スタッフの大半は日本の文化圏以外の人のようですが、ゲームは「紙芝居」系、つまり日本の「ヴィジュアルノベル」です。
まあ、東京の暗黒面と言っても、良く知られた事象を追っているだけなので、目新しさはないかもしれません。場所の移動も有名どころの観光地巡りみたいなところに留まっています。
『Chaos Head』『Chaos Child』と比べてはいけないですね。値段が値段ですし。雰囲気は十分味わえたと思います。
スタッフの大半は日本の文化圏以外の人のようですが、ゲームは「紙芝居」系、つまり日本の「ヴィジュアルノベル」です。
まあ、東京の暗黒面と言っても、良く知られた事象を追っているだけなので、目新しさはないかもしれません。場所の移動も有名どころの観光地巡りみたいなところに留まっています。
『Chaos Head』『Chaos Child』と比べてはいけないですね。値段が値段ですし。雰囲気は十分味わえたと思います。
おそるべしSteam、安いからとなんでも買ってしまう私(笑)。このゲームは選択肢によって途中経過、結末が変ってくるというものです。日本だとヴィジュアルノベルとか言っていますけど、紙芝居風なんですけど、あちらさんは、実写風。このあたり、面白いですね。
あちらさんにも、こっちにも「人形劇」は大昔からあります。なかでもチェコの人形劇は、日本の人形浄瑠璃のように、人形と人形を操る人の「区別」がありません。
こうしたゲームには「操る」「操られる」が明瞭には区別できないような奇妙な感じがあります。ここでは「選択」は「結末」を保証しないのです。ま、予想通りにはならないですね。
僕は、そこに日本やチェコの人形劇がもつ、「演者」と「人形」の関係をちょっと感じるのです。「演者」は演じさせることで人形から影響を受けます。その磁場でミラーニューロンという現象は結構奥深いものをみせる、起すように思うのです。
「おのれ」と「他者」その峻別をあいまいにする「人形劇」。僕はこの手のゲームをするたびにそんなことを思うのです。
かの『MYST』シリーズ以来、宝探しのようなゲームは好きでした。パズルというべきでしょうか。SteamはLinux版があるのを知って、入れてみました。面白いですね、ゲーム専用機では国内ラインアップしていないようなものが沢山あるのがわかりました。
で、Windows10計算機の方にも入れてみました。Steamは年中セールスをやっているのですね、それがまた激安。そこで『Tomb Raider』シリーズ2作を入れてみました。
あれ、いきなり飛行機墜落で、高所が苦手な、得意な人っているのでしょうか?、人間の「小股がひゅんとなる」(くれよんしんちゃん)アクション連続の果てに、あれよあれよと云う間に殺されて、、、、え?これ、殺されてしまうんですか?
はい、謎解きはありますが、以降ひたすら敵を殺戮して行かないと進行しないゲームだとわかって、ちょっとどうしようかと考えました。どうしてこう「話せば分かる」とか「峰打ち」みたいな選択肢がないのでしょうか、とあきらめて続行です。
うーん、これ「日本」なんですよねえ.。.。まあ僕たちも他の文化圏を誤解していますから、例えば僕ら関東の人間は関西の文化を知りませんし、ここは大目に、です。
終ってみると、主人公の動機が「父親の名誉回復」なんですね。で、現地の人と仲よくなるとか、相互理解を進めるとかはない.。.。。うーん。血まみれでゲーム終って、作業疲労みたいなものが残りました。
で、次もやりました。なんかパターンが分かってはいるんですけど、難易度が上がっていましててこずりまし。まあ何度死んだことでしょうか(笑)。この落下だとあばら何本も折っているよなあ、とか、散弾を5発喰らっても元気に襲ってくる熊ってサイボーグ?とか、まあゲームとして割り切るしかありません、と自分を説得して前に進みました。
難所を乗り切る場面はいよいよパズルのためのパズルみたいになって、それがまた作業疲労感を蓄積しました。
