長かった。ねーよ帝国には天才しかいないんですね。
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それだけかよって、それだけです。はい。学校一番のかわい子ちゃん、それもふたり、に好かれる主人公は、そのふたりをカメラに収める特権も持っている、というまさにねーよ帝国主義の理想を延々と語る物語ですね。
野暮を承知でつっこみますけど、8巻も続いた、つまり人気があったということでしょうけど、そこは老人には関係ないですから、遠慮なく言わせていただけば。。。。
尾道を舞台にした大林監督の映画をどこかしら意識しているようです。作者はお好きなんでしょうけど、大林映画の持つあの残酷さはどこへやら、。。。。。ライトノベル的なハーレム状態に帰着させてしまっていますね。わかってやっているとは思うのですけど、大林映画のファンでもあり、舞台を確かめたくて尾道まで夫婦友人4人で旅をしたというこの僕には納得できるものではなかったです。
そして、「演技」ですね、問題は。作者は演技の魔術を一生懸命語彙を尽くして語るんですけど、それがどうにも現実味が感じられないんですね。演技ってなんの技術的な訓練なしにできるものなんですか?いきなり商業演劇の舞台に立てるものですか?
活舌、発声というのは相当訓練を積まないといけません。何の訓練もなければ、他人にどう聞こえるのか、ということが分からない、コントロールできないのは動かない事実です。
素人が「演技」したものを素人が「撮影」したものを、演じた当の本人がみると、だいたい
「やーだ、あたしこんな声してるの?こんなわざとらしくやった?」って、自分にがっかりしてしまうのがオチです。自然な発声、動作って難しいのです。
かなり前のことですけど、新宿コマ劇場「必殺」の舞台で、主水がそばをひとり食べるという場面、藤田まことさんは「みなさんね、そば食うなんて、と思うでしょうけど、これができるようになるのは大変なんですよ」と食べながら言って、観客を笑わせました。そうですよね、1000人の視線を浴びながら平然と「主水として」そばを食べる、簡単にできることではないですね。でも、それが演劇なんですよね。
そもそも、典型的なキャラを「演じている」といえる、ライトノベルのキャラは、それ以上演じる必要がないほど、すでに役者なのでしょう。