バンドマンであり、YouTubeチャンネルで積極的な評論活動をやっていらっしゃる「みの」さんが大作を世に送り出しました。快挙です。
思えば「通史」って、ありそうでなかったと思いました。日本音楽の歴史的な著作になりましたね。聞けば執筆に3年以上の年月を費やしたそうです。まさに心血注いだ作品です。
僕が尊敬する平岡正明先生、師匠と勝手に仰いでいる朝倉喬司さん、竹中労さん、小沢昭一さんの数々の著作は「昭和」が中心で、「通史」とはいかなかったですね。
それだけ「昭和」が生み出したものが大きかったのだと思います。
『ひとはどのようにして兵となるのか』から始まるシリーズをお書きになった彦坂諦さんは注釈に大量の「歌」を取り上げていました。ご本人に伺ったところ、子供だった彦坂さんにとって、それらの「歌」は影響が大きく、戦後それらの作者が一向にその「責任」をとっていないことに、とても引っ掛かるのだとのことでした。
ですよね、『ふるさと』とか『おやまのすぎのこ』とか、、、、ね、、、、
それはさておき、みのさんの著作がすごいのは「紀年体」であることですね。単に出来事を並べた「編年体」ではないのはとても重要です。
それはみのさんが、現役ミュージシャンからみても、邦楽に「ねじれ」を感じてきたからでしょう。その「ねじれ」は、軍事技術としての西洋音楽を採り入れるために伝統音楽を切断してしまったことから生じたのでした。
もとはといえばトルコ4000年の歴史を持つものすごく多様な音楽の「一部」だったんですよね、用兵で使うって、、、、。トルコ音楽って12音階どころではない細かい音階を持っているんです。つまり、ほぼ言語的なところまで届いている「部分」もあったんですね。
その「ねじれ」に数々の音楽家が挑戦してきたのが明治以降の大衆音楽だった、と簡単にまとめられるとは思います。そしてそれは
いくら「上から」押し付けても、音楽は「下から」伸びて行くもの
という力学の実証だったと、僕は、やはり思いました。ここに来て「五線譜音楽」は、「下から」からめとられ、一定の決まったかたちを得てきた、と。
それにしても、たいへんな作業を粘り強く続け、完成させたみのさんには、最大限の賛辞を贈りたいと思います。素晴らしい著作をありがとうございました。