海辺の風景

海野さだゆきブログ

ランナーさんたちって大変なんですね

ランニングを趣味にしている人の9割が怪我に悩む?

僕は人にアドバイスはしません。でも、職場のひとのことはちょっと気になっていました。

 

あのまんまでは大きな怪我するよなあ。。。。

 

残念ながら僕の予想は当ってしまいました。フルマラソン参戦したそのひとはかかとのあまりの痛さに途中棄権。整形外科で治療を受けるという結末になりました。

 

いくら勧めても読んではくれませんでしたが、『ボーン トゥ ラン』の著者が故障した、怪我で苦しんでいるランナーであって、その切実な願いがラン探求の旅の動機になったのだと知っていてくれていれば。。。。僕はアマチュアランナーの90%が怪我と故障に苦しんでいる、という実例を目の前にしてしまったのでした。

 

問題解決は「そもそも」を考え言葉の定義をすることから

僕はインターバルランとスロージョグはやってきましたが、それはランをしたいからではありません。「ぴんぴんころりで死ぬ」ためです。高齢化した後、「こんな風に死にたい」と思った死様を何人も見てきました。まさに「ぴんぴんころり」と亡くなったひとたちです。どういう風にああいうふうに死ねるのかを研究した結果、心拍数を意識したトレーニングをして(いわゆる)健康状態を保ち続けると良いとわかったのです。

 

ようするに「体を、生命を燃え尽きさせる」ということが「ぴんぴんころり」の正体なのです。

 

高齢になって、それに適した方法の中では走るインターバルトレーニングが一番だったのですが、僕の足は障害認定寸前の状態で、走れないのです。なので、速歩でインターバルトレーニングを始めました。10ヶ月続けたあたりで、もしかしたらジョグ的なことはできそうだと、こわごわやってみました。できました。歩いた方が速いくらいですが、間違いなく両足が空中にという動き、すなわち走る動作ができました。

 

できたは良いですが、これで怪我故障をしては元も子もありません。ランについて少し研究しました。

 

痛み、筋肉、皮膚、トレーニングに関しては過去の腰痛克服過程でちゃんと学びました。特にトレーニングに関してはちゃんとした講座に通いました。10万円かかりましたが、実技も充実、肉体面はもちろん、心理面、社会面も網羅した内容は本当に役に立ちました。

 

情報はただではないですね、色々な意味で。

 

当然アカデミックなアプローチ、エビデンス重視、コーチングなど他人にものを言うときの根拠の大切さも学びました。少なくとも目の前にいる故障する危険の高い人に何かをいえるほどには。。。。

 

なんでランナーは故障するのでしょうか?今回は「かかとが痛い」なんですけど、論理的にはわかるんですが、僕は「かかとが痛い」状態になったことがありません。故障したランナーたちの「証言」を調べることにしました。あんまり時間も費用もかけられないのですけど。

 

ランニングの本を斜め読みしたところで、すぐに混乱しました。言葉の使い方があまりにばらばらなんです。教則本的なものは全部パスでよいな、と思いました。アマチュアの方の「証言」で、これは面白いと思ったのは

『走れ!マンガ家 ひぃこらサブスリーみやすのんき

です。

 

それでも、更に慎重に考察することにしました。なぜならば「人はあまりに当たり前のことは書かない」からです。本人が前提としていることが意識に上ることはまずありません。ですが、その前提が分からないと確実に誤解、もしくは理解できないという事態に陥ります。

 

ですから「そもそも」です。

 

「そもそも走るって何?」

 

ここから始めます。走ることができない僕は当然それを考えざるをえませんでした。走るって早く歩くことですか?どうなんでしょう。

 

それに直接、それも科学的なエビデンスで明確に説明してくれるのが

 

『ランニングする前に読む本』田中宏暁 著

 

です。これを読めば故障なんてしないと思うのです。これほどの本が手軽に入手できるのにどうして読まないのでしょう?わかりません。

 

さらに「そもそも」を考える

ランに関する「そもそも」は田中先生の本で決着がつきます。はい。確実です。僕は田中先生の技術論に全く疑いを持ちませんが、

 

そもそもなんで走るの?

 

ということは考えました。

 

猫がもう狩りでたべものを得るという生活をしないのに、相変わらず「見回り」も「ハンティング」も止めないのは、「そもそも猫とは?」という原点にどうしても帰って行くからではないでしょうか。

 

人間も、すでに長距離を走って獲物を手にいれていた時代は終っているのに、それが人間を人間たらしめている故に、走ることを止めないのではないでしょうか。

 

『ボーン トゥ ラン』はその意味でも「人とは何か」を説き明かす、哲学的な、根元的な問いに対する解答を描き出した、全人類必読の書物だと思うのです。

 

朝まで呑んでゲロ吐いているような状態なのに、いざ走るとなると別人になってしまう、などなど奇妙奇天烈な人たちを描いているのは、そういうひとで「さえ」、走るということを描くことで、いかに走ると云うことが人間の根元に係わっているかを知って欲しかったのではないでしょうか。

 

件のひとはサブスリーを目指すと言います。僕はその前に「なんで走るの?」という問いに対する揺るぎない解答を自身に確立することではないのかなあ。。。と思うのです。

 

人は走ることによって人となった。

 

ですよね。