海辺の風景

海野さだゆきブログ

アニメ2題 「ボイス坂」「アニソンの神様」

 『ボイス坂高遠るい 著 イラスト

声優になることに目覚めた主人公。あふれる自信をもって進んだ専門学校。しかしながら現実との摩擦。あしたはどっちだ。

 

声優というのはアニメの現実への担保なのかもしれないですね。生身の彼らが虚構のアニメの現実性を担保している、ということでしょうか。

 

次にとりあげる作品にもあてはまるのですけど、たぶん、たぶんですけど、「なりきり」という要素が熱の核心にあるようです。僕はそれは良いことだと思っています。何でもまねから始まりますし、いかに真似の段階で入れ込むかで、その後の展開が違ってくると思うからです。

 

それは子供時代には自己実現として見えるわけですけど、社会に出る段階では「技術技能習得」という課題になっちゃうんですね。

 

どーして「あたしのやり方」じゃだめなの?なんでそのやり方なの?

 

そこではじめてどんなものにも「社会的な裏打ち」があることをしるわけですね。その技能習得の過程で社会性も同時に習得する。ということですね。ただし「社会性」といっても「そこの社会」ですけど。

 

主人公は自分の「真似」にその「社会的な裏打ち」がないことにすぐに気が付いちゃったのですね。簡単なんですね、その仕組みは。訓練して実地して評価されて実績を作って、その実績が次の訓練の入り口になって、次の実地になって、という。

 

落第なきシステムに慣らされてきたのに、いきなりその三途の川原の石積を我慢してやれ、というのはつらいでしょうね。声優はだれだってできるじゃん。と思った彼女には。

 

そこからのずぶずぶの転落生活ぶりが生々しくてよいです。他人事ではないです。そのあがきに若い人の「生身の重さ」を僕は感じました。僕も似たようなことありましたから。幸いにして僕の場合は目の前にプロの凄さを体現した先輩がいましたので、「俺は趣味でいい」ときっぱり思えましたけど。

 

進路を決めるのならば、本物にじかに接することですね。そこで、よーしってなるか、やっぱやめよう、となるか、どっちでも良いですよ、その判断には根拠がありますから。

 

え?本物に接してもすごさがわからない勘違い野郎はって?そこまでは。。。。

 

でも、この話。ずぶずぶからちょっと復帰。で終らなかったんですよね。続編への布石という部分はライトノベルではよくありますけど、ずぶずぶ生活のリアルさ、ある意味いとおしくさえ思える彼女のあがき、とつながらないような。。。。

 

ま、でも無謀な企画の実験参加というオチですから。甘くはないのでしょうけど。

 

なかなか読みごたえのある作品でした。

 

『アニソンの神様』大泉貴 著  のん イラスト

 

アニソン好きが嵩じて、交歓留学で東京の高校へやってきたドイツの女の子。メンバーを集めてアニソンバンドを組むんだ、とひたすら前向き。出会った仲間との演奏は彼ら自身をも変えて行く。

 

ライトノベルには天才しかいないんですよねえ。

 

僕はNHK-FM土曜日午後「アニソンアカデミー」を欠かさず聴いています。よいですよ。ゲストに来る新進の人も、伝説の方も、すごいなあ、と思って聴いています。ゲストの多くは生でライブやるんですよ、是非聴いてくださいな。

 

アニソンに対する悪口はここでも書かれていますけど、僕の年齢からすれば

 

サウンドトラック。映画音楽じゃん。

 

日本だって、ヒットチャートに映画音楽が普通にあった時代があるんですよ。いまだって、時々ヒットしてますよね。あれと同じです。アニソン。

 

押井さんじゃないけど、アニメと映画を「区別」する人は今でもいますからね。

 

アニソンへの悪口はいくつかあります。まずは「喉をしめたような作り声」。まあ、いわゆる「アニメ声」ですね。これ、僕には先祖帰りなんだと思っています。日本は1000年以上前から「喉をしめたような作り声」で唄をうたって来ました。

 

江戸の三味線音楽はすべてそうです。その流れをくんだ民謡も演歌も同じように唄います。水樹奈々さんは子供頃演歌をずっと唄ってきたそうですけど、まさにどんぴしゃですね。

 

この唄い方は基本的に響きがない木と土でできている建物しかないこの国で、もっとも声を通すやり方なんですね。低い方も高い方も吸い込まれてしまいますし、綺麗な倍音はなりません。ランダムな「雑音」が入らないと通らないんですね。

 

江戸の三味線音楽、女性の声のものなんか聴いてみてください。ゆがんだ三味線の音色、喉をしめてシャウトする女声。アニソンとまったく同じですよ。ディストーションのギターをバックに「作り声」でシャウトとなーんにも変りません。

 

大げさなアレンジ。これは劇伴の宿命ですね。だって映像は流れて消えますし、同じ場面は出てこないので、作り込んだ主題を展開してテーマを深めるという音楽手法は使えないんです。一瞬のインパクトが勝負ですね。能楽だって、音程のない笛がぴーぴー鳴ってますけど、突然がちーんと打楽器が襲いますけど、狙っている効果は同じですよ。劇伴ってそういうものです。

 

まあ、小説の方はちょっと物足りなかったかなあ。。。。ライトノベルでの音楽もので納得できたものがないんです。音を文章で表現は難しい、って言いますけど、楽器演奏は基本的に技術なので、その技術の説明はちゃんとやれば門外漢の方にも伝わります。そして、その技術が演奏のハイライトでもあるのですからねえ。。。。。

 

ところで、バンドメンバーをはじめ、みなさんを感動させたエヴァちゃんの唄ですけど、どんな声だったのでしょうか。ちゃんと「喉をしめた作り声」だったのでしょうか?ドイツの女の子にそれができたのでしょうか。はて。