海辺の風景

海野さだゆきブログ

鈴鹿峠越え 後半 土山宿から水口宿

2日目。水口宿は霧におおわれていました。ホテルのバイキングで遅い朝食。和食は小鉢ものが多くあってうれしい。バスは1時間に一本なので遅れることはできません。今日は空身なので歩くのはとても楽になります。

 

元気よく走るバスの中で、歌の話になりました。

「そう言えば、男の人が作った失恋の歌を女の人が歌うって案外ないんだよね」

「そう?」

「男が作ると、、、例えば吉田拓郎さん"僕を忘れたころに、君を忘れられない"だからね、これ」

「ないない、すぐ忘れるもん」

(ふたり爆笑)

「だよね、なんか"号泣系"ばっかり。女性が作ると、まあ"恨む"ってのはあるけど、『ウエディングベル』なんて"くたばっちまえ、アーメン"だからね、なんか"さあ、次行こう"みたいなのが多いような気がする」

 

もちろん、物理的に「男女」でなにか決定的に違うとか言いたいわけではありません。そういう歌が歌われてきたのではないか、ということです。

 

「だから『サルビアの花』は特別なんだと思う。色んな人がカバーしてきたけど、最初に聴いたのは"もとまろ"っていう女性グループでしょ」

「そう、あれ女の人が作ったんじゃないの」

「早川義男さん、オリジナルの本人の歌唱も素晴らしいんだけど、その後、女性に選ばれることが多い気がするんだ。その後」

「綺麗な曲よね」

「そう、あれ、好きだった彼女が結婚する、という状況の歌なんだよね」

「そうなの、そんな風に聴えなかった」

「男の人が作った失恋の歌で女性に結構カバーされたと思うのは、、、そうだなあ『恋人もいないのに』もそうだったと思う」

 

バスは相変わらず爆走ですが、こうした他愛のない話をしているうちにどんどん田村神社は近づいて来ます。

 

さて、田村神社です。祭礼が間近とあって、境内にはテントを張っている人たちがてきぱき働いていました。知らない人は社務所があるところが神社だと思ってしまうでしょうけど、本体は奥なのです。

 

ここは古い形を残しているのではないかと思います。川を渡る、というところにとても意味がありますし、参道が行きと帰りで円を描いています。まあ混雑緩和の意味合いもあるのでしょうけど、三輪山伏見稲荷とかも「円環運動」すなわち「巡礼」ですし.。。

 

僕は鈴鹿峠から先で空気が変わる、なんか関西に来たなあ、と感じるのですけど、田村神社にその麓での「防衛線」という印象をもっています。もちろんただの想像ですけど。

 

土山道の駅で、お昼ごはんを購入。妻は経木に包まれた塩むすび、僕はかやくご飯のお握りと、オリジナルのドーナッツを買いました。

 

歩き始めてまもなく、地元のおっちゃんに話しかけられました。お祭りが近いとあって、その話題

「お祭りの時には晴れたことがない。雨はまだいい。雪になんてなったら後が大変。」

「雪.。。」

「もうすごい人出。水口からずううっと渋滞や」

「ほ、ほんとですか」

 

とっても気の良い方でした。なんか今日は幸先がよいなあ。で、あとの話ですけど、今年はなんと大雪にみまわれたんです。すごいなあ、おっちゃんの言った通り!

 

カラー舗装の道をのんびり進みます。

「"酷道"の後だとほんと安心安全な気持で歩けるよ」

 

自然にうねる道。そして道添に民家が続きます。

「ここは今も生きている道ってところも好きなんだ。普通に人が住んでいるっていう。"歴史の道"じゃあなくて」

 

町並み保存も、身の丈だと思います。細かい縦格子戸もアルミサッシですけど、おちついた色合いです。がんばって保存しようとすると、住んでいる人たちの負担が大きくなります。

 

あたりにたちこめるお茶の香り。普通の家並み。うねり、少し上り下る道。

 

「あの鈴鹿峠の古くからある道への敬意のかけらもないのをみたあと、ここを歩いていると"歩く速度で"ってことを強く思うんだ」

 

どうしてでしょう。人は歩く速度でものを考え、歩く速度で生きてきたのではないのでしょうか。どうしてこの速度でやれないのでしょうか。僕ら人間は歩く速度以上の速度でものを考えたりできる存在なのでしょうか。

