とても残念なことに堀江貴文さんが「もうイベントやりません」ということを動画で宣言してしまいました。
www.youtube.comそれでも彼は具体的な案を出しているんです。
僕は彼の信奉者でも反対者でもありません。彼は数少ない根拠と論理のある方なんです。彼の意見に賛同する時もそれは違うなと思う時も根拠と論理からそう判断できるのです。これはとても大切なことです。
僕が思うに、「絶対正しい人」を求めている人が彼にいらだっているように思うのです。
でも、状況は常に変化するし、ありとあらゆる場所や人にあてはまるようなことはまずありません。「老病死」くらいでしょう。それは僕ら高齢者が主に自分のこととして考える、向き合う問題です。
現在現場で戦っている人は「絶対正しい」によりかかることなんてできません。彼らはありとあらゆる状況、人間にあてはまる「絶対解」なんてないことは分かりきっています。
常時情報を集め、分析し、議論し、行動指針を作り、実装し、検証し、を回し続ける、ですよね。消耗します。長いこと現場で戦うなんて無理です。
どんな現場でもです。僕だって降りました、何度も。
なんにせよ、まずは情報収集と議論なんです。そして議論できるひとがいる、これが一番重要なんです。議論が出きる堀江さんをうんざりさせて何の利益もないです。
現在、降りたくても降りるわけにはいかない、そう思ってとどまってしまっている人たちがいます。でも、彼らはいつまでももちこたえられません。
彼らはベテラン、経験値の高い、対応能力の高い、エキスパートです。その人たちがバックアップなしにやっているのです。いつまで持ち堪えられるでしょうか。彼らも彼らが維持している施設、システムも。
彼らが倒れた後、どうなります?
ベテランパイロットをほとんど死なせてしまった、頼りの空母を沈められた日本軍はどうなりました?
医療スタッフ、など、ことがことだけにスポットがあたっていますが、僕は
「 排出系」の仕事のひとがもう限界を超え始めている。それが社会の底が抜けるということがどういう事なのかの「実物」を目の前に見せる、と思っています。
いくつか挙げます。
ゴミ処理。
みなさんが捨てたそのマスクは誰が処理します?医療、介護施設、そうしたところの「ゴミ」は誰が処理します?処理する人たちにそれらは集中するんです。処理後は無害でしょう。でも彼らは処理前のもの「も」処理する仕事なんです。
これほどの量が圧力となって彼らにのしかかっています。持つわけがないです。感染性廃棄物は通常とは違うルートで処理されますが、こんな量をさっさと処理できる能力をどこでも持っているかといえば、ないです。はっきり言えます。
例えば特別養護老人ホームや老健で今回感染がでましたが、感染症の人が「排出」した「モノたち」は通常とは別の処理をしなくてはならないのです。そうした用意はどうなのでしょう。彼らは感染性廃棄物を「完全に感染性を失わせる」だけの設備を持っていますか?
結局業者に委託するしかないのです。
ちょっとデータが古いようですが
国医療系廃棄物処理業者リスト
https://www.nippo.co.jp/next/image/list201604.pdf
全業者ではないですが一日の処理量が出ています。どう思います?
東京で感染爆発が起きた場合を想定します。僕のような年寄りは東京ゴミ戦争をすぐに思い出します。
放射能廃棄物処理をめぐっては他人事である東京都民のみなさんも、今回は無関心でしょうか?はて.。.。.。千葉や神奈川、埼玉が東京から発生する大量の「感染性廃棄物」を引き受けてくれますかどうか。
そして、現場で働いている「作業員」「運転手」「オペレータ」は?どうなります?
今、彼らは防護服を着用していますか?この先は?どうなんでしょうか。
小学生の時に初めて観て、その後中学、高校、社会人と何度も観た映画に『渚にて』という作品があります。
この映画のラスト。子供だった僕を「どうやって撮影したのか」と震え上がらせた無人の都市、絶望的な気持にさせた「まだ時間はある兄弟よ」という横断幕。核戦争勃発が現実の日程に上った時代のリアルです。
僕はだた恐怖をあおるつもりはありません。重大な問題に際して、根拠と論理をもって「議論」できる人をひとりでも失ってしまってはいけない、そう訴えたいのです。
議論はひとりではできません。議論し、現場をバックアップする、問題解決をする「頭脳」集団、それは特別な存在ではなく、目の前の問題を解決すべく、全部の場所に必要なのです。
考える素材、具体的提案をしてくれていた堀江さんをこういう形でうんざりさせた損失は小さくはないです。そう思います。福岡伸一さんが本日漬けの朝日新聞に論を寄せています。山中教授も重要な提案をしています。
それら「頭脳」の「提案」を受けて「自分で」「根拠」と「論理」をもって考え、対策を実装する、です。各自実装しましょう。
追記 4月4日
感染症は新型コロナ「だけ」ではないのです。他のウィルスや細菌がコロナに遠慮して「自粛」するなどということはありません。
僕は子供のころに、季節性インフルエンザで体力奪われたところに溶連菌感染によるリウマチ熱に追い討ちをかけられ、2度生死の境をさまよいました。
二次感染、混合感染、複合感染などと呼ばれることにも注意をむけて欲しいものです。
あの苦しさは一生忘れないものになりました。そんな僕の命を長年救ってくれた主治医は最初に
「無菌室で人生過ごすわけにはいかないんだよ」
と、あれもだめこれもだめの何もさせない方針の過干渉の親に一喝。僕自身は抵抗力が上がるのが先か、ウィルス、細菌が勝つのが先かのチキンレースに人生をかける決意を固めました。そして、トレーニングを開始。あれから50年、なんとか生き延びはしました。
昭和半ばの医療レベルは今よりも低かったでしょうが、ウィルス、細菌との向き合い方に劇的な変化などないと思います。