「ねーよ」と5回つぶやいたところで、ふと思いました。
この「ねーよ」の部分は「そうあって欲しい」ということなの?
この華という女の子は、とにかく自分の気持に正直に行動します。躊躇がないのです。とにかく積極的。そうなの?女の子に自分の気持をばしばし口にしてほしいのかなあ?、正直に行動して欲しいのかなあ?
でも、それって、好意限定でしょ?
と、思う読者を先取りしてなのか、後半トーンは一気に真っ黒に。まさに暗転。
ネタバレだけど、このストーカー事件は、じゃあストレートに好意を口にしたり、行動したりしてよいのかどうかを投げ掛けている、のね。
そして、主人公が貫いてきた「ヒーロー」についても投げ掛けている。うーん、やるじゃないの。これ、自己批判ですよね。
主人公は一度「死んだ」と思った方がいいですね。この「死」は、なんか色々な意味を持っていると感じました。某心理学的に言えば、「象徴的死」ですね。
「ねーよ」と、いささかあきれつつ読み進んだ作品ですけど、なかなか、面白かったですね。
「この人と生きて行こう」
いいじゃないですか、「好き」っていう少年ぽさはそこにはもうないのです。30年位その気持でいるとね、「どっちかが死ぬのを看取るんだよね」になるんだよ。。。。って、若い人には一応言っておきますね。