海辺の風景

海野さだゆきブログ

『大往生したけりゃ医療とかかわるな 自然死のすすめ』中村仁一 著

現在日本のメインストリームの医療って、「負傷した兵士を戦える状態にして再び戦場に戻す」技術の延長線にありますよね。この「治るイコール戻す」というのから外れるってことを全然想定していませんね。

 

で、僕のような老人は「治らない」し「戻れない」(笑)。なので、医療とどうにも相性が悪いんです。僕の場合、どういう風に死ぬのか過程が分かっていますので、

 

血圧が高いです、体重が多いです、とか、なんちゃら値がとか、言われても、

 

それって、僕の死ぬ過程と関係ないですから、って。血圧値の変動は僕には正常な死ぬ過程なので(笑)。詳しく言えば、血圧の上はアガリ続け、下は下がり続け、その差が生存限界を超えて僕は死にます。これは僕にとっては正常な「機械的末期現象」。ま、モーターが回転が不安定になり、ある時に、どつんと停止する。そんな感じですね。

 

さて、件の先生、「医者の世界の最下層」老人ホームの医者になって、色々な方の死ぬ過程を長いスパンで見ることが増え、その結果、人類伝統の死に方に気が付いたのですね。

 

大賛成!先生に大賛成。これ、わかるわ、って話ばっかり。

 

いやあ、先生は宝くじって言いますけど、僕は「ピンコロ」を少なくとも10人連続で見てきました。先生のところの「前段階」でしか「ピンコロ」は可能じゃないです。それは確かです。施設入所後ではおそらく無理。

 

その状況に該当する「前に」、体の資源を「使いきる」。それが「ピンコロ」への王道です。間違いなく。「ピンコロ」だった人は「使いきる」状態でした。無理ってことじゃないですよ。

 

鮭の産卵後みたいに「使いきる」。

 

まあ、僕の回りでも、あと千年は生きるつもりの高齢者ばっかりで、こういう「死ぬ話」はする機会も相手もありません。でも、高齢者なのに高齢者じゃないつもりの人も、結構な人数の「同級生」が死んでいるのは知っているんですよねえ。その不安が現実を直視させないんだよねえ。

 

わかるけど、現実離れは、幽体離脱だよ(笑)。体の声が聞えない人は、悲惨な状況に自分の体を追い込んでしまう。ギャクなんだよなあ。死ぬところからしか物事を考えない。それが高齢者の生きるってことだよなあ。

 

ま、この本を読む人は、読む必要がない人なんですね。アドバイスって、常にそういうものです。はい。

 

話はちょっと変りますけど、キリスト教系の病院って、あちこちで見るんですけど、仏教系ってありましたっけ?なんかがんばって欲しいのです、仏教。RPGでもキリスト教系っぽい設定ばっかりですから。どーんとご本尊があるような「寺院」がゲームでも普通になってくれないかなあ、なんて思ってます。はい。