 

伝馬館に着きました。ここでは先に蔵にある大名行列の模型を見ます。大名の格式にもよるのでしょうが、あの縮尺で再現してもらうと、どんなに大掛かりでお金がかかったであろうかが分かります。

 

「ひとつの宿場の陣屋ではとてもじゃないけど全員が宿泊できないらしくて、その手配が大変だったみたい。担当の人は相当苦労したようだよ。やっぱ役職で部屋の大きさとか、あいつと一緒になりたくないみたいのもあっただろうし(笑)」

 

伝馬館、正直僕はここの2階に上がったことはありませんでした。今回初めて箱階段を上がって。

 

まずは右の部屋。えええええええええ!オリジナルの版画?切絵?に宿場の「名物」が並んでいます。えええええええ?知らなかったよ、こんな「名物」.。.。.。ほとんど食べたことないよ、、、僕って東海道3回踏破、つまみ食いで部分的に歩いたところ多数、、、、ほんと歩いただけなんです、、、、勿体ないことしているなあ、、、反省。

 

驚くべきは左の部屋。す、すごい.。。絶句です。

 

広重の版画をミニチュアで再現しているのです!それがまあ、細かい細かい。そしてスケール感がばっちり再現されているんです。展示が低い位置ですから、絶対に目線を下げて、できるならば伏せて20センチくらいの目線から見てください。そのスゴさが分かります。

 

これ、ひとりの方の「引退後の趣味」から始まったとか。いやいや、見ごたえたっぷりです。もう感嘆の声しかでません。土山宿に行ったならば是非是非見てください。僕は今まで2階に上がらなかったことを本当に後悔しました。

 

これ、文化財ですよ、ほんと。大津の方とか。素晴らしい。東海道を歩く方は是非、是非見てください。その際は必ず伏せて視線を作品に合わせて下さい。

 

さて、天気予報とは違って、段々と雲がかかってきました。スマホで気象レーダーを確認すると雨雲が迫ってきています。ただ、1時間くらいで雨は上がるようですが。

 

ぽちぽち降ってきました。妻は傘を持ってきていましたが、私は天気の変化を甘く見て持ってきていません。

「確か、この先歌声橋の先に東屋があったと思うよ」

 

この橋が何故歌声橋なのか、実は未だに知らない、、、ここを渡るのは5度目というのに。しょうもない旅人です。いよいよ雨粒が地面を叩き始めました。

 

ありました。東屋。記憶は間違いないです。前回もその前もここで休んだ、、、いやあのときは清掃整備してたかな.。。時間も丁度よいので、東屋でお昼ごはんにしました。

 

かやくご飯のおにぎり、美味しい.。。妻は塩握りに感激していました。小さな握りで、食べやすく、確かにお米もお塩も美味しかった.。。

 

雨はざんざと降り始めました。

「ね、あそこ、猫がこっち見ているよ」

「あ、ほんとだ、、、そこは俺の縄張りだぞ、なにしているんだ?って感じかな」

 

おやつ用のドーナッツを食べてみました。これは丸いサータアンダギーみたいな形をしています。食べてみてびっくり、中は緑色、お茶なんですね。しっとりして美味しい。

 

少し小降りになったところですぐ近くにあるコンビニに寄って傘を購入。そうしたら本降りに。雨でも楽しい道です。

 

「え?松並木って、これだけ?」

「以前は沢山あったんだと思うよ。東海道でも往年をしのぶことができるのは御油とか、少ないよ」

 

雲が流れて、雨はあがってゆきました。

「このあたりで下校の子供達と一緒になるんだ。あいさつ運動でかならず"こんにちわ"って言ってくるのはいいんだけど、彼らにとっては一回だけど、僕は20人いたら"こんにちわ、こんにちわ.。。"って20回返すわけで(笑)で、歩くペースがだいたい同じなので、子供を付け回す怪しいオジサンみたいになってしまう、、、という」

 

土山大野で休憩。おやつのドーナッツを頂きました。今日は子供達を見掛けません。下校時間だと思うのですが、お祭りの準備とか?

