海辺の風景

海野さだゆきブログ

夕方は古里の匂い

夕方には匂いがある。よそではまったくそんなこと感じないのだけど、なぜか地元ではそれを感じる。たぶん、植生とか、気温とか、そういう条件が生み出す微量な匂いなんだろう。

 

昔は薪でわかす風呂、夕食の支度、そういう匂いも混じっていたけど、そういう匂いがなくなった今でも、その匂いは変らない。

 

この匂いもあとどのくらい感じていられるのかな、と思う。本人がどう感じていても肉体は確実に老化している。それは鏡に映った姿でわかる。終りは着実に近づいている。そのことについて、そんなに悪い気持はしない。

 

しばし、弾いていなかったフォデラちゃんを手にする。木内さんにばっちり調整されたローアクション、すごくストレートな反応、やっぱりこのベースが最高。死ぬまでの相棒だ。そう、いつかこいつともお別れが来る。それも悪い気はしない。

 

なーんだって終わる。

 

そういうなか、先日、人生観が変るような発見をした。そうか、そういうことだったのか、と。今まで逆に考えていた。逆に考えて、大分間違えた方向に向いていた。

 

それでもいい。もう、先はそんなにないけど、この時点でも、わかっただけ、得した、ラッキーだ、そう思う。

 

でも、実際に自分がなにをしてきたかを振り返ると、都合のよい振り返りかもしれないけど、やってきたことは正しい方向だったようだ。大切なものはなんだったのか。やっぱり、大切だから、ちゃんとやっていたんだ。

 

大切なのは気持、感情、情緒、そういう不合理なものなんだ。それがようやく身にしみてわかった。