海辺の風景

海野さだゆきブログ

水の風景 停滞する作曲

「水の風景」という組曲を構想してはや10年以上。まったく作業が進んでいません。やれ時間がないだの、気持が落ち着かないだの、とまあ理由をつけていますけど、本当はイメージが固まっていないからなのです。

 

ライトノベル風に作曲入門を扱った本でも、とにかくイメージをどれだけ追い込めるかみたいなことが書いてありました。そうなんです。あれやろう、これやろうと「思いつく」ことは簡単なのですけど、そこで思い浮かんだことをしっかりと細部まで「想像」できるかは「創造」そのものにかかわります。

 

例えば、和音からはじめて、それを分散和音にして、それを再構成してみる、ま、要するに順序を変えて、そこにスケール音を足したり、引いたりして作る、というような場合でも、最初にイメージが固まっていないと、音の響きだけに引き摺られて、つながりやすい音の連続に結果して、なーんかつまらない、と(僕は)なってしまいます。

 

宮川彬良さんは「メロディって一筆書みたいに書くものであって、いまよく耳にするのは僕にはフレーズであって、メロディじゃないんだよね」って、いつかのラジオ番組、脚本家の岡田さんの「今宵ロックバーで」で言っていました。そうなんです。

 

よいメロディって譜面にしてなんか綺麗な「眺め」になると思うのです。視覚的にも聴覚的にも綺麗。これがイメージの「実体化」なのだと思うのです。はっきりしていないと、ここは細かく割るのか、どうするのかとかでいきなり行き詰まります。

 

というわけで、まずは「水のイメージ」固めから始めます。

 

水というと、すぐにラベルの「水の戯れ」「エステ荘の噴水」とか浮かびますか?。

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僕は武満さんの「雨の樹」です。

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歌では沢山ありますけど、ここは例えば滝廉太郎「花」。歌詞はご存じの通り。で、僕は小林啓子さんの「やさしい雨の歌」というアルバム「かなしみごっこ」1972年に入っていた歌なんですけど。

 

あまだれが ひとりぼっち ひとりぼっち

 

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っていう歌詞で始まります。「花」は風景、「やさしい雨の歌」は心象風景と言えます。ラベルと武満さんのそれぞれも、僕には風景と心象風景だと思えます。

 

おおざっぱですが、僕にとって曲はそのどちらかなのです。今回はどっち方向なのか、まずはそれを決めます。

 

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もともとこれが「水の風景」作曲のきっかけになったイメージのひとつなのです。基本、風景を描く、という方向性でやってゆくことにします。