海辺の風景

海野さだゆきブログ

『絶体絶命都市』『絶体絶命都市2』

絶体絶命都市4』をやった私は「そもそも最初はどうだったのだろうか?」と思ってナンバリングを揃えていたのですが、積ゲー状態に。思いたって連続してやってみました。

 

ゲームって、この年代辺りの出来で十分じゃないのかなあ、と。そして、やはり「おもしろいものを作ってやる」という制作側の意思が感じられてたのしくやれました。

 

いま風に言えば「脱出ゲーム」なのでしょう。ゲームなので不運にして「行方不明」になってもやりなおしがききますけど、同じ様な「え?これで私死んじゃうの?」という状況で実際には沢山の方が命を落しているのです。そう思うと結構重くのしかかってきました。

 

地震、水害、まさにリアルに「今そこにある危機」です。生き延びるためのパラメータはいくらでも設定できるでしょうけど(当時のゲーム容量からするとどのくらい作れるのかはわかりませんが)、「水」とか「体温」に絞ったのはうならされます。

 

「水はどこだー」とか「火はどこだー」と叫び、ふらふらしながら探索を続けるのは結構辛いです。

 

「ポセイドンアドベンチャー」とか昔から「パニック映画」ってあります。僕はスティーブンキングの「ザ スタンド」が好きです。いずれも「集団」になった時に一番きつい状況になります。ゲームにそこまでの状況設定を求めると、あまりにプレイヤー負担が大きくなり、娯楽というより「模擬訓練」になってしまうとは思います。

 

『4』では避難所でえらいめにあったり、ここぞと立ち退きを要求する奴がいたりとか、ひどい事件がありますが、あれでも随分と控え目ですよね、、、、、、、、。

 

この2作ではパートナーはひとり。で、このパートナーがとっても元気だったりします。逃げ足速くて主人公より先に逃げられるし(笑)。このあたりはたぶん、オンラインでパーティ行動によって課題を乗り越えるという作りだと色々とできるのでは、思います。

 

ただ、パーティ、もめるだろうなあ.。.。。『ソードアートオンライン』じゃないけど、運営に失敗したらPK、、、、水とか食糧とか、どう分けあうのか、とか、楽しめなくなるかもしれませんね。まさにやらざるを得ない必須「模擬訓練」じゃないとすぐ止めたくなるでしょう。宇宙飛行士の入試みたいな辛さがあるように思います。

 

で、このゲーム、巨大災害が実は「人災」であるということを設定としています。娯楽要素からアクション映画みたいなレベルですけど、そこも実は画期的だったのではないかと思います。

 

積みゲーが実は溜まっています。このままだとやり終えずに死んでしまうのにちょっと焦って、ここのところ真剣にゲームやっています。突然悲鳴あげるわ罵声を発するわでたびたび妻に怒られてます(笑)。