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海辺の風景

海野さだゆきブログ

『クソゲーオンライン(仮)2』つちせ八十八 著 にろ 東雲太郎 イラスト

あれ、2巻が出たのですね。サブタイトルがあからさまなのですけど、大丈夫でしょうか。

 

さて、ラノベの定番「異世界もの」の変形としての「仮想空間もの」ですね。この「所変れば品変る」を青少年少女に説くパターンですけど、三年寝太郎ですよね、つまり伝統的な青少年少女の物語として千年の歴史がある定番なのですね。

 

三年寝太郎の時代は、都が世界であって、田舎は人外魔境だったのですね。というか、稲作文化定着して、田舎はいわば「絶望工場」だったわけですね。すべてシステマティック。人は農作業の歯車。都会はすべてがあいまいで予測不可能。田舎ではどうにも役に立たなかったグータラ男が都会では成功者になる、というお話ですね。

 

それがまあ、工業化が進むと、都会も田舎と変らない状況になってしまって、寝太郎が活躍できるフロンティアはアフリカの密林になってしまいますね。Tarzan。そして、そこもまた均質化すると、なんと都会こそアフリカのジャングルって、いうかんじで地理的に逆転、まだらのひも、とかモルグ街の殺人とか、都市が得体のしれない場所に逆輸入みたいになってゆくのですね。

 

その都市も、都市伝説が消費しつくされた頃、またまた均質化してしまうのですね。どこ行っても、大手のチェーン店しかない場所になってしまって。。。。。

 

フロンティアは、ついにネット上の仮想空間に逃げ込んだ、わけですね。

 

ところが、そのフロンティアたるネットゲーム仮想空間が、段々と侵食されて行くんですね。その現れがこの小説でしょう。どこかしら「学園もの」になっているんですね。しょーもない学校を面白くしてゆくっていうストーリー、しょーもない学校を別のものに「見立てて」おもしろがる。そういう手法がここにもみえるのですね。

 

運営者が逃亡したゲーム空間ですけど、どこかしら停滞しまくっている学校に見えてくるんですね。逃げたメインプログラマーは校長先生?あまたのプレイヤーは生徒たち。という感じですね。

 

学校の危機を救う主人公たち。でもばらばら。。。。。

 

現代日本って、ほんとに学校ってものから離れられないのかなあ、って思っちゃいます。いえ、それはそれで「文化」として面白いですね。もともとは権力が作った権力に都合良さそうな装置だった学校が違うものになってしまう、そういう感じが庶民は楽しいのですよね。ふふふ。

 

って、「ゲームの終り」って、どこなんでしょうね。なんか心理療法の「治療の終りについて」みたいな、かなり難しい問題な気がしますけど。はい。