始まりは木場ストックでした。LadymetalさんというBabymetalのコピーバンドを観たことでした。バンドはコピーといっても、本家同様3人の女性ボーカルをフロントに置いて、その振り付けまで本家そのまんま、という本当の「コピー」バンドでした。
還暦前の老人ですが、Babymetalは知っていましたし、いわゆる音楽評論の固定的な評価も耳にはしていました。
「まあ、メタルの要素は揃っているよね」
木場ストックでLadymetalをライブで体感した僕は、いや、これ、ちょっととんでもないことなのではないかと思ったのでした。Ladymetalさんが本質を捉えたパフォーマンスをしてくれたからです。そうです、僕はコピーバンドを通じて、その本質に気が付いたのです。Ladymetalさんに感謝します。
Babymetalは21世紀の三味線音楽だ。
鶴屋南北、近松門下、などなどは21世紀の今にタイムマシーンに乗って来ることができたならば、間違いなく絶対に、確実に本当にこう言うと思います。
「だろ?俺たちは最初からこういうのが目標だったんだよ」
と、いっても、これは歌舞伎ではないでしょうとは思います。江戸期の三味線音楽は300種類あったとか。その中でも「ダンスミュージック」でしょう。
当時も今もダンスミュージックはクローズドな空間で演奏されるようです。屋外でやると「煽り」に押さえが効かないのは今も昔も同じ様ですから、ひたすら面倒を嫌う軍事政権である江戸政権はこうした音楽を屋内でやってもらうようにしたようです。
ま、たぶん、屋外でのダンスミュージックは「神様」と供にある種類なので、オープンエアというのは「神様」の領域ですから。神様に捧げる音楽はオープンエアなんですね、たぶん。
「神君」という神様以外は認にくい江戸政権は「屋内でやってくれよ」っていう姿勢だったのではないでしょうか。
で、ダンスミュージックなので、言葉の制約をあまり受けない。つまり、「国境を越える」種類の音楽なんですね。だって、ノリがすべてですから。
ノリがすべてというと、では中身はどうでも良いのかと言えば、逆だと思います。「扇る」ことが言葉になければ、ノリはこの場合生じないのです。
Babymetalの歌詞が「案外と中身あるじゃん」と思うあなた、正解です。いまの僕らの生きているリアリティに届かなければ、このダンスミュージックは成功しないのです。
ややこしいことを言いますけど、社会性というのは、この日本でも室町以降は「身体性の制限」にあったと思います。人間は移動が結構気楽になおかつかなり柔軟に行えるんですね。だから、色々な制限のうち、「位置」に関する縛りには、はなから自由なんです。
封建制から始まる「国家統制社会」は自由な移動を嫌うんですね。だって、「嫌なら逃げる」だと安定しないんです、権力からすれば。東京の一極集中が嫌だと、地方の政権が思うのは「俺こんなムラ嫌だ」で移住しちゃうことができるからです。東京サイグ(東京へ行く)側からすれば「我慢して留まってくれ」という言葉に説得力がない。。。。。つまり政治力ない。。。って事です。
で、まあ、クローズド空間に権力によって閉じ込められたようですが、どっこい、そこに落とし穴があったわけです。クローズドなので、政治的なNGに触れることも「クローズドじゃん、民衆を扇ったりしてないよ」で、オッケイになってしまうのです。
で、まあありとあらゆるタブーが「クローズド」で演じられるわけですよ、特に江戸期は。
で、扇情的なテーマをそのままやっても、少なくとも人間に関する表現を突き詰めてきた作家や演者は「そんなの下品、客をなめてる」って云う感じで、ひたすら表現を磨く方向に突き進んだんですね。
だって、現実の方がよっぽどすざまじいのですから、作り事がそれに対抗するためにはめちゃくちゃ作り込まないといけなかったわけです。江戸期は猟奇事件、政治的な大事件、結構な数あるんです。軍事政権の作り出した鬱屈した社会はそうした病理を次々と産み出したんですね。
現実の大事件よりも人の心を打つものを作りたい。それが江戸期のクリエイタの姿勢です。
で、クローズド空間では楽器奏者はとんでもない数のレパートリーを持っている「絶対間違えない人」になり、フロントの「ダンサー」は一部の隙もない技術を身につけた人になったのです。
なぜでしょう。彼らは取締側から「突っ込み」が入らないことを非常に意識したからだと思います。
「え?俺たち譜面通りだし、踊りも振り付け通りしかやってねえよ」って。「問題アルならば譜面で指摘してよ、すぐ直すし」。
我田引水?
いえいえ、そういう「やたらと正確な演奏や演技」は日本の伝統なんです。Babymetalさんは江戸幕府に気を使う必要はありませんから、歌う内容、演奏内容もずっと自由です。はい。ヨーロッパの若者が感じるくらいには。
江戸期のクリエイタたちがそうであったように、実際の事件のインパクトに負けない「創作」のために「やたらと正確な演奏や演技」は今なお強力な武器なのではないかなあ、と思いました。
はは、へ理屈はともかく、ブルーレイで観る彼らのパフォーマンスはすごいです。演奏はもうどこも突っ込みどころがありません。ひたすらすごい。フロントの女の子3人も酸素ボンベ必要でしょ、のがんばり、でも笑顔満面、で感動的です。
しかしまあ、「かごめ」で熱狂コールの英吉利の若者を観て、大久保たち明治政権初期の政治家たちに1時間くらい説教したくなりますね(笑)。
外貨獲得できたじゃん、当時だって!英吉利の若者の支持を取りつけられたじゃん、当時だって!誰か、明治政権初期の渡英に、当時の日本最強の「バンド」を連れて行くという、巴里万博よりも早く、ライトノベル書いてください。
伊万里とかもよかったけど、やっぱ「文化輸出」は桁違いの外貨獲得をしたと思うのです。はい。
Babymetalの音楽、在り方についてはたぶん、ずっとすごい論評がネットにはあると思います。還暦目前のジジイは
おお、これ、130年前にできたじゃん!
と思ったのですした。いやあ、でもやっぱ彼らはライブ最高ですね。死ぬ前に一度ライブ行くぞ!