海辺の風景

海野さだゆきブログ

遠い昨日 還暦を迎えて

還暦からまもなく、激震が走りました。中学の時からの友人が亡くなったのです。いまだ情報を整理するどころか、まったく現実を受け入れられません。聞いたところでは仕事の現場に向かう途中、動脈瘤が破裂したとか。

 

友人は1年ほど前に一度倒れて、危ないところまでいったのでした。入院先からの本人連絡で本当に驚きました。そのとき、僕はペースを変える時期が来たんだよ、と話したように覚えています。

 

僕は4年前にもうこのままではやってゆけない、と判断して、仕事を「老人向け」の低賃金、低負荷に変更しました。もちろん、そうした「老人向け」しかなかったのも実際ですが、僕は自分の寿命を64歳だと「計測」していたので、残り少ない人生をマイペース方向にと舵を切ったのでした。

 

観念上は30歳とかかもしれませんけど、現実はじじいなんです。データは物語るんです。一瞬のパワーならば出せるでしょうけど、回復力は壊滅的に低下しているんです。だから、今までのペースは危険なんです。

 

「待ての声も聞かずに」

 

気持の整理はつきません。普段の付き合いもそれほどの頻度であったわけでもありませんでした。このところは、その前の入院連絡以来、お互い連絡をとっていませんでした。

 

せめてものなぐさみは、僕が雇われ仕事でかかわった舞台、そして僕が主催したコンサートの映像を仕事として撮ってもらって、作品として残せたことです。

 

天才だったと思います。舞台撮影専門でやっていましたけど、友人の傑作は芸術祭参加の舞台撮影でもなければ、海外での舞台撮影でもなかったと思います。

 

それは、友人のお子さんが通っていた保育園のお散歩を撮った短いビデオです。園から出発、近くの公園で遊ぶ光景を納めた映像は、カメラが風となって、子供達と遊んでいるような、夢のような「映画」でした。僕はそれを観た時、ぼろぼろ涙が流れました。本当の天才にだけ撮れる素晴らしい絵でした。

 

心から冥福を祈ります。そして、心からの誓いを再び僕は確認したのでした。

 

僕は使いきって動かなくなるまで動きを止めないよ、と。