海辺の風景

海野さだゆきブログ

『星明かりグラフィクス』山本和音 著

関東は埼玉にある美術大学を舞台にした青春劇です。とあるウエブサイトでお勧めされていたので、即読みました。

 

主人公はふたり、思春期前期の「事件」が原因で、と本人が納得しているだけなのですけどね、潔癖性になった女の子と、その才能をなんとか世に出す役割をやりたい、その「業績」で自分を世に押し出したい、つまりコネクションで世渡りしたいという女の子二人です。

 

面白いです。絵は的確かつ適度な「ゆがみ」を得てとても心に入って行きますし、ストーリーは極めて客観的で時間軸の「ゆがみ」がないのです。

 

あ、「絵のゆがみ」って、何?ってことですけど、音楽をやる人間からすればそれは「ノイズ」なんですよね。エフェクターって言うべきでしょうか。

 

コマを観てください。きれいな、そして動きのある絵を描ける作者は、なぜか画面のあちこちに「意味不明」な、それこそ消ゴムのカス?って思うような、点や線を描き込んでいるんです。これ、消し忘れやミスではないです。

 

どうしても、それを描かないと絵が治まらないんですね。そこが実に絵を描くヒトの世界認識なんです。と、僕は思うのです。

 

だって、音楽やる人間で、音を歪ませないと落ち着かないって、絶対わかるでしょ。なんか、おさまりがつかないんですよ。ゆがまないと。

 

これはどういうことかと言えば、たぶん、こういうことだと思うのです。

 

例えば、僕らは屋外で上を見上げれば、「空」って言葉で「それ」を認識しますよね、でも、でも絵を描く人は「空」って言葉の純粋さに違和感を、とても強い違和感を、もっと言えば「嫌悪感」を感じるんです、なので、どうしてもそこに「空」って言葉で綺麗にならされてしまう「何者か」を描き込みたいのです。

 

「言葉」って、伝達のための、思考のための「便宜」だって、絵を描く人はどうしても、そこを突っ込みたくなるんです、たぶん。ちがうかなあ、、、、音楽をやる僕からすればそうとしか見えないんですけど、、、、どうでしょう?

 

主人公の「潔癖性」は、「名状しがたきもの」が認識されたがゆえの、「語れないものが見える」ということなんだろうなあ、って思うのです。

 

彼女が自室で見たのは、「お父さん」という言葉で簡単に片付けられない「何か」だったのです。言葉で処理できないので、彼女は脳の動きを制御できなくなったのです。

 

そう、言葉は脳の最大の「発明」なんです。脳は要するに「省エネ」なので、、事柄をいちいち詳しく調べたりしないのです。その省エネが生んだのが言葉。だって「お父さん」の一言で、思考は停止します、感覚器も停止させられますからね。

 

その「お父さん」で済まされたひとつの生命の持つ、色々な側面を「消化」できないから、彼女は「嘔吐」するわけです。

 

石森先生の偉大なる発明。コマの空白に浮遊する「なにか」。

 

美術、って、脳が省エネで切り捨てた世界の片鱗を見せてくれるんですよね。僕はそう思います。

 

で、その彼女の特異さを「才能」、いえ「才能=社会的な価値」とみるもうひとりの女の子は、案外「言葉」を持っていないのですね。見えてしまう彼女を表現するする言葉を持っていないのですね。

 

はっきり言って、これは傑作です。もう第一巻だけで、傑作です。僕はこれを読んでラッキーでした。はい。

『Sea Breeze 2016』角松敏生

角松さんは天才だと思っています。僕にとって天才というのは、どうしようもなく追い詰められたときに「聴けた」音楽を作った人のことです。そういう状況ですと、音楽さえ遠ざけたくなるのですけど、それでも耳に心に響く何かをもっている作品を作る人は確かにいます。

 

で、例によって遅れて購入しました。実は半信半疑。「歌を入れ直した?」それは今の方が絶対に歌は圧倒的に良くなっているんですから、悪かろうはずがないですけど、それが角松さんの「今」を表現するものになっているのでしょうか?などと思ったのです。

 

しかし、聴いてみてびっくり。これ、なんというか、この手があったのか、といいますか、このやり方でやってのけてしまうのか、とひたすら驚きました。

 

演奏は30年前のままですから、「サウンド古くなっていないのか?」と思うのは普通かと思いますけど、そういうものではないのですね。

 

角松さんの歌が30年前の演奏家をそのまま「タイムトンネル」で現代のスタジオに立たせて演奏させてしまったのですよ。

 

たまげました。

 

正確に描写すれば。当時の演奏家の実力がはんぱなく高かった。そのセッションと丁々発止のやりとりを楽しんでいるというとってもライブ感あふれる歌唱なんです。

 

これ、角松さんのライブ盤なんです!時空を越えたライブ盤。すごい!

