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海辺の風景

海野さだゆきブログ

『きょうの日はさようなら』一穂ミチ 著

父親が突然つれてきた親戚の女の子。彼女は家族を失っているということ以外は謎が多い。同世代の娘、息子のふたりは、彼女のことを知ってゆくなか、想像もできなかった事情を知る。そしてやがて訪れる別れ。

 

これは一種のタイムトラベルものと言ってよいのではないでしょうか。本人の時間が止るという形のタイムトラベル。その意味では「神秘の世界エルハザード」を僕は思い出しました。あれもせつない話でしたが、これはなお切なさがつのるお話でした。

 

僕は今時のもののしゃべり方が、年寄りっぽく、嫌いです。なにか、大切なものがあやふやになるものの言い方のように思うからです。実は自分の世代のものの言い方も好きではありません。古典などを読むと、語彙の豊かさとか、比喩、暗喩自在の表現にうたれます。そういう言葉がいまはもうないのです。

 

では、擬古文でいいのか、と言えば、そうでもないように思います。肯定的にいえば、今のものの言い方は、今を確実に表現していますから、「後に」振り返れば、時代を鮮やかに蘇らせるのですね。

 

謎の少女と、いまどきの娘と息子との最初のやりとりが言葉をめぐってのあれこれであるのが、僕にはとっても良かった。そこが核心なんです。この物語の。たぶん。

 

話は謎解きを軸に進んで行きます。父親から真実を知らされ、娘と息子は否が応でも大人になります。自分達は過酷な現実からどれだけ守られてきたのかを知るからです。盾になっていたのは誰なのかを知れば、親に向かうことが社会に向かうことにならなくなり、直接社会と対峙しなければならないことを知れば、誰でも大人になります。

 

父親が真実のすべてを吐き出した時、彼は父親としての役割は終り、子供達は親を社会との仲介者にできなくなり、その意味ではこどもではなくなったのです。これは家族の終焉の物語でもあるのではないでしょうか。

 

最後のシーン。辛かったです。でも、不思議と沸き起こる、希望もまたそこには確実にありました。

 

すばらしいお話でした。