ギャグ、特にナンセンスギャグは揺り動かないポリシーが必要です。正面切って設定された人物やらなにやらを簡単に置き換える程度では本歌取りにもなりません。元ネタを逆照射することで、元ネタが持っていたテーマ性を先鋭化するくらいの根性がなければ、単なる揚げ足取りでしょう。
さて、鉄腕アトムの血筋、すなわちデカルトの「亡くなったわが子の生き人形」の直系なんですね、このかわいらしい「ざるそば」ちゃんは。
でも、お父さんは「イデオン」のドバ=アジバ並の何かこう、やりきれなさを持っているわけでもないのですね。あ、そうなんです。僕はこのかわいい「ざるそば」ちゃんには、宿命の「姉」か「妹」の「ざるうどん」がいるのだと思い込んでいたのです。二人は正面切って対決
「卑怯者の弾があたるものかよ」
と。。。。。。。は全くならなかったのが残念です。
色々な作品からの引用がなんかこうずぶずぶなんですね。でも、それは僕には正直な作品の証左のようにも思えました。20世紀の作品群が消費され尽くして、ふにゃふにゃなんでしょうね、リアルタイムで作品を経験していないであろう世代の人には。
ですよね。僕らの世代も前の前の世代の作品をふにゃふにゃにしてしまっていましたから。
「なんじゃこりゃーーー」
と竹中さんが登場したときに、ジーパンの死が、何の「死」なのかなんて、僕らの世代には全く伝わっていなかったんです。僕は例外的に前の前の世代にシンパシーがあったので、「傷だらけの天使」の「死」同様、何の「死」なのか、受け止めたつもりですけど、偉そうですかね。
今の若い世代の方って、そばの出前なんて頼みますか?頼みませんよね。そもそも町のそば屋さんが絶滅の危機ですよ。そばは立ち食いかカップ麺でしかなくなっているのではありませんか?
そばの出前を頼むって、一般家庭ではお客さんが来たときの「ごちそう」だった、なんて信じられます?
この作品の「ざるそば」は、そうした「ハレ」の雰囲気をまとっているから、巨乳でかわいいのですよ。
なので、この作品が、「ざるそば」のお父さんの「昭和テルミドール」だったりすると、「くれよんシンちゃん」のあの映画を超越するような壮絶なルサンチマン作品になったのではないのかしら、と昭和ど真ん中のおじいさんは思うのでした。はい。