 

あの頃を懐かしむものじゃないんです。この21世紀のライブレコーディングなんです。確実に「今の」角松さんなんですね。いやはや。。。。

 

参りました。

『フルメタルパニック!戦うボーイミーツガール』賀東招二 著 四季童子 イラスト

温故知新。僕がライトノベルを読み始めた時点でジャンルを代表するヒットと言われたものを読んでみる、のシリーズ。

 

ロボット戦闘、秘密組織、オーバーテクノロジー、美少女、学園もの、、、ということでしょうか。ごった煮という感じはしませんで、これはハードボイルド、アクションものというのが読んだ印象です。

 

文章はとてもスピード感があって、どんどん読み進んでしまいます。途中沢山出てくるミリタリーな蘊蓄も割りとあっさり読めてしまいます。文章のスピードって何?ということで言えば、簡潔な説明ということでしょうか。

 

主人公、その所属組織、その敵、などの詳しい説明はありません。すべて謎のまま第1巻は終ってしまいます。その後ロングヒットとなったのも続きが読みたくなるこの展開だったからでしょうか。

 

まあ、「殺人マシン」みたいな経歴を匂わす主人公が、天然?なヒロインに接するうちに、人間味に目覚めるというあたり、年齢が10年上だと大分違った描写になるのでしょうけど、何しろ高校生ですから、「若さゆえ」にどこかしら切実過ぎる感じですね。

 

もちろん、先に挙げました各種の要素は「これぞ中二病」というに十分です。ねーよ帝国主義全開ここまでくればあっぱれ。読ませてくれます。シリーズとして長く愛された理由はよくわかりました。とっても面白かったです。え?もう1巻終りなの?という。はい。

『Power Rangers』ディーン イズラライト監督

Power Rangers』シリーズを教えてくれたのはまだ小学生だった息子でした。スーパー戦隊ものを石森先生(僕にとっては石森先生)信奉者な僕は息子に見せていたのでした。

 

CATVでシリーズを連続して配信していました。これがなかなか面白かったのです。アクションシーンは日本の映像、でもドラマ部分はアメリカのオリジナルというまさに「合体」作品でした。

 

放映当時からかの土地ではすざまじい人気となったそうです。あのシュワルネッガー先生主演のクリスマスに子供のプレゼントがない、という大騒ぎのコメディはアメリカでの実話だったとかで、本当にびっくり。そう、このパワーレンジャーのおもちゃが全米で品薄になってクリスマスシーズンにパニック状態になったとか。。。。

 

僕は『ロスト ギャラクシー』が一番気に入りました。この話、実は俳優の病気交代とその復活という「現実」とリンクした感動的な展開でもありますし、初めて日本人スタッフがメインに係わるというシリーズでもありました。

 

向うでの人気のすざまじさはDVDセットの値段のけた違いの安さにも出ています。だって、『ロストギャラクシー』セット、1500円くらいなんですよ。こりゃ、買うしかないでしょ。

 

さて、過日、会員証をもっている映画観の上映日程を調べていましたら、「パワーレンジャー」の文字が。。。。はて?と見てみましたら、なんと完全新作で映画が作られ、アメリカでは上映後絶賛されているとか。

 

燃ました!映画評も決して「こどもだまし」的なレベルではないようでしたし、なによりも、完全新作、それも始まりの物語をやるというのですから。

 

得点つき前売り券を購入し、公開の日を待ちました。

 

さて、近くの上映館で字幕はなんと8:35スタート。6時起きして、7時に自転車にまたがりスタート。45分かけて到着です。休日、しかも「ポケットモンスター」や「プリキュア」などがやはり同じ時間にスタートということで、早くも親子連れの行列ができていました。整理券まで出まして僕は11番目。

