海辺の風景

海野さだゆきブログ

『女子高生の無駄づかい』を読み込む 続き

続きはロボのお話です。

 

小学生の時に一緒だった三人ですが、成績優秀なロボは中学は進学校の付属に進んだようです。バカによれば、その後ロボは周囲から浮いた存在になってしまったようです。そして「四歳児レベル」の高校を選択。もっと上のレベルの学校に行けるだろう、人生を棒にふるな、と言うバカ、ヲタに対して、ロボは感情をあらわにして、私の人生なの、自分の決意を曲げないことを叫ぶのでした。

 

中学生のロボに何があったのでしょうか。

 

彼女は「正しさ」がそれまでと違うものにすり代わってしまうことが理解できなかった、もしくは「納得できなかった」のではないかと想像します。

 

それは「世間で流通している正しさ」なのだと思います。

 

「世間」とは極めて言語化しにくい事象ですが、現在では山本七平さんの「空気」が一番的確に捉えていると思います。こればかりは『空気の研究』を読んでいただく他はないと思います。

 

ロボは能力が高かったゆえに、この「空気」が解析できなかったと思います。バカはロボを評して「感情が死滅している」としていますけど、前に書いたように彼女は感情豊か、激しさを持っている人だと思われます。

 

この「空気」は文字通り「空気」なのです。つまり「窒息」があり得るのです。

 

「空気を読む」あるいは読まない、は「空気」があることを前提としていますが、

 

「真空」にすることができるんです。「低酸素状態」も可能です。誰が?その主語が「世間」なんですね。

 

正体も実体も不明、姿も形も見えないものが、実際に自分に作用してくる。これを優秀なロボはどうしたのでしょうか。

 

優秀な人は必ず「そもそも」、オリジン、原点、根元、出発点を探り出します。

 

中学生になって、露骨に力学を発現させた「女子グループ」の行動は、たどって行けば、ひとりの女の子の虚栄心や恐怖心が攻撃に転化したものだと分かったり、、、「スクールカースト」が親の社会的な地位、具体的には金銭尺度の反映だと分かったり、、、、

 

彼女はそうした「心理学」とか「社会学」とかにとどまらなかったのでしょう。

 

「人間とは」「猿類とは」「哺乳類とは」、、、、そして「生命とは」、、、、と「そもそも」をたどり、そこから「発生学的に理解」を試みたのではないでしょうか。

 

そうしたら「細菌レベル」の凄さを発見してしまった。確かにいまは「分子生物学」の時代です。すごい発見はそこに集中しています。

 

単行本7巻で、バカの人格が「寄生虫」によって変わってしまう、というパラサイト話、『恋する寄生虫』(僕はこの話大好きなんです)まであと一歩?、がありますが、彼女は当然、腸と脳の関係、すなわち腸内細菌のことなど当たり前に知っているはずです。

 

そういう視点からしてみれば、自分を含め、人間の「精神活動」は神秘でもなんでもない、「一事象」なんですね。だから、それがすべて、という生き方は彼女にはないのです。たぶん。

 

彼女は醒めているワケではないのです。バカのあれやこれやにも、逐一対応していますよね。「試合終了している」とか最初の方では、関わりが薄いですけど、どんどん攻めてくるバカにそれは通用せず、彼女はそのバイタリティに「細菌レベル」のそれをみたのではないのでしょうか。

 

それは「命」を見つめるということにはかわりはない、そう思います。それを「暖かい」とか「冷たい」とか即断は間違いでしょう。

 

そうした彼女の内実を知ろうともせずに、あれこれ、関わると、第7巻の彼みたいにロボに舌打されちゃいます。

 

次はヲタですよねえ.。.。.。.。困った(笑)