僕の机には、ひろしさんの「まいにち、ネガティブ」があります。ネガティブな記事もたまには。
まずは、高齢者の自動車運転。「年寄りの冷や水」という言葉は江戸時代からあるようですから、すくなくとも150年くらい前には、高齢者が自己の能力を客観的に評価できずに問題を起こして困るわい、というのはあったのですね。
僕の記憶では、時代劇定番に、若様おつきの「じいや」が「若様にはおまかせできません」とでしゃばって返り討ち状態になり、結局若様に助けてもらった、なんてのがありました。具体的作品は思い出せませんけど(笑)。
高齢者の「冷や水」が取り上げられるようになったのは、高齢者山岳遭難が相次いことあたりでしょうか?
パターンは同じですよね。若いころはキレット(難所として有名)も大丈夫だったぜ、この程度の山なら、なんて認識でアルプスで遭難。
この手の話で、「客観的な体力数値って測定できるだろうが。なんでそこから始めないのか」と、ご当人に言っても無駄ですね。
山岳競技で何点でした、とかいう経験がある人って何人いるのでしょうか。ないから「百名山いくつ登頂」で「成績を証明」しようとするんでしょうね。
山岳部にもいろいろでしょうけど、「ピークハントだけが山じゃない」という認識は山屋さんにはあるのではないですか?調査してませんけど(笑)。
涙とともに「餅スパ」「糸みみずラーメン」を食べた者でないかぎり、山を語るなかれ。後輩が谷底に落としたテントを食糧を絶望とともに見つめ立ち尽くした者でない限り、山を語るなかれ、、、とか。。。。(笑)。
まあ一般的に、「1500mのタイムは?」とか「10km走のタイムは?」とかでもイイですけど、そういうこと普通に質問できます?
なんか、それって要するに学校の成績を聞いているって受け取られて、「じゃーなんだよ、おまえってそんなにえらいのかよー」とか、感情的な反応、反撃(笑)にあいそうですよね。
世間話レベルはおろか、ちょっと親しい間柄でも学校の成績につながるような話ってできます?
できない。それゆえに、それを先回りして回避すべく、「成績悪かったんだよー」って言ってしまうんですよね。
高齢者の「健康の話題」って、まあその「学校の成績」みたいな、というかそのまんまですよ。僕は少年時代から不健康でしたので、「血圧?医者にかかれば投薬、膝?どの医者でも即人工関節置換って言われますけど、なにか?」です。だって、不治のレベルなので医療にかかる意味がありませんので。
ま、社会的な「点数評価」が給料とか地位の間は良かったのでしょうけど、それが消滅した高齢者は、「健康」の点数がまんま社会的な評価になっちゃっている人が割りと多い感じがします。調査してませんけど(笑)。
で、運転免許証って、なんか「社会的に認知された運動能力の証明」みたいになっている感じも、だからするんです。
でも、ご存じのように免許更新に実技テストはありません。「運動能力の証明」にはなっていないんです。
でも、受け取る方はそうは思わない。
最後に残った「学校の成績」なんでしょうか。なんだよ、んなもの、まだ囚われているのかよ、客観的に点数低かろうが高かろうが、じゃあ自分はどうするのかって判断材料にすればいいだけじゃん。
がんばるもよい、あきらめるもよし。
でもねえ、「成績」にこだわる人って結構いる感じがするんです。
じゃあジムとかで「運動能力」測定とか、思うでしょ、これがそうはいかないんですよ。
そもそも自分でテスト受けに来る人は、自信がある。自信の上塗りのために来る(笑)。
私も経験がありますよ。某運動指導員の資格とりましたので、マシントレーニングの指導もある程度はできます。
で、高齢者でリカンベントスクワット、通称レッグプレスで、やたらと重い負荷に挑戦しようとする人がいるんですよ。絶対に阻止するんですけど、「なぜやらせない」って激怒するんです。
馬鹿らしいです。マシンのメカニズム自体が姿勢の安定を保証しているマシンでの数値は本人の実力でもなんでもないのですから。
で、自重でスクワットさせると、たちまちよろよろ。
「まずはご自身の体重を支えられる筋力と調整能力を身につけましょう」
「なにおー、ばかにするなあ」
おしまい(笑)。
似てません?。自力の歩行が難しいのに、自動車というそれ自体のメカニズムで移動を保証しているもので、自力の移動能力証明をさせている。。。。。。
思うのは「学校の成績」という方法論といいますか、パラダイムといいますか、その影響が人生を支配している場合をよくみかけるなあ、、、って。
10代、20代向けの作品って、映像、音楽、小説問わず、学校抜きってまず、みかけないですから。まあ、一日中いますからねえ。
私は入院ばっかりで、学校行けなかったから(笑)。病院の影響は絶大ですけど(笑)。