 

一番小さいスクリーンというのが哀しいですが、日本で上映してくれることがなにより有り難かったです。やはりスクリーンで観ないと。お客さんは年齢高め。もちろん僕はどうみても最年長。20代なかばという感じの男子2人組、お、女子2人組もいますね、40代くらいのひととか、、全部で15人位はいましたね。同志ですよ、もう、この時間にこの作品をこの車でしかいけないようなところに来ているなんてね。

 

さて、映画はまるでドキュメンタリーのようなトーンの映像で始まりました。とてもリアルな感触です。そうです、なんかこう社会派のドラマみたいな。。。。。って、「パワーレンジャー」はそういう側面が確かにありました。

 

子供向ということで、スクールカーストも、いじめや不登校などの問題もオブラートにくるまれていました。笑いというなかにうまく隠されていたともいえます。

 

それが今回はリアルに全面に出ています。5人の若者が抱えている問題は実にリアルです。そして、その問題は実は彼らがパワーレンジャーになっても現実には解決はしていません。

 

そして、彼らは当たり前にであったばかりでお互いを警戒もしていますし打ち解けてなどいません。個人的な問題に対してももやもやしている彼らはチームとしてなど機能せず、それらが原因で変身ができません。

 

親玉のゾードンはそんな彼らに失望を隠しません。はっきりとそれを言いますし、彼らを見捨てて自分で敵を倒そうとします。甘くない、、、、いえ、、、実際の僕らの判断と変らないです。

 

そうした状況下、彼らがぎりぎりのところで心を開きあい、仲間になってゆくところはしびれました。

 

140分の長尺ですけど、180分くらいやって欲しかったくらいでした。しかしまあ、いつも思うことですけど、向うの映画の役者のレベルの高さにはうならされます。若い彼らには微塵も甘さがありません。女性ふたりがミュージシャンというのも何かこう示唆的です。。。

 

大人になったパワーレンジャーファンが、「やっぱり俺たちが好きになったものは本物だったんだ」と胸を張っていえる、そんな作品になっていました。素晴らしい。

 

しかし、まあ石森先生はアメリカでも一体何人を「食わせて」きたのでしょうか。なんと素晴らしい「土台」を作ったのでしょうか。何度も自慢まんまんに言いますけど、子供の時、友だちと先生のお宅にノーアポで行って、ケーキと紅茶をごちそうになった僕は天国の先生に空をみあげて感謝して家路につきました。

『NieR:Automata』3週しましたので。

還暦間近遅れてきたゲーマー(笑)、PS4がスリムになったところで購入したはよいのですけど、走らせるべくソフトで、これがというものがありませんでした。そこにこのソフトの予告編が目に突き刺さったのでした。

 

ネット上に感想、攻略なのは沢山ありますね、みなさんこの作品が好きになったんですよね、僕もそうです。ここのところずううううっと、この作品にかかりきりでした。やっと3週目終りまして、文章を書く気持になりました。

 

僕は戦闘モノって苦手なんです。どうも敵を倒すとか殺すとか壊すとか、後味悪いんです。「誰か"話せば分かるコマンド"実装してくれないかなあ」って思うんです。現実が話しして分かりあえないが故に余計に、せめてゲームの中でくらい話し合いで収まらないかなあって。。。

 

なので戦闘は「オート」で押し通しました。でもオートでは解決できない場面がちょくちょく出てくるんですよね。そこは気合い入れましたけど、やっぱバトルは辛いです。

 

まずはオートセーブないバトル苦手人間をくじけさせるステージ。これ、本当に大変でした。でも、まあ操作練習だからとがんばりました。

 

誰かがネットで「2Bの尻で150万本」とか言っていましたけど(笑)、2Bは魅力ありますよね。ベルベット素材?のボリュームのあるスカートにブーツ。なんで目隠しし?と思ったらのバイザー。なかなか秀逸な造形ですよね。

 

廃墟が美しい。動物が沢山いるのも新鮮。でも、本当だったら、昆虫の楽園になっているかもしれませんよね。あちこち蟻塚とかゴキブリうじゃうじゃとか(笑)。絶対やりたくないゲームになっちゃいますね。

 

滝がある水のある風景というのが素晴らしいですねえ。観ているだけで飽きません。

 

