海辺の風景

海野さだゆきブログ

『退歩のススメ』その4

問題は常に「そもそもは」を考えることで解決します、と思っているので、「韓氏意拳とはなに」を知るために本を買ってみました。『駒井式やさしい韓氏意拳入門』駒井雅和 著。

 

紹介文でわかりました。意拳創始者、王先生は子供のころ病弱だったそうです。それで形意拳の郭先生に学んだのです。

 

そうか、王先生が形意拳をどうして学ぼうと思ったのかは分かりません。親のススメだったのかも知れませんし、本人の発起だったのかもしれません。

 

いずれにせよ、僕は郭先生が偉かったと思います。王先生がどの程度病弱だったのか、何才で始めたのかはわかりませんが、駒井先生の本の順番で指導が進んだとすれば、王先生の体の状態に適切なプログラムだったと思うのです。

 

これ、今風に云えば、心拍数をあまり上げないで血流量を増やす動きですし、自重運動なので、筋肉や関節に負担がかかりません。

 

で、中心となる「ザンゾォン」ですが、拳式とか、これらは病弱児童には体ってこうなんだ、という事を感じさせてくれたものだったと。

 

どうして?。王先生が僕並に病弱だったとします。僕は8才で最初、10才で再発という経緯ですが、どのみち子供の遊びについてゆけなくなりました。そもそも入院ばっかりしていましたし(笑)。

 

子供の遊びは常に全力全速力です。それが心肺機能、筋力、敏捷性などなどを鍛え上げます。が、それらは本人に目的意識があるわけではありません、無意識ですね、それにそれが子供には楽しいのです。全速前進が。

 

病弱ゆえにそれができなかった先生は、形意拳を学ぶ時に、たぶんいちいち気づきが起こったのでしょう。先生が指示する動きをやってみると自分に何が起こるのか、を。

 

それが楽しかった。自分ってこうなんだ、という気づきですね。病弱ゆえに、今風にいえばセルフモニター能力は研ぎ澄まされていたんです。強くなるとか、誰かを倒すとか、そういう他者との比較より、自分の状態の変化の方が遥かに面白かったし、楽しかった。

 

病弱ゆえに身体の社会化から外れていた。とも言えます。

 

何度も言いますけど、これは僕の想像です。でも、たぶん当っています。

 

体観、つまり体を観て行くこととは窮屈かもしれない自分の身体の現状と向き合い、見失った身体の発生を経験しながら新たな体を発見し、見守って行くことです。(『退歩のススメ』)

 

これ、病児の日常です。光岡先生をはじめ、健康で、「できてしまう」強い方々がなんで苦労するかと言えば、それが理由です。健康な人にはこれらの必要が普通ありませんから。

 

そして、そういう自分がいる自然が含まれている、というところは実は非常に重要です。病児は常に死が近いゆえに、自分がそこから生まれ、そこに還って行くであろう自然は自分の父であり母でもあるからです。

 

いやあ、面白かったです。韓式意拳は病児はぴったりなのではないでしょうか。どうでしょう?関係者の皆様。病児には病棟学校が必要で色々な試みがありますが、「拳法」を子供達に、っていうのは。

 

エビデンスだのなんだの云うアホなヤツは無視して(笑)。小児病棟に武術家を。

 

おしまい。