海辺の風景

海野さだゆきブログ

新作歌舞伎 NARUTO 新橋演舞場

結論から言いますと、これ絶対のお勧め!観に行ってください。

 

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僕らは原作を全然知らない状態で行きました。なぜって、中村隼人さんお目当てだったからです。はい。かっこいいんです、隼人さんは。国立でのいくつかの演目を観て、ファンになりました。邦楽ジョッキーというラジオも聴いてましたよ。

 

原作はなんと72巻もある超長尺。なので、予想としては何かのエピソードをまとめる作りなのかなあ、と。まあ予備知識ゼロで劇場に行きましたら、え?4時間の舞台?ひゃーあ、その日は昼夜公演、終って1時間30分後に次の幕が上がるという。。。。体力的に大変すぎ。。。。

 

さて、原作ファンの方が心配なのは、お話をどうやってまとめたのか、ということでしょうけど、少年時代からラスボス戦、ふたり(ナルトとサスケ)の和解、七代目襲名まで、やりましたよ。

 

原作知らない人間からみて、スムースな流れだったと思います。と、いっても、山あり谷あり、せせらぎあり激流あり、笑いあり涙あり、でとっても面白かったですよ。

 

それに、宙づりあり、早変わりあり、大水あり、などなど、歌舞伎の舞台の仕掛けも満載。「たっぷり」で、その意味でも大満足。

 

もちろん、隼人さん、かっこえーーーーー です。原作でもサスケの人気の方が高かった?ようですけど、影のある、いえ奥に闇を抱えた美少年美青年、隼人さんにぴったりでした。かっこえーーー!!

 

でも、このじじいめは、サクラ役の中村梅丸さんにずきゅーーん。完全にK.Oされちゃいました。綱手役の市川笑也さんも、あまりの色っぽさにあたしゃ思わず、女性ふたりとも代役でも出たか?とパンフを見直してしまいましたよ。

 

あたしたちは花道のすぐ横の席だったんですけど、梅丸さん、目の前で見ても、どう見ても女子高生にしか見えません。かわゆすぎ

 

いやあ、ほんとにどきどきしちゃいました。あぶない世界寸前(笑)。

 

「歌舞伎でNARUTOやってみました」のレベルではありません。これ、本気で「歌舞伎の新作」なんです。凄いですよお。

 

絶対のおすすめ。劇場へ急げ、です。

 

 

 

そろそろ年貢の納め時か

いろいろとごたごたがあって、ベースに全然触らずに1年があっというまに過ぎてしまった。作曲も進んでいない。一方、音楽は以前より断然真剣に聴いているという。。。はて。。。自分はどういう状態なのか、こういうのを見失っているとでもいうのでしょうか。いえいえ、理由は明白です。

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あ、姐さん、ついてゆきます。スミスの6弦を軽々弾きこなすその腕前、ケロケロしがちなスミスをぶっとく鳴らすそのタッチの良さ、、、うーーーん、すばらしい、お美しい。。。。

 

どうも僕は最初からバンドだったせいか、ひとりでは音楽やる気があんまりでないみたいなのです。そうならば人集めか、加入に向けて努力すればよいのですけど。

 

経験者はおわかりだと思いますけど、「楽器をやりたい人は多いけど音楽をやりたい人はまれ」なんです。もうこの年齢になりますと、音楽をやりたい、やっている人はそれが職業の方ばっかり。。。。つまり僕ごときはまったく届かない高いレベルなんです。

 

しかし、このまま終る気はありません。このまま終るとは、このままであの世に行くということですから。このままやり残して死ねませんよ。

 

で、例によって、自分をあと3人こさえて、出発です。

 

夏こそ柿原朱美さん

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蒸し暑い、うだる、げんなりなこの頃。こういう時に僕は柿原さんをすぐに思い出して聴いています。

 

妻は歌詞がイマイチと評していまして、そう言われればそうかもしれないですが、僕は気になったことはありません。

 

彼女の魅力ってなんだろう?

