海辺の風景

海野さだゆきブログ

旅の終わりに 東海道 原宿から由比宿

久しぶりすぎる東海道の続きになりました。今までも旅の終わりについて思ったことを書いてきました。いよいよ、本当に自分の旅の終わり、すなわち人生の終わりが現実のものとして見えてくるようになり、この歩く旅は私の中で意味を変えつつあることを感じました。

 

父を送り、母を今年送り、子供であることを終えました。親であることは今もそうなのですけど、養育ということはとうの昔に終わっており、もはや意味をなしていません。夫婦であることはどちらかがあの世にゆけば終わります。色々なことが終わり、あるいは終わりつつある今、私の中で旅は、この歩く旅はただの趣味ではなくなっていました。

 

台風の影響がアナウンスされる中、東京駅は大変な混雑でした。晴れたかと思えば轟音で雨は屋根を叩いて何も聞こえなくなるほどでしたが、新幹線は5分遅れで到着しました。さすが世界に誇る日本の鉄道です。サンドイッチを食べながら車窓に目をやれば、相変わらず

 

歩いて、自転車で、スプートニク

 

という言葉が浮かぶのでした。

 

ニフティサーブの会議室で出会った人たちを思いました。管理人さんはもうこの世にいません。メンバーたちのその後は10年しないうちに分からなくなりました。僕らは何か大きな流れの中にいる自分を見つけたかったのだと、今になれば、言えます。しかし当時はそういう言葉では捉えることができないで私は苛立っていたのでした。

 

東海道歩きに何か意味を感じたのは、実際に歩いてからでした。古い道を跨いでいる高速道路や新幹線をたびたびみるにつけ、何かを忘れているというか、間違っている、そう感じて

 

歩く速度で

 

そういう言葉を見いだしました。それは怒濤のようだった日本の社会の変化速度に対する自分の姿勢なのだと言っていました。

 

東海道を歩く仲間もできました。ただ、なんだか仕事のように歩く人もいまして、五街道を制覇とか、やっぱり成果なのかなあ、と。

 

旧道は寂れてゆくばかりのようでも、実際に歩けば、そこは暮らしていいる人たちの生活道路なんです。きっとバイパスや新道ばかりでは無いと、旧道を見直す人が地元から出てくる、そう思えたのです。さすがに3回も踏破すると、そういう変化の兆しが見えたのです。

 

きっと地元から歩く速さで考えることで新しいことを始める人が出てくる、そう確信していました。

 

で、私は?

 

私はどうだったのでしょうか。

 

旅は久しぶりに続きました、