お話はひたすら欝展開ですね。途中かなり辛くなって止めたくなりましたけど、最後まで見届けたくなる力に引っ張られて終着点までなんとかたどり着きました。

 

2Bが汚染されて、汚染波及を回避すべくふらふらになりながら行くところは泣きそうになりました。「もういいよ、もういいじゃないか、そこまでタコなぐりかよお」って。気持が高ぶって、手もとが定まらず、かえって2Bが苦しんで死ぬ場面を繰り返してしまうという、、、あれはきつかったです。

 

最後アダムたちに誘われて、お誘いに弱いものですから「はい、ご一緒します」って答えてしまいましたけど(笑)、残留のほうが良かったかもって、、、あのバトルもう一度やりたくないんですけど。。。

 

テクノロジーに絶望しても、カルトにも依存はできない、そう、ひたすらただ百億の昼と千億の夜を生きて行くだけ。。。。って。。。。。。そうですよね、無常観からすれば、戦記ですし、これは21世紀の『平家物語』『太平記じゃないでしょうか。

 

砂漠で出現する自爆ロボットは説明不要でしょうし、ゲーセンのようなハッキングは「モニター上の戦闘」という現代の戦争そのものですしね。。。。主不在の家臣家来だけの戦争って、本質かもしれないですね。

 

このゲームのためにPS4買うというのも、ありですよ。僕はお勧めしたいです。はい。

 

あ、プレミアムサラウンドヘッドフォン。よいです。臨場感抜群。装着感も悪くないです。お勧めです。

 

しかし、僕の回りでこのゲームの話できる人がいない、、、なあ。。。。還暦間近でもみなさんお仕事が第一みたいだし。。。。『君の名は』とか『この世界の片隅』とかも、話できない。。。。来週『パワーレインジャー』なんだけど、、、これも話し相手いないなあ、、、息子だけか。。。。僕も9Sなみに孤独かも。。。。

『デッド オア ストライク』西森 生 著 第2巻まで

あらすじの説明無用の野球マンガです。『アストロ球団』に熱中した僕には手放しで楽しめる作品です。

 

勝った者だけが「正義」の価値観からすると、確かに完全に勝ち抜きシステムである「甲子園大会」はそれを象徴するイベントですよねえ。なにしろここでは政治でさえ高校野球の勝ち負けで決まってしまうというのですから徹底してますねえ。いいなあ、こういうの。下手な風刺より効いてます。

 

僕の理解では、少年マンガというのは「インフレーション」が本質です。つまり、テーマは常に「違い」、なのでその「違い」をどんどんエスカレートしてゆくことで物語を駆動して行くのです。

 

俺とお前は違うんだ!

 

違いすぎることが極限まで来ると、違いを担保しているカテゴリーを越境してしまうので、カテゴリー的には「違いがない」っていう結末になりがちというのが、少年マンガの危ういところですね。野球への姿勢は正反対だけど女の子の好みは一緒、みたいな感じでストーリーが完全に袋小路になってしまうわけです。おいおい、いつの間にラブコメになったんだよお、とか(笑)。

 

少女マンガは逆です。違い故にあった緊張感が物語が進むにつれて、段々とやっぱり同じところがある、分かるところがあるねって、違いを解消させてしまって、全員仲よくなってしまう、という。。。「同心円構造」に帰着して物語が停滞してしまうという。

 

で、このマンガ、少年マンガなのにどこかしら少女マンガっぽいところがあるなあ、と思いました。途中「美内すずえ白眼」が出てきたので、もしかしたらと思いましたら、作者さん女性?

 

このマンガの良いところは、女性が参謀であるところですね。お飾りの「かわい子ちゃん最低5人出しておけ」ではなく、はっきりとした目的、意思と戦略を持って立っているのが痛快です。今のところ女性たちより頭の良い男は出てきていない(笑)。雪村マネジャが格下マネジャを大局観がないみたいに切り捨てるところなんか、しびれましたねえ。

 

男たちは野球バカばかり(笑)。でも、いいですねえ、キャラ立ってます。僕はアフロが気に入りました。語りますよね、彼。その語り口が必殺シリーズっぽいので。

 

