2008年だったんですね。読みたいと思って10年もたっていました。読んでみて期待を裏切らなかったなあ、と思いました。
どんな状況も日常になるんです。
戦争を異常事態と捉えるのは完全に間違いだと思います。戦争とは日常の延長、わかりやすく言えば、凝縮、典型的なものが純度を高めて「そこにある」ものなのです。
世界がほろびる日に
かぜをひくな
ビールスに気をつけろ
ベランダに
ふとんを干しておけ
ガスの元栓を忘れるな
電気釜は
八時に仕掛けておけ
(石原吉郎)
例えば、前の戦争で「徴兵」された人に給料が支払われていた、ということにさえ驚く人に出会って、私の方が驚いたことがあります。
昭和20年軍人給料(年額)
大将 6600円
大佐 4400円
大尉 1860円
曹長 75円
軍曹 30円
上等兵 10.5円
一等兵 9円
二等兵(甲)9円
二等兵(乙)6.5円
戦地増俸(月額)
大将 545円
二等兵 12円
(伊藤圭一『兵隊たちの陸軍史』)
これを命の値段と考えるのはちょっと違うなあ、と思います。人は衣食住あるんです。その衣食住に例えば陸軍がひとりあたりどのくらいの「経費」を見積もっていたのか、興味ある人は調べてみて下さい。
まあ、ガタルカナルで餓死者が続出してた時でも、ラバウルにはウィスキーが陸揚げされていたワケです。
日本は沖縄地域などで上陸作戦での地上戦を経験しています。ですが、いわゆる「本土」ではなかったらしいのです。そして、戦闘員300万の死者といいますが、これも「軍属」とか「民間協力者」は含まれていませんが、当時人口を1億人と見ると、
3000000/100000000
30人にひとり.。.。.。.。学校のクラスにひとりいるか。.。.。ナチスドイツと長期の地上戦を戦ったソ連は.。.。
この戦いにおいて、特にソ連側の死者は大規模である。なお、独ソ戦の犠牲者(戦死、戦病死)は、ソ連兵が1470万人、ドイツ兵が1075万人である。民間人の死者をいれるとソ連は2000〜3000万人が死亡し、ドイツは約600〜1000万人である。ソ連の軍人・民間人の死傷者の総計は第二次世界大戦における全ての交戦国の中で最も多いばかりか、人類史上全ての戦争・紛争の中で最大の死者数を計上した。
多くの日本のドラマが戦争中の日本の普通の家庭の「日常」を描いてきました。先日NHKで放映された片渕監督の映画も。実際、いわゆる「本土」では「日常」が確実にあったのだと思います。その「日常」を侵食する前に敗戦となった、、、。ので、いわゆる「本土」で「日常」を営んでいた人たちの戦争への想像力が、どうもこころもとない、と思うのです。
例えば、戦闘が敵味方にわかれてドンパチやる、なんていうのは、現実からもっとも遠い想像でしょう。いえ、百歩譲ってドンパチだとしても、実際はかなり違うでしょう。例えば
サバゲー?遊びじゃないか、って?いえいえ、
ゲームでさえ、この「視野のなさ」なんです。これが夜間だったらどうですか?ほぼ何も分からない。敵なんて見えたらそれは人生最後の記憶になるでしょう。映画やらは「神の視点」から描かれた娯楽なんです。
戦争は、戦闘レベルでも見えないものなんです。見えるのは「日常」なんです。
寝る、起きる、食べる、排泄する、歩く、休む、作業をする、、、、、.。。
ほぼ毎日行軍であった、中国大陸に侵攻した日本軍にとって、戦争は歩くことだったともいえます。
以前とあまり変わらない「日常」がそのまま「戦争と呼ばれる」。
そのいわゆる「戦闘地域」での「日常」と、いわゆる「本土」のひとたちの「日常」が奇妙に地続きになってきたと僕は思っています。
この作品はそれをまっすぐに描いた傑作だと思いました。ただ、なんで後日付け足したのかなあ、と思いました。たぶん、読者から分からないぞーの大合唱でも起きたのでしょう。作者はイラっと来て分かりやすいエンディングも付け足した.。.。のかなあ。.。。