 

ここで土山大野郵便局に立ち寄ります。明日、不要になった衣類とかを自宅に送ってしまうためです。帰りは身軽で、というわけです。そうしたらバレンタインディということで、チョコレートを頂きました。ハート型のかわいらしいチョコ。ありがとうございました。

 

酷道を渡って旧道をたどります。ここからは酷道に接したり離れたりです。子供達いないなあ.。.。

「ずっと家の前にお花の鉢植えがあるね」

「そうだね、そういう活動をしているみたい」

「なんかいいよね、これ。なごむよ」

 

僕ら夫婦はよくしゃべります。ほとんどしゃべりっぱなしです。雑談です「The Alfeeで3km」みたいに。

 

ここからは雰囲気が変わります。水口宿が近いのです。

「あと二カ所、是非ってところがあるけど、それ過ぎたらバスで帰ろうと思うんだけど」

「え?、いいよ歩こうよ。昨日の疲れもないし」

そんなわけで、最後まで歩くことにしました。

 

ひとつめは例の居酒屋さん。僕は必殺シリーズファンクラブに入っていたので、ここは是非とも行きたいのですけど、ちょっと勇気がありませんでした。夜にタクシーで来るというのは僕にはハードル高い.。.。

 

で、次の例の場所に到着。東海道のオアシスのひとつ、あそこです。一里塚を過ぎてまもなく。

 

小さな祠ほような建物。旅人が付箋に残したメッセージが沢山壁を飾っています。僕が以前に残したのも、あります。

「これ、僕なんだよね」

「えーーー(爆笑)」

「実感こもっているでしょ」

妻も何か書き残して行きました。またいつか来ることができるのでしょうか。人生最後かもしれません。

 

道は少しアップダウン。旧い道。宅配便が止まりました。女性のドライバーさん。家の人とのやりとりは、当たり前ですけど地元の言葉。これがなんとも柔らかい。僕の「東京弁」ってホント乾いた言葉だなあ、、、下町の「江戸弁」はちがうんだけど、、、。そのやりとりを聞いてなんかなごみました。

 

日が傾いてきました。いよいよ宿場に入ります。

「ここは大きな宿場だから、宿に入ってからも長いんだ」

 

町並みというものは本当に時代の痕跡です。栄えた街は当然、その時の流行りを採り入れますから建て替えが進みます。旧い町並みが観光資源になるなんて、誰も考えません。町並みが残っていないのも、その街が生きているからこそなんですけど。

 

けど.。.。そう、何か、何かひっかかりが僕にはあります。『Naruto』とか『ナウシカ』とか、新作歌舞伎を観ましたが、あくまで歌舞伎なんです。伝統芸は人の営みに関しては善から極悪、美から醜悪、なんでも題材にして描ききってきました。いくら着るものや食べ物が変わっても、人の営みはそう変わらないのです。歌舞伎には現在を描く力があるのです。

 

もの、町並み、そうしたものの、伝統は伊達じゃない、というところがあると思うのです。

 

アメリカのポップスの多くはバックビートです。どんなに変わって見えてもそこは変わりません。何かを気持よく感じるって部分がそうは変化しないってことだと思います。

 

「ここで道はみっつに分かれているんだけど、あとでひとつになるんだ。一応真ん中が東海道って標記されているけど、街が大きかったから、ひとつじゃ賄いきれなかったのじゃないかなあ。どれも東海道だって言えると思うんだ」

 

人が少ないように見えますけど、お祭りの時に来たことがある僕は街はそういう形で今も何かを残している、そうやって生きている、と思うのです。

 

いくつか、旧い家屋を利用した「新しい」お店があります。老舗がモダンな建物になっていたりします。街は生きています。

 

さあ、旅の終りです。大きなからくり時計がそれを知らせています。

 

とはいえ、僕らはホテルまでがあります。途中、若いカップルがどこへ入ってゆくのかと思ったら大きな保育園。お迎えかあ。大きな保育園のとなりは、これまた大きな施設、、、学童保育、、、、がんばっているな、、、と、ひろーい駐車場を備えた障碍者センター、、、、これはすごいね、、、住みやすい街ならば誰だって住み続けます、、、自治体ががんばってますね。

 

またまた、地元スーパーで夕食を買います。地元らしい味付けは、メニューが和食だろうが洋食だろうがあります。旅人にはそれはわかります。もちろん地酒も同じものはひとつとしてありません。

 

ホテルの部屋でローカルニュースを見ながら夕食。僕らの鈴鹿越えはこうして終わりました。