数々の少年マンガへのオマージュも練り込んで、この先どこへ行くのでしょう。必殺技がインフレを止められず、自重で瓦解していった過去の名作たちをどうやって越えて行くのかなあ。是非、素晴らしい方法論でやって欲しいです。

 

 

阪神ファンが観た6.8ジャイアンツ対ライオンズ

野球は楽しいので、阪神以外の試合もよく観ます。嫌いなチームなんてものは僕にはありません。どこに所属していようともスーパーマンたちのプレイはやはり素晴らしいからです。

 

去年も同じ球場で同じカードを観てました。チケットを買った時にはまさかこんな位置づけの試合になるとは夢にも思いませんでした。まさに異様な雰囲気とはこのことでしょう。

 

生で試合を観ていないとわからない「雰囲気」みたいなもの、そしてマスコミなどがあれこれいうのとは全然違う「実際」が目の前にあるのですけど、どっちかのチームに肩入れをしているとやはり「外野情報」に目が曇りがち。こういう「観戦武官」みたいな立場での観戦は実は僕はかなり好きです。

 

西武ドーム(ころころと名前を変えるので僕はこう呼びます)は、山の中の「半分ドーム」なので、かなり自然条件の変化に左右されます。この日は湿気がなくて、こういう日は球がよく飛ぶんです。カブレラの180m弾もこの球場ならでは。ちなみに僕、その場外ホームランの時、外野で息子と寝転がってまして、自分の真上を通過した打球にただ唖然としました。はい。。。。

 

あと、この時期だと「西日」が結構気になるレベルなんですよね。まあ、マリンスタジアム程ではないですけど、まぶしいですよ、三塁方向からの夕陽。

 

『球場三食』( 渡辺保裕さんの快作)に敬意を表して、水餃子、牛肉串にビールを買って内野最上段の端席へ。オーダー発表をみてびっくり。

 

「これジャイアンツは空中戦に持ち込みたいわけ?ここでは無理だよ、空中戦ならばホーム圧倒有利じゃん!」

 

これは「谷風」が吹く地形そのまんまの球場の形が影響しているんです。行った人は内野席の階段の長さにうんざりするでしょう?。トイレ行って戻ってくると誰も息切れてますよね(笑)。この地形的な条件、風、温度差、などを考慮に入れてプレイするのはマリンスタジアム同様ビジターには難しいと思います。

 

この日のホームランもそうでしたけど、おかわり中村選手のホームランも、多くはポール近く。それも両翼。僕は「両浜風や」って思ってますけど(笑)。なんか、ホームランじゃないみたいな角度のフライが外野近くで浮き上がるように伸びる感じです。バックスクリーンまでは行かないだろうって、見ていると入ってしまう感じです。

 

秋山選手のコンバットマーチじゃあないですけど「勝利を呼び込む風」が、独特の風があるんです。それはセのチームには分からない部分なのかなあって思いました。

 

たぶん、ジャイアンツの飛ばし屋のみなさんは打撃練習で「今日は飛ばない」って思ったのでしょうか?でも、この球場を知るファンでも逆に今日は飛ぶって思ったはずです。素人なので推測ですけど、上から強く叩いて角度をつけても上がらない、割合と非力にレベルスイングすると「勝利を呼び込む風」にボールが乗る感じです。

 

ラジオで谷繁さんが、浅村のフルスイングについて「なにもそこまで振らなくてもって思うくらい振る」「西武時代の和田さんのスイングには思わず笑っちゃいました」と。まあ、おかわり君もそうですけど、あれは「フォローが大きい」ってことじゃないかと思うのです。それはたぶん球場の特性上、そうするとよく「風に乗る」からではないでしょうか。。。。

 

さて、ジャイアンツの強打者のみなさん、飛ばないのならばヒットの連打勝負?でも、走れない選手ばっかり、小技のない、それも右ばっかり。。。。。おいおい、どうしてしまったの?これじゃあ、なあ、、、、と。思って2杯目のビール飲み出したあたりで試合はとんでもないことに。。。。

 

で、連敗中、それも「あのジャイアンツが」なので、まあ色々な人が色々なことを言うんですよね。V9時代の死闘(お家騒動を含みます)、暗黒時代を知る阪神ファンジャイアンツの連敗を結構気にしているのではないかと。これは色々な因縁があって、どうしたってジャイアンツのチーム事情を気にする癖がついている阪神ファンならではかもしれません。違いますかね。。。