 

やっぱり声なんです。歌の魅力って、曲の良さでも歌詞の良さでもなく、歌い手の声の魅力がすべてなんだというのが僕の「実感」です。

 

彼女の歌声の清涼感。こうした夏のオアシスです。はい。

 

あんまり知られていない彼女ですけど、やっぱり素晴らしい。ああ、バンドでやりたかったなあ、、、、って、でも誰も賛成してくれなかったなああ、、、、って、誰か歌いたい人いないですか?即刻バンド組み、、、って、僕が歌うしかないか(しょぼん)。

 

『大往生したけりゃ医療とかかわるな 自然死のすすめ』中村仁一 著

現在日本のメインストリームの医療って、「負傷した兵士を戦える状態にして再び戦場に戻す」技術の延長線にありますよね。この「治るイコール戻す」というのから外れるってことを全然想定していませんね。

 

で、僕のような老人は「治らない」し「戻れない」(笑)。なので、医療とどうにも相性が悪いんです。僕の場合、どういう風に死ぬのか過程が分かっていますので、

 

血圧が高いです、体重が多いです、とか、なんちゃら値がとか、言われても、

 

それって、僕の死ぬ過程と関係ないですから、って。血圧値の変動は僕には正常な死ぬ過程なので(笑)。詳しく言えば、血圧の上はアガリ続け、下は下がり続け、その差が生存限界を超えて僕は死にます。これは僕にとっては正常な「機械的末期現象」。ま、モーターが回転が不安定になり、ある時に、どつんと停止する。そんな感じですね。

 

さて、件の先生、「医者の世界の最下層」老人ホームの医者になって、色々な方の死ぬ過程を長いスパンで見ることが増え、その結果、人類伝統の死に方に気が付いたのですね。

 

大賛成!先生に大賛成。これ、わかるわ、って話ばっかり。

 

いやあ、先生は宝くじって言いますけど、僕は「ピンコロ」を少なくとも10人連続で見てきました。先生のところの「前段階」でしか「ピンコロ」は可能じゃないです。それは確かです。施設入所後ではおそらく無理。

 

その状況に該当する「前に」、体の資源を「使いきる」。それが「ピンコロ」への王道です。間違いなく。「ピンコロ」だった人は「使いきる」状態でした。無理ってことじゃないですよ。

 

鮭の産卵後みたいに「使いきる」。

 

まあ、僕の回りでも、あと千年は生きるつもりの高齢者ばっかりで、こういう「死ぬ話」はする機会も相手もありません。でも、高齢者なのに高齢者じゃないつもりの人も、結構な人数の「同級生」が死んでいるのは知っているんですよねえ。その不安が現実を直視させないんだよねえ。

 

わかるけど、現実離れは、幽体離脱だよ(笑)。体の声が聞えない人は、悲惨な状況に自分の体を追い込んでしまう。ギャクなんだよなあ。死ぬところからしか物事を考えない。それが高齢者の生きるってことだよなあ。

 

ま、この本を読む人は、読む必要がない人なんですね。アドバイスって、常にそういうものです。はい。

 

話はちょっと変りますけど、キリスト教系の病院って、あちこちで見るんですけど、仏教系ってありましたっけ?なんかがんばって欲しいのです、仏教。RPGでもキリスト教系っぽい設定ばっかりですから。どーんとご本尊があるような「寺院」がゲームでも普通になってくれないかなあ、なんて思ってます。はい。

『絶深海のソラリス』全2巻 らきるち 著 あさぎり イラスト

ネット上の灯台としてありがたく読ませて頂いている「超ゲームウォーカー」さんのおすすめのラノベですから、読まないわけにいきません。購入からちょっと時間が過ぎてしまいましたが、たのしく一気に読みました。

 

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『アビス』や『エイリアン』や『プレデター』などを予想していたのですけど、いやいやどうしてどうして、そうした「既視感」にはまったく襲われるどころか、かなり歯応えがありまして、ガリガリ噛み砕いて読み進みました。

 

もちろん、先行作品の影響はあります。って、ない作品などこの世の中にないでしょう。問題は「ご存じ」をいかに魅せるかにかかっているわけです。

 

いやあ、戦闘シーンの重量感ったらないですよ。たまりません。あたしゃ「音」が聞えちゃいましたよ読みながら。「敵」のパワーがすざまじいのですよ。おいおい、これじゃあ火力がたりねーよお!どうすんだよおー!って追い詰められ感も凄いので、ページをばしばしめくってしまいます。

 

そして、索敵からはじまり、初動、展開、など、戦闘の進行がすこしずつ間違えて、その間違えが更なる状況悪化を招き、と真綿で首をしめられるような「負け戦」の重圧。

 

いやあ、心拍数上がります。

 

まあ、ライトノベルですから「ねーよ帝国主義」通りに「かわい子ちゃん最低5人は出しておけ」はありますけど、その女の子の軽い口調がなければ、ヘビーすぎて読後の疲労感がずっしり来てしまうでしょう。ラノベの美点ですね。

