このシリーズの最初に書きましたように、作品を観ることと、作品を語ることは全く別物です。だいたいは作品にかこつけて自分の普段の主張をのべることに終わります。そこを汲んで下さると助かります。
いよいよヲタなんですけど、困ったのです。なぜ?この作品の本陣に切り込む感じだからです。それの何が躊躇させるかと言いますと、うっかり安直に語ると手痛いしっぺ返しを食らう予感がするからです。
「やばい匂いがぷんぷんする」
僕がこの作品に魅力を感じつつもちょっと怖いなあ、と思ったのはそのタイトルが最初です。
「なんで『無駄づかい』になるのかな」
愛すべきキャラたちは決して無駄なことをしているとは思えなかったのです。
しかし、ヲタで引っ掛かりました。彼女は漫画家になる夢を持っているようです。小学校の卒業文集にもそう書いてあります。高校1年現在かなり行き詰まってしまっている様子です。そして、小学校4年生の時の作品を読み直して色々思ったりするんですけど.。.。。
5年たってこれしか技術が上がらなかったのか.。.。.。
どうして?上達への道は今はそれこそ山程あるじゃないですか.。.。
あ、そこか!
彼女にとっては「ない」んだ。そうなんだー.。.。
ヲタ「まんがってどうやって書くの?」
バカ「どうやったらイケメン男子にもてるの?」
ロボ「わたしをわかってくれるひとはどこにいるの?」(おそらく)
ヤマイ「どうして私の人生は劇的ではないの?」
魔女「どうしてわたしの好きなものは理解されないの?」
ロリ「どうやったらおとなのおんなのひとみたいになれるの?」
マジメ「どうやったら私の思いを伝えられるの?」
リリィ「どうやったら私の思う通りに思い思われるようになるの?」
wannabeと笑わば笑え、ですね。僕はこれらの問いにひとつの共通点を見るのです。
「学校で教えてくれないし、学ぶこともできないこと」
ああ、なんだ、そんなことか。いえ、問題は、彼女たちが「答えがある」と思っている事だと思うのです。
マジメは「攻略法」として「観察と記録」といういかにも「学習の王道」を選択しますが、まったく機能しないのです、彼女の目的達成には。
バカは詰め込み記憶は可能ですが、トイレに行ったら、流れ出てしまいました。文字通り「身につかない」んですね。
学校の勉強が役に立たない、なんてことは僕はまったくもってない、と思います。学校で教えてくれるのは実は「フレームワーク」なんです。それは問題への最初のアプローチとして有効なんです。
そして、その頼りない武器をもって、数限りなく失敗するしか、先には進めないのです。
先に進むには、失敗を認めないと始まらないのです。そして、フレームワークの検討に入る、、、、、。
ヲタは美術の時間に何を学んだのでしょうか。国語の時間に何を学んだのでしょうか。
自分の前に提示された「歴史的にいって、これはやっとけよ」というフレームワークを前に、それを自分と結び付けることがなかった.。.。。
結び付けることをしなかった場合、「どうやってそうなるか」「どうやって作るのか」は見えてこないのです。
そうした結びつけを、いわゆる「気づき」は、学習というよりも、偶然の出会いなど、外的な要因が大きく作用すると僕は思います。彼女たちにそれがなかった.。。ようです.。.。
世の中が好きなものに触れる時間を増やしたのは結構ですが、強制的にでも出会わされるくらいのものも、実は必要なのではないかと思います。
考える、感じる契機になるからです。
ヲタをはじめ、「外部の鼓動」は感じつつ、そこにとどまれば、本当に時間の無駄づかいは止ることはないでしょう。しかし、一歩一歩、恥ずかしい思いさえすることをいとわず、そこから動けば、世界は動き出すのです。
ロリの体操服。バカの豚舎。ロボの「男子学生」。そしてヲタの低所得P。世界はそんなところから、ぱっくりと開き出すのです。
旅とは、偶然を生む契機、行けばわかるさ。