海辺の風景

海野さだゆきブログ

エレクトリックベースの世界へようこそ その2

さて、では私たちは目標をどこにおきましょうか?

 

予想外の設問ですか?何かを始めることはどこかに向かって歩き始めることだとは思いませんか?誰もあてどもなくさ迷うのが好きだとは思えません。

 

では、どこへ行きましょうか。そういうことを検討するときには、普通は「東京へ」とか「横浜のスカンディアへ」とか、はっきりとした「実在」の場所を定めるのが良いとされていますね。

 

だれそれさん?あ、それもよいですね。その人を知らない人もいるかもしれませんから、

 

こうしましょう仮にモーツァルトさんにしましょう。実在の彼はもちろんエレクトリックベース発明以前のひとですが、まあ、もののたとえで。

 

モーツァルトさんはあなたと同じように誰かを目標としたかもしれませんね。そうなると、目標の人が目標にした人も目標になりますね。目標のひとに近づくには、目標の人が目標にした人を目標にするべきでしょう。

 

ああ、もうお分かりですね、この方向は行き止まりです。きりがないからです。行き止まりになったら、問題解決は「そもそも」を考えるとよいと思います。

 

わたしたちは「楽器で音楽を奏でる」ことをするのでしたね。音楽は音、つまり空気の振動ですから、すぐに消えてなくなってしまいます。

 

楽器は確かに触れますし、しっかりしたモノでもありますが、それが奏でる音は「そこにずっとあるようなものではない」「つかんだりさわったりできない」のですね。

 

形あるもの、つまり具体的なものではないのです。きっと目標も同じ性質だと考えてよいのではないかとおもいます。

 

抽象的なのですから、目標も思い切り抽象的でよいのではないでしょうか。

 

そこで、またまた「そもそも」に戻りましょう。私たちはどうして楽器を始めようと思ったのでしょうか。音楽に心を動かされたからでしょう。それは驚きだったり、ふいうちであったりもしたでしょう。

 

私たちは「感動」しました。

 

では私たちは何に感動を覚えるのでしょう?「かっこよさ」「あざやかさ」「うれしさ」「かなしさ」「なぐさめ」「いとおしさ」色々と言い方はありますが、

 

簡単に言ってそれは「美しさ」ではないかと思うのです。その言葉でまとめてよいのではないかと思うのです。

 

私たちは美しさに触れたときに心動かされるのではないでしょうか。抽象的ですね。そうです、私たちはこの「美しさ」という抽象的なものを目標としたら、自分の「そもそも」に正直に進んでゆけるとおもうのです。

 

音楽ですから「美しい音」。どうですか?私たちの目標として悪くないでしょう?

 

私たちは美しい音を聴いて感動して、聴く側から聴いてもらう側へ行こうと思ったのですから、私たちは美しい音を聴いてもらうという事を目標にしましょう。

 

遠くにかすかに、しかし、しっかりと輝いている星のように。

 

ようこそ美しい音を奏でる世界へ