 

2巻目はリターンマッチなんですけど、更に状況は厳しく、おいおい、このまま全滅で終りか、と読んだ人は全員思いますよ、ほんとに。

 

これ、よくできたアメリカの連続ドラマに対抗できます。はい。いやあ、面白かった。「超ゲームウォーカー」さんにまた感謝です。

『ヨタ話』(四杯目まで)新井理恵 著

ごーい、ごーい、ごーい、はっ。。。。じゃなくて。短いギャグ連作が詰め込まれた作品です。少女誌に掲載されていると思って読むとやけどします(笑)。きょーれつです。はい。

 

白眉は猫の「さゆり」のシリーズです。猫好きな方ならばたまらないでしょう。さゆりは誇り高き野良猫なんです。人間たちの行動を斜に、冷ややかに見下していたりするのですけど、イケメン高校生男子にかかると、ころっと態度を180度変えちゃったりする、乙女なんです。って、それのどこがオカシイか?

 

たぶん、本気は他人には常にギャグとして受け取られ、ギャグは他人には常に本気だと受け取られてしまう、そのギャップが滑稽なんです。つまり、どう生きようとも、どのみち他人にはギャグなんです。たぶん。

 

この作品で面白いのは、動物の出番が多いことです。猫のさゆりをはじめ、鳩、あひる、河童(?)常に本気、本音100%の彼らとの共存がどこかしら示唆されているように思います。

 

そういう視点で読み直すと、結構deepなものがあると思います。

 

わたしさゆり(笑)

『キミは一人じゃないと僕の中の一人が言った』比嘉智康 著 はっとり みつる イラスト

親から虐待されているらしき女の子の一人称場面から始まります。次に自分の中に三人の人格がいて、「彼ら」が交代に現実場面に対応するという少年の一人称、というべきなんでしょう、場面に移ります。

 

このふたりが出会い、別れ、そして再会します。いじめられていた状況を鮮やかに逆転してくれた少年を、女の子は忘れていませんでした。

 

彼女は少年に「多重人格ごっこ」を提案します、再び。

 

家庭でも学校でも居場所がなかった幼い彼女は、少年の「多重人格」に、現実をうまく生きる、やりすごすかもしれませんけど、知恵を見いだしたんですね。

 

そして、大きくなって再会した彼女は、まったく自己の在り方が変っていない少年をうれしく「思い出した」のでしょう。

 

なんだよ、都合よく人格を使い分けて、本体が傷付かないように逃げ回っているイタイ野郎が主人公かよ、、、って、まあ、そういう風に読めなくもないのですけど、僕はこの面倒くさい少年の在り方にそういういやな感じは受けなかったのです。

 

なにしろ三人の人格があれこれ相談しながらなので、読むのは結構難儀します。すいすい読み進められませんので「ライト」ではないでしょう。

 

女の子は少年は「芝居」をしていると見ているのでしょうか?そこはわかりません。例によって「ねーよ帝国主義」ですから、女の子の心理描写はそれほど掘り下げられていません。

 

常識的に言えば、少年は場面場面で「態度を変えている」わけです。ただ、そうした「態度の違い」をやっているひとは受動的に捉えていると思うのです。「あいつにはこうして対応」という感じですね。

 

それを少し能動的に捉えると少年みたいな認識になるのではないのかなあ、とは思いました。

 

「人によって態度変えるなよ」っていうのもわかりますけど、そこを「人を変える」という風に認識操作というのはシビアなやり方だな、でも相手にするのはやっかいだろうなあ、そのくらいディフェンスが堅くないとだめな状況なのかと。

 

つまり少女も、少年も「本体救出のために出現した別人格」が必要なほど、追い詰められていたのかもしれません。それもいくつもの別人格が。。。。幾重にも防御を張り巡らす必要があったのかと。

 

想像上の友人に頼ったり、神様に頼ったり、宇宙人に頼ったり、それもアリでしょうし、僕だってそういう子供時代でした。状況が厳しいと、そうした想像上の頼れる人はひとりではまかないきれない、というのもよくわかります。

 

少年と少女がどうなるのか、分かりません。でも、まあ、どのみち、ふたりともそのままではいられないでしょうから。でも、その時はそのとき。なんとかするでしょう。

 

ただ、「鍵穴から世界を覗き見る」にはなってほしくないなあ、と。それは原理主義への、テロへの道ですから。