校に通えなかった僕は中学生になって絶望的な劣等生になっていました。学力なし、体力なし、とりえゼロ。その干涸らびたミイラの前にまさに電撃的に僕の「牧之原さん」は現れました。
まあ、この老人のこの話は何度もやっていますね。もう50年近く経つのに僕にとっては昨日のことですから。で、猛勉強の末劣等生脱出が見えたその時に交通事故。一生車いすですとまで言われた僕はそこでくたばるわけにいかなかったのです。そうです内なる「牧之原さん」がそうさせてくれたのです。
その後も自主留年(中学生に基本留年はありませんから)、あげくは隣県への引っ越し、と僕は「牧之原さん」から励まされ一番良い道を選ぶと、現実の彼女から物理的はに遠ざかるばかり、、、
よく男は「初恋を忘れられない」とかいいますけど、僕には命の恩人なんです、「牧之原さん」は。その点、まさにその点が『青春ブタ野郎』の主人公と重なります。現実の彼女も出会ったころの僕からしてみれば到底乗り越えられないだろうことに立ち向かって、、負けていなかった、、から。
13話「明けない夜の夜明け」では号泣していまいました。還暦過ぎたジジイとはいえ、僕は自分の原点に忠実に生きてきた、言い換えれば僕はあの交通事故、3日目に意識が戻ったときに泣き叫びながら思ったことだけを生きてきた、そこからは年をとらずにずっと生きてきた、んですね。その変わらなさの象徴が「牧之原」さんでしょう。
当たり前ですけど、現実の彼女はそんな僕のことは知らないし、当時知ったとしても戸惑うだけだったでしょう。
他者とはなんなのでしょうか。僕にとって「牧之原さん」はリアルな存在なんです、いつの時も。故にいつも僕は励まされ、立ち直り、故に生き延びました。
それは僕自身が自己救出のために編み出した幻の人格なのかもしれません。ですが、生き延びることが生命の最優先であるかぎり、まぼろしだろうがなんだろうが、それは「そうあらねばならなかった」のですから、、正体なんてどうでもよいです。
主人公が羨ましかったのは、僕は「牧之原さん」の前で辛さを吐露して泣くことはなかった、そこです。泣いたら前に進めない、故に泣けない。時々誰もいないところでぼんやりと風景を眺めている、でしたからね。
現実の彼女があのころのようにたくましく生き延びてくれているかは知らないですけど、僕にとっては「牧之原さん」と現実の彼女の区別はずっとなかったのですから、それを考えることさえないです。
物語は「牧之原さん」についてなかなかよい解釈、設定、解決を示していますよね。素晴らしいです。『ゆめみる少女の夢を見ない』ブルーレイ買いましたよ。作者、スタッフに感謝します。
この老人は青春時代のあれやこれやを成仏させる行動を始めました。
あ、原作も読みましたよ。かなり突っ込んだ記述が並びます。