よりよい「もの」を求めて徘徊するようになって、何がよいのかさえわからなくなっていても、停止することはなかった。少しでも口当たりのよい「情報」があればそれを口にして、その「もの」を自分の手元に置いてみた。しかし、置いても使わなかった。自分が欲しいのか、誰かが欲しいのか、誰かが欲しがって欲しいのか、混乱は混乱を生み、もう自分の意志が実体を失っていた。
腹がヘルから食べていた時代はもう終わったんです。
その時代にもう一度腹がヘルから食べる自分に戻ろうと決心した。注入された情報量は膨大であり、どこに自分の意志などあるのだろうかと思う程だ。自分探しでさえ「そういう情報」なのだ。
が、どこかでまだ生き残っている。それがよい証拠に「やってきたことの一貫性」がまだあった。子供時代、青春時代、そして今。しつこくやっていることがあるのだ。それが情報の瓦礫に埋もれている自分を救出する脱出ロープになりうることが分かった。
Earth Visionから何年経ったのだろう。もう二度とないだろう集まりはしかし、確かにあった。そこでとんちんかんな問答をやっていた僕だが、そこでかすかに示された事柄の中にもそれはあった。
もう、わかったよ。自分の中で貶められていたことの最大のことは生き延びる、ということ。
たまった「ゴミ」は膨大であるが、片付けられないわけじゃない。さっそくやってやるさ。
人生下り坂でごみを大量に背負っていては邪魔だ。邪魔だ。邪魔だ。
もともと身軽なんだ。元のとおりに身軽になるさ。
また、何か言いたくなることがあれば言うさ。