全くの偶然なのですけど、この順番で読んで良かったと思います。
「竜の柩」はオカルトと呼ばれているような、つまり「ムー」で特集が組まれるような内容に関して、作家高橋さんがとてもユニークな姿勢で挑んだもの、です。たぶん、後に書かれることになる奥州を舞台にした作品の資料調査の過程で生まれた作品なのでしょう。
調査は文献のみならず、実地の見聞も含まれているようです。そのどちらも極めて特徴的な姿勢です。歴史的な資料は確実に後世の改竄、書き足し、書き漏れ、写し間違い、などがあるはずです。それを高橋さんは作家としての文章解読力で、「こう解釈した方が筋が通る」というやり方でみごとに切り抜けています。
UFOです。あらゆる伝承がその存在を前提にすると筋が通る。これは本当に背筋がぞくっとするほどの説得力がありました。過去の人類は無知蒙昧というおごりは絶対間違いです。たとえば、現代のコンピュータを市井の人はどう説明できるでしょうか?動作原理など知る人はまずいません。たぶん聖書の奇跡の記述と大差ない言葉しか出てこないと思います。UFOもそうした語彙の、知識のなさが生んだ説明だったとしたら。
日本のもうひとつの人々についても同じです。僕は「在日縄文人」を名乗っていたくらいですから、高橋さんの「読み」は素晴らしいと思います。
「火怨」はNHKのドラマにもなりました。なかなかよいドラマでした。小説は戦いの具体的な進行をかなり詳細に書き進めています。あくまで防衛に徹する姿勢、そして、蝦夷側にも過誤はあり、それが戦争を生んでしまったという歴史感、どちらにも賛成です。
しかし、時代が進んで行くにつれ、権力の集中、強大化が進むにつれ、事態は殺伐としてゆきます。大きくなった権力はわずかに動くだけで大きな事態を生じさせます。誰かが死ねばよい、とか、妥協すればよい、とか、それが無効になってしまうのです。
大きな動きができなかろうと、小さな意見がまとまらない事態を長引かせようとも、権力の集中は阻止しなければ、必ず大きな犠牲を生じるのです。
「炎立つ」読んで源氏が嫌いになったよ、と言ったら、息子、大学で中世を専攻、が「でしょう。源氏は田舎武士の域を出ない」と。僕は関東者なので、ずっと源氏贔屓でしたけど、まさかこの年齢でいやになるとは。。。。。
そう、武士なんて所詮「戦争屋」なんです。戦争屋、うんざりです。
そう、東北、いえ、陸奥は「中央」とは別の歴史を持ちます。陸奥に限らず。様々な歴史があるのが普通なのだと思います。たとえ「統一」されようとも。