海辺の風景

海野さだゆきブログ

『限界集落株式会社』『脱限界集落株式会社』黒野伸一 著

若者、よそ者、馬鹿者。この3つの「人種」が地方の停滞を回天させることができる、そうです。そうですね、まったくそのとおりですね。ことは「地方」に限らないでしょうし、ことは日本に限ったことでもないでしょう。

 

一見地方過疎化問題に特化した話に見えますけど、この国の、って僕はこの国のとしか言い様がないのですけど、問題すべてにあてはまる共通した要点がここにはありますね。

 

解決策を持ち寄る。

人の問題を「同時に」解決する。

ですね。

 

最初の「持ち寄る」って、これができないんですね。そもそもその場を仕切る人間が「持ち寄る」ということの意味を分かっていないのですね。

 

知的、というのを僕は「複数の解決策を提示できる、実行できる力」と定義しています。実際に即して言えば、リーダーがどれだけ「それぞれの意見立場を言わせることができるか」ではないかと思います、この国では。言うイコール言ったことには責任を持つ、が分かっているので、責任を負うことを厭う人は何も話さないのですね。

 

そして、こと組織の改革では「外部」をどれだけ意識できるかで、勝敗は決してしまうのだと思います。はい、「上司がお客さん」状態というのが停滞と混迷と失敗の原因であることがほとんどではないかと思うのです。「お客さんは外部にいる」わけですよね、普通は。

 

んなこと農作物を商品として買う人には関心がない、って部分に作り手がこだわっているからこそ停滞と混迷と失敗が生じていたわけですよね。

 

なかなかに痛快な話が終って、続編は「あれ?」という視点から前作を見直す感じになっています。これ、なかなかの力業です。うなりましたね。

 

でも、問題解決の道筋は同じ。「複数の解決策を提示、実行できるか」ですね。

 

しかし、どうして若者馬鹿者よそ者なんでしょう。内部からの改革はないのでしょうか、ね。

『クソゲーオンライン(仮)2』つちせ八十八 著 にろ 東雲太郎 イラスト

あれ、2巻が出たのですね。サブタイトルがあからさまなのですけど、大丈夫でしょうか。

 

さて、ラノベの定番「異世界もの」の変形としての「仮想空間もの」ですね。この「所変れば品変る」を青少年少女に説くパターンですけど、三年寝太郎ですよね、つまり伝統的な青少年少女の物語として千年の歴史がある定番なのですね。

 

三年寝太郎の時代は、都が世界であって、田舎は人外魔境だったのですね。というか、稲作文化定着して、田舎はいわば「絶望工場」だったわけですね。すべてシステマティック。人は農作業の歯車。都会はすべてがあいまいで予測不可能。田舎ではどうにも役に立たなかったグータラ男が都会では成功者になる、というお話ですね。

 

それがまあ、工業化が進むと、都会も田舎と変らない状況になってしまって、寝太郎が活躍できるフロンティアはアフリカの密林になってしまいますね。Tarzan。そして、そこもまた均質化すると、なんと都会こそアフリカのジャングルって、いうかんじで地理的に逆転、まだらのひも、とかモルグ街の殺人とか、都市が得体のしれない場所に逆輸入みたいになってゆくのですね。

 

その都市も、都市伝説が消費しつくされた頃、またまた均質化してしまうのですね。どこ行っても、大手のチェーン店しかない場所になってしまって。。。。。

 

フロンティアは、ついにネット上の仮想空間に逃げ込んだ、わけですね。

 

ところが、そのフロンティアたるネットゲーム仮想空間が、段々と侵食されて行くんですね。その現れがこの小説でしょう。どこかしら「学園もの」になっているんですね。しょーもない学校を面白くしてゆくっていうストーリー、しょーもない学校を別のものに「見立てて」おもしろがる。そういう手法がここにもみえるのですね。

 

運営者が逃亡したゲーム空間ですけど、どこかしら停滞しまくっている学校に見えてくるんですね。逃げたメインプログラマーは校長先生?あまたのプレイヤーは生徒たち。という感じですね。