 

僕は東京で生まれたので野球少年時代前半はジャイアンツしか見てませんでしたし、もともと嫌いなチームというものがないので、「くたばれジャイアンツ」とかいう応援、野次をしたことはないです。

 

思えば、松井がすざまじい慰留条件を蹴ってNYに行ってしまったあたりではなかったかと思うのですけど、応援席から「くたばれ」が聞えてくると、「本当にくたばったらどうすんだよ」って思っていました。で、本当にその兆候が出てきてしまった今、プロ野球どころか、野球ってジャンル自体の問題の最先端がジャイアンツで「発病」してしまった、そう思うんです

 

狼少年言動ではないですよ。ジャイアンツのwebsiteみてみてください。投手だけで育成を含めてこれだけの選手を抱えているんですよ。他でできます?ホークス?いえ、いえ、黎明期から80年の歴史、大都市東京、そういう条件を考えたらやはりプロ野球の、ひいては野球の代名詞なんですよ、ジャイアンツは。

 

東京のど真ん中で主催ゲームは少ないときでも2万以上動員できるんです。すごいです。

 

普通に就職先としてジャイアンツを考えてみてくださいよ。一般業種で言えば入社即部長就任みたいな条件ですよね。支店長。ブロック部長。いやあ、どのみちスーパーマンクラスです。

 

中学生でジュニアで名前があがってくるようなひとがごろごろ。でも、野村さんが相当前から懸念していたように、「お山の大将だらけ」で「人間教育」がどこかにいってしまったら。。。。って、僕の言葉で言えば、

 

スーパーマンたちは「天才型」なので、少年野球時代から頼られることはあっても、頼ることをしてこない、故に「助けてもらう」経験が少ない、故に「人を助けることができない」。

 

歩のない将棋は負け将棋。勝負は主役とわき役がきっちり機能してこそ総合力で勝てる、わけですよね。超一流でも3割しか打てない、超一流でも20勝はできない。3割打者を3人そろえたら9割にはなりませんし、20勝投手を4人そろえたら80勝できるわけではない。かえって正常に稼働する確率は下がります。

 

0.3+0.3+0.3にはならず、0.3x0.3x0.3になりがちです。どうしてでしょう。だって、ワンマンアーミーみたいなひとばっかりで「助け合い」「補い合い」がないので、マイナス面が足し算になることはあっても、プラス面が相乗効果をあげることがない、からです。

 

かくして「四番バッターばかり」になった時にジャイアンツはまず最初の「崩壊の前日」をみせてしまいました。それを反省した清武体制は、どこかのチームのお家芸だった「内紛」で消し飛んでしまい、「崩壊の始まり」にスイッチを押してしまいました。

 

でも、これって、高校野球でとっくの昔に始まっていましたよね。「野球留学」なんて、大型補強と同じですし、勝利至上主義のレギュラー偏重、レギュラー選手酷使も唐の昔。で、その強豪チームに入るべく存在する中学生チームがそれをまったく同じように真似する。

 

結果、典型的なスーパーマン、ワンマンアーミー、天才型が、少年期から「名門」巨人軍を目指す、と。。。。。

 

言われて久しいですよね、アメリカみたいなリトルリーグの選手起用を少年野球ではやろう、とか。でも、今年の選抜高校野球での21世紀枠へのブーイング発言みたいに、「教育段階でのスポーツとはなにをすべきなのか」はどこへやらの勝利至上主義跋扈は相変わらず。

 

思い出すのは、亀田兄弟が話題になっていたときに、あるタレントさんが、「非常識ですよ。今の日本、高校出ていないとどうなるか。彼らだってこれからの人生の方が長いんです。ボクシング後の彼らは苦しむことになる。それが分かっていて、親がそれやります?」と言っていました。

 

Bリーグで、現役選手が公認会計士資格をとったとか。必要ですよ。そうした「一般社会で生き残る技術」。

 

超一流選手でもプロ野球で10年やる人はほんの一握り。その後の人生の方がはるかに長いのです。ワンマンアーミーみたいな生き方しか知らない人はどうなるんですか?球界を代表する選手だった人が薬物につまずき、とか、現役選手の賭博とか、崩壊は進んでいますよね。

