海辺の風景

海野さだゆきブログ

東海道最終回 三日目

昨日は「県道新城」でおしまいだったので、今日はその続きです。

 

記憶というものが何を優先しているのかは分からないですが、こうもはっきりと覚えているのは不思議な感じです。あの時の自分が映像としてもよみがえるような、その自分を見ているような。

 

この辺りではもうへとへと、足は痛いし、汗でどろどろ。地図を見ながら、あとどのくらいで到着できるか、なんてことが頭に浮かんでいましたね。

 

そんな思いをしてまでなぜ東海道を歩き続けたのでしょう、僕は。

 

風は光り、水を入れている田んぼではかわずが喜びの大合唱。今日も快晴です。前回はガリガリ君を食べてばかりいたなあ。とにかく暑かった。今回はファイントラックのハイテク衣類のおかげで不快感がまったくありません。こうも違うものなのか、と。

 

アップダウンがあって、道は宿場に入ります。今日は水口のお祭りです。家々にちょうちんが下げられています。地元の方々があちらこちら、道ばたでおしゃべりをしています。あ、男の人が裃をつけています。なんか本格的なんですね、って当たり前ですよね。お祭りは地元のひとのものですから。

 

曳山はすでに格納庫から出ています。道に鉄輪のあとが。どこにいったのでしょう?結局宿場ではみかけませんでした。例の三叉路を今回は真ん中を通ります。

 

街並って観光的には昔のまま残っていて欲しいものですが、そこで暮している人はいつだって「今」を生きているわけですから、不便さをなくし、発展してゆくなかで、「昔」を更新して行くのは当然です。

 

一時期住んでいた埼玉県の川越市旧市街は、いまでこそ「蔵作りの街」として観光客を集めていますけど、僕がいたころ、地元では古い建物は更新されつつありました。大きな看板でその古さを隠しているような街並でした。

 

同級生の親の世代の何人かが街の未来をその古いものに見いだし、周囲を説得していったのです。基本的によそ者だった僕は、それは正しい方向だと思いました。でも実際そこに住んでいる同級生たちは生活上の不便も感じていたわけです。

 

古いものに未来を、発展と保存を、なんて簡単じゃないですね。大野安之さんの『ゆめのかよいじ』(旧バージョン)ではないですが、「げ、アメリカン」な風景にも何かが宿り始めるのかもしれません。江戸時代の街並だって、その当時の最先端だったわけですからね。

 

水口石橋で今日の東海道歩きはおしまい。そして、それは僕の東海道最終回です。

 

宿に戻る途中、「近江ちゃんぽん」というお店でお昼をとりました。丁度「サラめし」時間。近くで働いている人たちで賑わっていました。子連れのママ友さんたちも。そう、よそ者からすると、地方って人がいないように見えるんですけど、よそ者が勝手に期待するような場所にいないだけの話なんですよね。

 

ちゃんぽんは関東者の僕からすると甘い不思議な味ですが、おいしく頂きました。そう、この「甘さ」なんですけど、この辺りは大阪のそれとも京都のそれとも違うように思いました。

 

宿に戻って、かさばる衣類を郵送し、身軽になるべく梱包し、本町の郵便局へ。途中にぎやかな声。子供達のおみこし行列です。わあ、可愛らしい。川越の時も思いましたけど、伝統的なお祭りのある街に澄んでいる子供たちがうらやましかったなあ。よそ者の僕は「旧市街」の住人じゃなかったので。。。当時は参加できなかったのです。当時は。。。

 

郵便局のおねえさんたちの地元言葉がなんかとっても愛らしかったなあ。京都とも大阪ともちがう、そう、この辺りの食べ物の「甘さ」に通じるものを感じます。

 

静かに暮てゆく水口宿の街。僕の旅は終ろうとしています。