海辺の風景

海野さだゆきブログ

ぼーっと生きていたこともあったけど、ぼーっと死んでいたこともありました

なんだか、どなたかさんのツイッターみたいな連作になってしまいました。

 

チコちゃんに叱られ続けて、ふと、

 

「そういえば僕は1年間ぼーっと生きていたことがあったなあ」

 

と、ぼーっと思い出したのでした。

 

それは今から25年ほど前、35才の時です。某巨大組織で働いていた僕は心身ともに疲弊、このままでは自分も家族もだめにしてしまう、と緊急脱出ハッチを強制起動させたのでした。

 

巨大組織って入るのも大変だけど、辞めるのも面倒くさいんです。わざと問題起こしてつるし上げ経由で辺境に飛ばしていただいたのですけど、そこでも心の平安は戻らず、退職。遠く離れた妻の実家に幼い息子と身を寄せたのです。僕と息子と義理のお母さんの3人の生活が始まりました。

 

ピンチもピンチ、ですよね。正真正銘のピンチ。まあ、でも生き延びましたよ。あの状態で人生ジエンドというのはよくあることですけど、

 

あそこで1年間ぼーっとしていたから生き延びたのです。

 

それを思い出して以来、ってそんなピンチを忘れていたのかよって、忘れてました(笑)。僕はチコちゃんに叱れる度に

 

1年間くらいぼーっとしてましたけど(笑)

 

そこは海辺の地方都市。浜辺の公園で息子とふたり遊んでいたりしても、だーれもいないです。圧倒的な自然。それが良かったのでしょうか。

 

人間という形には悪い反応しか起らなくなっていたのですね。だから、「人間のいない世界」で自然に反応する部分を取り戻すことでその悪い反応を消去していったのだ、といまは思うのですけど、当時はそんな事も考える余裕もなく、とにかく圧倒的な自然の中でぼーっとしていました。

 

春が過ぎ夏が過ぎ秋が深まったころに

 

「そろそろ再始動しないとな」

 

と、現地で就職活動して、運よく採用されました。ですが、冬が来たとき、ある朝起きられないんです。すごく怖くなったんです。理由は色々出てきました、言葉の上では。「雪道が怖い」とか。

 

で、ぶるぶるがくがくしながら、折角就職できた職場に、電話で「すみません」とか支離滅裂な説明して辞めたんです。「出てこれるようになったら連絡して」とまで親切に言ってもらいました。贅沢なんですけど。ただ僕の全身から「これじゃない」が出てきてました。

 

あれ、なんか根元的な拒絶感だったのでしょうね。と、言いますか、回復の印だったように思います。

 

拒絶って、否定的にしか捉えられないでしょうけど、エネルギーがないと拒絶できなくなるんですよ。拒絶が出てきたという事は、僕にエネルギーが戻ったということだった、と今は思います。

 

元の場所で独りがんばっていた妻に電話しました。

 

「俺、すぐ戻るから」

 

まあ、「ちょっと待って」「あたしがそっちに行くから待って」「ひとりでがんばらせたあたしが悪かった」などなど、妻は必死に言いましたが、僕は押し切り、息子とともに車を走らせ、いざ帰還せん.。.。.。

 

峠を超え、広がる夜景を見たとき、僕はあの世から生還しつつあるって感じました。いえ、その時は本気で「生き返った」って感じたんです。体温が戻ってくる感じさえしました。

 

おいおい、僕は死んでいたのかよって。カッコよく言えば「象徴的な死」を「象徴的な胎内巡り」を経験していたんでしょうね。

 

僕はぼーっと死んでいた(笑)

 

25年経って思うのは、こういう事です。よく人間社会は複雑とかいうじゃないですか。でも間違いなく単調なんです。ほとんど同じことの繰り返し。

 

で、その繰り返しも負担でなければいいんですけど、負担だと故障する。

 

うーん、野球のピッチャーの「投げすぎ問題」と全く同じだと思うのです。

 

人って、同じ動作を延々繰り返すようにはできていないと思うのです。多様な動作を多様なタイミングで多様な負荷でやれるようになっていると思うのです。器用だけど華奢なんです。

 

で、時速150kmだ、変化球だ、一見あれもこれもやっているようですが、動作としては「単調」で負担のかかる動作なんです。そればっかりやっていると、ガシャーンと壊れる。

 

僕の場合で言えば、巨大組織で生き延びるって、中にいるとアレコレ複雑な状況を生き延びているようですけど、実は負荷が大きいだけの単調な「動作」なんですね。

 

対して、自然は圧倒的に複雑です。単純な対応はいっさい受け付けません。第一こっちの働き掛けなんてまったく影響ありません。ひたすら受け身でしかない僕は色々対処しなくてはなりません。浜辺を歩くことひとつとっても単調な動きはできません。

 

そして、当時まだ幼かった息子も自然に近い存在だったと思います。言葉ですべてが済むという便利さはいっさいありません。彼は世界にたいして単調には対応しません。僕は息子と遊んでいることで、どこかしら「幼子のよう」な部分を取り戻していったのかもしれません。

 

例えば「風」と言葉を発しても、風は一瞬たりとも同じではありませんから、言葉は有効ではありません。風は「真の名前」なんて持ちません。風をあやつることはできません。風は僕をあやつることもしません。そもそもそうした対峙できる存在や現象でもありません。そう思います。

 

ま、ようするに僕の中の何億もの細胞が「そんなことばっかりやるために俺たちはいるわけじゃないぜ」って、抗議していたんでしょうね。

 

「俺たちゃあ、複雑怪奇な自然の中で生き延びるために色んなもの持っているんだよ」

 

俺たちゃ毛皮がユニフォーム(笑)

 

毎日まいにち直線しかない空間で、単調な行動しかしなかった僕は自分のなかの「自然」を死なせていたのでしょう。

 

そして、枯れて死ぬことで次へゆくのが自然ってことだったのしょう。

 

ぼーっと生きてんじゃねー?

 

ぼーっと死んでました(笑)