海辺の風景

海野さだゆきブログ

語り部が口寄せになる?

YouTubeで気になることがあります。

 

僕が見ているのは音楽関係の製品レビュー動画くらいなんですけど、やはり実機をいじらないことには分からないし、もうこれ以上機材いらないかも、という結論に、、、、、

 

他の分野ではゲームの紹介とか、ですけど、ゲームってやるのに時間がかかる、僕は人一倍時間がかかるので、今やっているものと、これからやるつもりでとってあるものをクリアする時間を考えると、向う2年間は新しいゲーム不要かと、、、、

 

じゃあYouTube見る必要ないじゃん、って、、、でも、なんか見続けているチャンネルがいくつかあるのです。

 

で、その中で何故かそのチャンネルの専門性とは無縁の「人生相談」にはまりこんでいるところがいくつかあるのです。

 

レビュー動画がどうして「人生相談」になるわけ?

 

思ったのは、かのチャンネルは「語り」が軽快なんですね、その軽快さが聴いていて心地好いのです。語り芸と言えると思います。

 

そうして事象を軽快に「語る」ひとに答えを求めちゃう人がいる.。.。

 

ああ、自己啓発本とか、みーんな「軽快に語る」よなあ、、、、その軽快さ、耳障りの良さで、なんか問題が解決してしまうような「気分」になるんだよなあ、、、、

 

なんかこうラジオ感覚で軽快な語りを聴いて楽しんでいるのはよいと思うのですけど、そこにあるのは文字通り軽快な語りだけ、、、なのですよ.。。、、、人生相談も軽快に語ってくれますでしょうけど、軽快に語れるような問題はそもそも問題、障害にはならないでしょう.。.。

 

その先をジジ臭く言えば、面倒なことをあれこれやって、なんとか形にもってゆくことが、どんな分野でも一番面白いのではないかなあ、、、と、、、軽快なものは軽快に消えてゆくだけで、あんまり面白くないと思うよ、、、

 

ま、ベースはみるものじゃなくて弾くものだし、ゲームはみるものじゃないくてやるものだし、どっちも面倒だし(笑)