海辺の風景

海野さだゆきブログ

解毒 その2

4、満たされはしない

 分析をすればかならず生育歴とかに原因を求めるのが流行りだ。ずっと流行りだ。が、それは「今、ここ」を相対化することを意味する。「今、ここ」を離れ、第三者的にみることで「今、ここ」に復讐しているのだと思う。

 

 違うだろう。「今、ここ」しかないのだ。その「今、ここ」での充実を求めない限り満たされはしないのだ。それをなぜ刹那的という言葉で非難する考えがあるのかと言えば、「今、ここ」で満たされない理由を考えることは必ず変化を求め始めるからだ。変化を求めると何かに突き当たる。

 

 本当か、それは?とどこからか聞こえてくるのだ。自動車を買う。でも1週間で1日しか動いていない。あとの6日は?その1日で何キロ走っている?

 

 ギターが欲しい。ちゃんとした楽器は50万円だ。でも1日何時間弾いている?1週間に何時間弾いている?1ヶ月に何時間弾いている?

 

 やっていることは何?実際にやっていることは何?勤めから帰って、夕食食べて酒飲んでテレビ観てネットで情報あさって、眠くなって寝る。

 

 やっていることが自分の実体。そう中学生のときに気がついたのに、やはり魅力的な商品に負けている。商品が醸し出す魅力に勝てない。借金してその魅力を買う。しかし、それは魅力であっても充実ではない。

 

 もう止めよう。もう止めようよ、こんな寂しい話。でも、どこに脱出口はあるのだろうか。意外な事かもしれないが、地道にやりたいと思ったことをやってみることだろう。毎日すこしずつ。「今、ここ」を生きるために。