最後、無限に銃弾を持っているラスボスを倒し、そうかあ、こういうゲームが「楽しい」ということもあるんですね。と勉強になりました。
Windows10計算機はASUSのZ97マザーボード、Radeon RX460という組合わせでした。ゲームに支障はありませんでしたが、グラフィックボードを交換したらより快適かなあ、と思い立ちました。
Steamで「宝探し」系をいくつか購入。この手のゲームは画面がやたらと暗いなど、見辛さがつきものです。画面の改善はゲーム進行の快適さにつながると思ったのです。
で、AsrockのRadeon RX580を購入しました。見事に再起動の連続(笑)。初期不良か?いえいえ、これは間違いなく電気容量不足です。Radeonの上位は電気食いなんですね。
となると、どうしても電源ユニットを交換せざるを得ません。うーん、お金が(とほほ).。.。
Linuxマシンにはニプロンの電源を使っています。信頼性抜群なのは分かっていますが、引退老人にはちと辛いお値段。長い目でみれば安いのは分かっていますが。.。。
で、Seasonic SSR-850PXという文字通り850Wを購入しました。10年保証とうたわれています。10年後にこの規格が通用するのかはわかりませんが、問題になるだろうコンデンサなどは日本製を使用して、信頼性はある程度確保できそうでした。
パーツ交換ドミノ倒しの予感もありました。もうCore-i9の時代だよなあ、、、でもZ97は枯れて実績みて当分もつ、とあえてあのときも最新にはしなかったのです。自作は2年ごとに作り直しがベストでしょうけど、金欠老人にはちょっと厳しいです。
電源交換で、あっさりRX580は正常に作動、ついでにRX460との2枚差しもクリア。まあAMDのCrossfire対応のゲームって限られるんですけど、電源がなかなかに優秀で余裕で駆動しましたので、消費電力は気になりますが、これから気温が上がりますし、がんばってみることにしました。
画質は大幅に向上しました。老眼にも良かったです、はい(笑)。
まさにタイトル通りの内容です。そもそもの始まりは、フィリピンに行ったまま連絡の跡絶えた親友の捜索にかの地に渡ったことでした。観光地とは無縁の場所で作者は人生ではじめて「外部」の存在を知り、とても心打たれるのです。
冒険がしたい、と。冒険というのは馴染んでいる日常から、その「外部」に身を置くこと、そこで生き延びること、だと言えましょう。
この本は要約するのが本当に勿体ないのです。内容を紹介していたら、全文引用になってしまいます。そのくらい色々なことがぎっしり詰まっています。
作者はロバに荷車を引かせての旅に出るのですが、そのロバを初めとして、動物たちと「出会い」ます。その出会った動物たちと一緒に旅をするのです。
もちろん、危険にも出会います。その準備はかなりちゃんとやっています。さりげなく「日常会話くらいならなんとかなる」みたいなことを書いていますけど、それってかなりの努力です。対人スキルも客引で磨いたとさりげなく言っていますけど、危ない目にもあったに違いありません。
格闘技、ナイフ術もある程度つかえるところまで行っています。そこのところはちゃんと認識しないといけません。作者の文章が軽やかなので、この旅みたいなことが簡単にできるように思ってしまうかもしれないですが誤解です。注意しないといけません。
命懸けだから楽しい、命懸けだから命を、自他ともに大切にするのですね。「外部」に身を晒したからこそ、「世界」は姿を現したのでしょう。
途中、涙が止らない、笑いが止らない、恐怖が止らない、と、揺さぶられっぱなしです。
絶対のお勧め。
阪神タイガースファンとして、なかなか信じてもらえない事実に「昔は甲子園ガラガラだった」「六甲おろしなんて歌わなかったし、俺も知らなかった」があります。今を基準とすると見えないことは多いと思います。
現在は「東京史観」の時代です。と、言っても、これ「東京=東京都」ではないわけです。はい、八丈島や、曇取山まで東京都ですが、そういう行政区画を「東京」と思う人はいないでしょう。「山の手」のごく一部を「東京」だと思っている人が普通なんです。
