海辺の風景

海野さだゆきブログ

『クリス クロス 混沌の魔王』高畑京一郎 と 『ソードアートオンライン』川原 礫

ソードアートオンライン』を読んでいませんでした。PS4のゲームを2本も持っているのに。。。概略は知っていますって、有名ですから。

 

どうせ読むのならば、どうも先行作品として有名らしい『クリスクロス』をあわせて、その世界観を味あおうと思いました。これは面白かったです。

 

僕は遅れてきたので、ゲームの発展を体験してはいません。ですが、ゲームの性能が上がるにつれて、その「没入感」が変ってきたのは想像できます。その「没入感」の違いがふたつの作品を読み比べるとはっきりわかります。

 

ゲームになぜのめり込むのか。押井さんは仕事がなかったころ、「ウィザードリー」を一日中やっていて、膨大な「ゲーム内財産」を築きました。そして、その財がなぜ現実において無価値なのか、とさえ思ったとか。。。。

 

その押井さんはついに「ゲームキャラクターのお話」である『アヴァロン』まで作っちゃいました。そうなんです、「ゲームキャラクタ」。これへの「感情移入」が「投入」に、「投入」が「没入」になったのではないでしょうか。

 

ゲーム内キャラクタは3次元的になるといよいよ「ひとがた」として機能し始めたのではないでしょうか。

 

そう「人形」です。また押井さんの話ですけど、『攻殻』から押井さんは人形に興味を持ったことがありました。それは『イノセンス』に結実しています。

 

「ひとがた」と人間とのかかわりについてはたぶん色々な論考があると思います。僕は簡単に「脳が機能として持つミラーニューロン」の結果だろうなあ、と思っています。

 

え?

 

そうなんです。僕はゲームやっているときに、「こっちが動かしている」感じが実はあんまりしないのです。逆さまで、「ゲームキャラがやっていることを自分が真似している」感じなんです。そう、再帰

 

自分が動かすーキャラが動くーその動きを脳が脳内で再現する

 

という感じです。これが没入という感覚を生むのではと思いました。

 

さて、両作品です。どちらもなかなかに読みごたえがありました。って、それだけかよ、って。。。。違いが没入感にあるので、そこだけ話をしました。。。。どっちもお勧めですよ。