 

学校の危機を救う主人公たち。でもばらばら。。。。。

 

現代日本って、ほんとに学校ってものから離れられないのかなあ、って思っちゃいます。いえ、それはそれで「文化」として面白いですね。もともとは権力が作った権力に都合良さそうな装置だった学校が違うものになってしまう、そういう感じが庶民は楽しいのですよね。ふふふ。

 

って、「ゲームの終り」って、どこなんでしょうね。なんか心理療法の「治療の終りについて」みたいな、かなり難しい問題な気がしますけど。はい。

東海道 箱根から三島、沼津へ

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気が付けば前回は8月。どんどん時間は過ぎて行きます。

 

東海道箱根から西側への下りはとても気持のよい道です。石畳は東側ほど荒れておらず、往時の面影はこっちのほうがずっと残っています。そして遠くに海が光る眺望は胸がすく絶景です。

 

どうしてこっちには人が来ないのか不思議です。もっともっと宣伝すればよいのに。。。。。。

 

もっとも、こちらは急な坂が延々と続きますので、かなりの体力コースでもあります。登りも大変ですけど、下りはこたえますよ(笑)。

 

それでもこんなこともありますし

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よいですよ、冬の箱根西側。

 

山中城跡でおそばを食べて少し行きますと、バイパス工事のために旧道は通行禁止になっています。そのあたりで西側から上ってきたご夫婦に出会いました。京都側から2年かけてここまで来られたとのことです。あと100kmあまりですね、化粧坂権太坂は楽しみですけど、あとはちょっと我慢かもしれませんね。でも、歩ききった時のなんとも言えない感じは、格別です。どうかご無事で。

 

へろへろになって、毎度へろへろですね、ここは、三島神社に到着。

 

今回はダブルストック、アルトラのローンピーク3.0ポーラテックという新兵器のおかげでかなり楽ができました。でも、最後の最後まで石畳のこの行程は厳しいものがありますね。

 

翌日は風が強い快晴。沼津までゆったり歩きました。大好きな千本浜は次回のお楽しみにとっておきました。

 

さあ、生きている間にどこまでゆけるのでしょうか。

グレッグ レイク 逝く

なんてこと。グレッグレイク逝去のニュースが。東海道から帰宅したばかり、僕はショック。なんてことでしょう。

 

あの攻撃的なベース。ベースという楽器を始めて、意識したのはジャックブルース先生とグレッグレイクでした。二人ともベースはめちゃくちゃうまい上になんと歌いながら弾きこなして、おまけにかっこよい曲を書くのですから、もうたまりません、僕のアイドルでした。

 

特にグレッグはなんと誕生日が同じだったんです。もう他人とは思えなかったです。あの抒情あふれるボーカル、鋼鉄のベースフレーズ。。。。

 

悲しいです。本当に悲しい。

 

ここのところ、ベースを手にしていませんでした。忙しい、心がささぐれ、疲れきっていましたので、楽器を手にする気になりませんでした。

 

でも音楽作り、ベース演奏に対する気持は死んではいません。グレッグにもらったもの、形にします。

「Steins gate」

遅れてきたゲーマーは、前々から気になっていたこの作品をやってみました。当時のアキバ風ものの言い方やガジェットたちが強い匂いを放っています。

 

話は僕には意外だったのですけど、幼なじみの女の子を如何に救うのか、という方向に行きました。あ、いわゆるマルチエンディングなので、僕はそういうの実は好きではないので、ひとつのエンディングでの話ですけど。

 

元祖タイムマシーンが、どこかラブストーリーであったように、この20世紀の話もそういう展開を見せました。僕は結構これ、好きですね。

 

ただ、どうも、このエンディングが沢山あるって、なじめないのです。『死の島』でふたつのエンディングというのは、相当の手間隙をかけてのことだったので、大学生であった僕は結構納得したのですけど、、、、、

 

