海辺の風景

海野さだゆきブログ

アーティストを名乗ること

イースタンユース「夜明けの歌」は素晴らしいロック。こりゃどうすればいいんだ、という気持になったときに、この歌を思い出す。いつか、人前でこの歌を聞いたことがない人に聞せたいと思います。

 

そのイースタンユース、バンド的にも危機的な状況のようです。


eastern youth吉野寿が語る、“覚悟のアルバム”とバンドの今後「人生で最後の一枚との想いで作った」 - Real Sound|リアルサウンド

 

(引用開始)

吉野:そうですね。それしかほんと、やりようがないんですよね。もう年取ってきて、いよいよ本当に逃げ場がなくなってきて。どっちにしてもやるしかない。 やるだけやって、この先は、世の中が、社会が、俺をどういうふうに殺していくのか。もしくはどういうふうに生かしていくのか。それをひとつひとつハッキリ させていきたいです。それでダメなら死ぬでしょう、たぶん。なんとかなりゃ生きていくんだろうし。そうやって俺たちの仲間も死んでいったから、俺もそうす るだけ。その肚は決めないとね、ちゃんと。

(引用終了)

 

ベースの二宮さんが脱退という、バンドとしての危機、そして、いくら歌ってもお金が入ってこない、という現実的な危機、その中で、吉野さんは「街の底」という言葉を獲得して、そこに生きる覚悟を据えたようです。

 

すごい。ロックです。

 

商売の匂いぷんぷんでアーティスト宣言する「持っている人たちの気まぐれ」に強烈に違和感を感じていたところだったので、本当にすっきりした気分です。

 

昭和の歌謡曲の歌手、作り手たちは自分達をアーティストだなんて思っていなかったです、間違いなく。彼らのうち、ある人たちは商品としての魅力を引き上げるための技術を上げたし、彼らのある人たちは、制限の中で自分の主張、好みをこっそり入れていたりしました。

 

まず、食えること、それが職業として大切だったからです。続けないと何かをやるチャンスもないわけですから。山下達郎さんも、仕事で曲を作る時代が長くありました。でも、それが良かったと彼は言っていました。勘違いしないで済んだ、と。彼は自分を「アルチザン」と言っているわけです。

 

仕事の定義は、僕にとっては「依頼人がいる」「期限がある」「完成形が示されている」です。それ以外の営みを僕は「芸術」と呼んでいます。

 

誰に頼まれたわけでもなく、やりたいから、作りたいから作り、いつまでにという区切りはなく、どうなるのかわからない、そういうものを芸術と呼んでいます。そういう営みで生きる人を芸術家と呼びます。

 

お金稼ぎ、受け狙いは大変な努力を必要としますから、そこを蔑む人は僕は間違いだと思います。結果として稼げる、受けるはありますけど、その逆はないと思います。

 

ことは、ある人たちのアーティスト宣言です。

 

アーティストかどうかという議論、その出発点が違う、そう思うわけです。立場じゃないです。その時々のもの作りの状況で変る、そう思うのです。ある人は、ある時にはアーティストでしょうし、ある時はそうじゃないでしょう。人の状況は一定ではないでしょう。

 

和田アキラさんが言いました。時間制限がないアマチュアの方が良質なものを作れるはずだ、と。プロは予算や期限でどうしても妥協するから、と。プロかアマチュアかもこの議論には関係ないです。

 

プロだって、アートを作ってしまうようなことはあるでしょうし、アマチュアが立派な商品を作ってしまうようなこともあるでしょう。

 

誰に頼まれたわけでもない、肚決めてやればそれは僕には全部芸術です。作品の出来不出来はそれとはまた別の問題です。出来がよければ受け手はそれが商品であろうと芸術であろうと関係ないです。はい。

 

また、「夜明けの歌」、聴きます。