 

若い選手はおやじたちの勝利至上野球に使い捨てられないように、注意深く生き抜いて欲しいです。

 

まあ、「知人」とやらに汗水たらして稼いだ数億円を騙し取られて随分と高額な社会勉強をしてしまった人が監督をやっているチームは、少しは「人間教育」を口にしてきているようなんですけど、野球エリート揃いのジャイアンツ首脳陣はどうなんでしょう?まあ、タイガースも「天才型」の「守備に興味がない」という若い選手を、自分のピッチングにしか興味がない「天才型」の若い選手をどう「教育」するのか、ファンとしては見守るしかないです。

 

試合に戻りますと、ライオンズはとにかく「進塁」の野球でした。守りは源田選手が固定されて隙がなくなりました。去年までとは大違い。打撃ではとにかく進塁打、逆方向。それしかしないのです。メヒア選手だって例外ではなく、どうみてもセンターから逆方向しか狙っていないですね。あの「ラッキーな」ボテゴロだって、その姿勢が生んだ「必然」でしょう。いやはやもう呆れるくらい徹底していました。

 

クリーンアップに回せっていう野球ではないです。進塁打を積み重ねて得点するというものですね。先頭は出塁、出塁したら進塁。明確な方針です。分かりやすいし、打撃があんまり得意でない選手でもヒットではなく「進塁」なら俺でもやれるって気になりますよね。

 

思い出すのはバレンタイン監督時代のロッテマリーンズ。里崎さんによれば「みんなで2塁打を打とう」という明確な方針があったそうです。道理で、ね。あの屈辱の日本シリーズでそれは思い知らされましたよ(笑)。

 

源田選手のホームランも、掛布さんの言うところの「ヒットの延長線上にオーバーフェンスがある」ってやつです。逆方向への犠牲フライが「勝利を呼び込む風」に乗っただけのことです。辻監督はバレンタインさん同様の方針をチームに浸透させたのでしょう。

 

対して、ワンマンアーミーが連なるジャイアンツは進塁打が出ません。さすがに天才坂本選手はあり得ない体勢で三遊間に転がして進塁を実現させましたけど、やっぱり「ひっぱり」なんですよね。

 

なんだか「なんとかしようとしている」で、終っている感じでした。全部。その「なんとか」を明示するのが監督、コーチじゃないのかなあ。。。。監督が「なんとか」と言う時点で戦闘終了でしょう。

 

歴史的な連敗記録更新ということで、前にもまして色んな人が色々なことを言って、この僕も同じなんですけど(笑)

 

僕は、ジャイアンツは先頭に立っているがゆえに、ここ何十年もの、プロ野球を頂点とする少年野球から高校野球、社会人野球を含むシステムの問題が形になっただけ。そしてそのシステムは崩壊の過程が進んでしまっていると思います。誰も、現時点でこれを止められる人は現れていません。

 

岡田さんの30チーム1リーグ制も良いかもしれません。が、実現には現在の球団が「ひも付き」ではなく、自立した事業体になる必要があります。その意味では独立リーグに希望は残っていますが、どうなんでしょう。

 

阪神ファンは今でもグッズ購入で、アイドルグループのファンみたいに「買い支え」している感じですけど、本当に親会社から離れた場合、どれだけの人が例えば年間会費10万円とかで買い支えますかね。大阪の企業たちがどれだけスポンサーになってくれますかね。僕が生きている間に真の「大阪タイガースは実現するでしょうか。

 

まあ、ジャイアンツはまずは自前の球場を建設運営する団体になって欲しいと思います。そこが日本の野球振興の中心となって、アマチュアからなにから1年中野球の試合が行われている場所になっていたら、真のボールパークになっていれば、と思います。

 

全レベルの野球に責任を持つ球団に変身して欲しいですよ、ジャイアンツには。もちろん、タイガースにだってそういう姿勢は欲しいですけど、まずは先頭切って「東京ジャイアンツ」に生まれ変わって欲しいです。

 

ベンチ入りした選手の全員出場、複数ポジションできるオールラウンダーをそろえたチーム。監督、コーチの「審判資格習得義務」。などなど、リトルリーグがグレードアップしたような、そんな野球。そこでは「連携」だけがある美しいプレイが見られる。。。。かな。