どうあがいても、時間の修正の力に自分の無力を感じる主人公の心理に自分を重ねられるかが、この作品の肝ならば、どうあがいても、マルチ、にはならないのではないでしょうか。などと。。。。

 

でも、面白かったです。はい。続編も買いました。楽しみにしています。

 

『こぐこぐ自転車』伊藤礼 著

退官を前にふと自宅から職場の学校まで自転車に乗って通勤したらどうなるだろうか、という思いつきが伊藤さんの自転車生活の始まりでした。目覚めた伊藤さん、自転車の購入、ツーリングと世界を広げて行きます。

 

自転車に乗れば何かが変るわけではありません。伊藤さん、けっこう面倒くさい人かもしれません。文章を読んでいて、そんなこといちいち考えるの?って煩わしくさえ思うことがアルのです。でも、ものを考える事を商売にしている人はそのくらいいちいち考えるくらいは当たり前ですよね。

 

自転車から見える風景が変っていったのは、自転車に乗ったからではなくて、もともと伊藤さんがものごとをいちいち考える人だったからです。

 

伊藤さんから見えた、もとい、見て考えた東京の風景はなかなかに面白いのです。同じ自転車が趣味の僕にはとても共感できることが多かったです。特に東京の川をたどるというのは、僕も自転車に乗る大部分を占めていたりしますから。

 

伊藤さんがすごいな、と思ったのは、自転車仲間を増やしたことです。男は基本えばり。なかなか老齢になって新しいことに挑戦するひとはいません。いままでの実績で死ぬまでえばる、って感じの人ばっかり。。。。。北海道ツーリングですよ、すごい。もちろん、初心者的なツーリングですけど、やりきってしまうエネルギーはタイしたものです。

 

僕のメインマシンも、サドルの問題が解決したので、またバリバリ乗りますよ。伊藤さんみたいに文才も考える習慣もないので、レポートみたいなのは書けないですけど。

『地雷屋 JIRAIYA ~アフガニスタン編~ 1巻』竿尾悟 著

戦争が敵味方に別れてドンパチやる、なんて想像しかできない人はぜひこの作品を読んで頂きたいです。

 

戦争とはもうひとつの「国内政治」なのですね、

 

「戦後の混乱の中じゃ、すべてが金になる」

 

これは「戦争はすべてが金になる」と言い換えてもよいと思います。おそらく作者はいたずらに戦争反対作品「だけ」になるのを避けているからこういう表現になるのだと思います。よいバランス感覚だと思います。

 

戦争に関して僕がであったよくある風景というのは「兵士に給料が支払われる」ということが想像の外という人たちでした。「兵隊って給料出るの?」戦争反対の人は、徴兵という強制にとらわれ、愛国を熱心に説く人は見返りをもとめない精神にとらわれ、お金のことにおもい至らない感じがありました。僕の狭い経験のなかだけでしょうか、わかりませんが。

 

戦争といえどもものを買ったり、売ったりすることから逃れられるわけではないですから、戦争も経済活動なんですね。で、戦争というのは、宣戦布告から始まるわけでもありませんし、どちらかが降伏調印をして終るわけでもありません。

 

戦争に投入された資本が動く限り戦争は続くのです。

 

ということは?一度でも戦争をしたところは、戦争中が続くわけですね。

 

地雷処理という視点はとても僕には新鮮です。先頃日本でも不発弾処理の費用を地主が全額負担はおかしいのではないのか、という訴訟がおこりましたね。日本はいまだにアメリカ軍の爆撃を受けている、と言ってよいのではないでしょうか。その爆発が留保されていただけなのですから。その殺傷の意図は地中で眠っていただけで、死んではいなかったのですから。

 

地雷はそのいつまでも眠り続ける殺意を形にしたものですね。それにどう対するのか、この作品では悪役に描かれている方にもそれなりの正当性が見いだせたりするので、そう簡単なことではないのはわかってもらえるのではないでしょうか。

 

なかなかの豪速球、よい作品だと思います。