メディアの都合、その時々の政治の都合で、土地のイメージなんてころころ変えられて来たというのは確かだと思います。
そうだよなあ、毎日満員電車通勤に使っているその路線って、「汚穢列車」って呼ばれていたんだよ、なんて誰が信じます?ねえ(笑)。
実際、行ってみれば、大阪の中心部と呼ばれているところの「都会度」はすばらしく高いです。僕に言わせれば「飯のうまさ=都会度」なんですけど、確かにたこ焼きは美味しいですけど、それが大阪の代表的な料理だとはおもいませんので、それを尺度にしているわけではないです。確かに立食いのレベルでも大阪はうどんが圧倒的にうまいですけど、それが大阪料理界を代表している料理だとは思いません。
古い歴史を物語る史跡が沢山あり、そこにある伝承の多さも圧倒的です。「江戸幕府以前はただの湿地」という土地とは違います。
井上先生は世間に流布している「大阪的なるもの」を次々と論破して行きます。これは痛快です。
しかし、一方でみなさんは地元をどう説明するんでしょうか?「地元民はそんなものめったに食べない」とか「地元でもほとんど知られていない」とか、そういうこととどう向き合うのでしょう?「地方再生」なんて、実はそうした「足下を見る」ことから始まるように思います。はい。
ラノベでは、設定の面白さ、筋運びの良さで人気になるものと、文章の良さでそうなるものがありますね。これはどちらかと言えば後者かなあ、と思いました。
例によって「ねーよ帝国主義」です。再度説明しますと、「そんなヤツいねーよ」「そんな女の子イネーヨ」「そんな展開ありえねーよ」と、つっこみを入れれば入れられる、しかしそこが揺るがない世界を展開する小説群の傾向を僕はそう呼んでいるのです。嫌ったり軽蔑したりしているのではありません、それでいいんです、と思っています。で、そこは大抵のラノベがそうなんですから、この作品の特徴とは言えません。
主人公のお人好しぶり、もまあ、あるといえばよくある設定かもしれないです。案外モテルみたいですし、、、でもなんといいますか、読み進むと伝わってくる作者の姿勢になんか良いものを感じるんです。
こうしたファンタジー系世界観で、伝えられるものがあるんだ、みたいな、、、感じです。たぶん作者が先行する作品群、ラノベに限らず、ゲームやまんがなどなど、から受け取った確固たるものがある、そんな印象を受けるんです。
で、そこになんか惹かれて読み進んでしまうんですね。おもしろい感覚だなあ、と僕は思いました。はい。
朝井さんの小説を読んでみたかったのです。映画になったものかな、と思ったのですけど、短めだったこれを選びました。
読みはじめて後悔しました。僕は子供もの、とか施設ものが苦手なのです。すぐにページを閉じて、かなりの時間放置していました。
色んな本を読み終え、電子書籍本棚が整理されて来て、埋もれていたこの本の表紙を見ることが多くなり、せっかくだからと決断して読みまじめました。
いざ読み始めると、文章の軽快さ、生き生きとした描写に引き込まれて、ずんずん読み進みました。どんな魔法なのか、この小説には子供の時間が流れているのです。そして子供達の生き生きしていること!。すごい文章力です。
さて、最後に作者は唐突に語り出します。変らないヤツは変らない。だからいつまでも同じところに我慢している必要なんてない、と。
加川良さんの『教訓』が僕には聴えるようでした。作者には同じ様な静かなでもガンとした怒りがあるように思いました。子供達にこれまでと同じくらいの希望がこの先にあるのかは事実として語るべき事ではないでしょう。
ジェリー ガルシアが言ったそうです。若い人たちがウッドストックの時代を賛美して、あの時代に行きたいと彼に言った時
「ウッドストックだと?あんなクソな時代にか?」
僕も十代から子供に戻りたいとか、あの時に戻りたいとか、若い頃に戻りたいとか言う言葉を聞くと、同じように、でもこころの中で吐き捨てていました。
希望は未来に、いえ現在にしかないからです。