海辺の風景

海野さだゆきブログ

ライトノベル読書記

我がタイガース、破れたとはいえ、第3戦からは日本シリーズらしい戦いだったと思う。シーズン後半からチームとして機能し始め、勝ち取った日本シリーズ。大舞台で真の実力を発揮した選手、メッセンジャー選手とか、大和選手とか、これぞプロ、というものを見せてもらった。私のすぐ脇には85年日本一の瞬間の写真パネルがある。モノクローム、ね。まだ屋根のない西武球場。みんな子供のような笑顔でマウンドに走り寄っている。真っ先に飛び出しただろう川藤さんの笑顔がまぶしい。今年もこのパネルのとなりは空席となった。勝っても負けても野球は続く。

 

また読み溜めたので、簡単に感想をまとめておこうと思う。

 

『アプローチ、アプローチ。そして彼女は救いを言った。』『アプローチ、アプローチ。あなたたちは誰よりやさしい』葉巡明治 著 スーパーダッシュ文庫

 

恋愛ものだと思った。「アプローチ」だし、優しげなイラストだし。話はいきなり人体破裂。殺伐とした光景が続く。文章は乾いている。主人公は生活のために夜のアルバイトをしている、という苦しい状況。自分が原因で母親が事故死してしまったことを重たく背負っている。仕事で不在、そして一切援助してくれない音信不通の父親への嫌悪。ひとりの妹との小さな家族を自分で、自分だけで支えている、そういう「やりがい」。

 

学園異能もの、というふうにくくれるらしい。学校を舞台に繰り広げられる超能力戦闘は、たしかにライトノベルお得意のジャンルのようだ。『アプローチ』を読んでいて、僕はふと、これは「個性教育」への怨嗟なのではないかと思った。

 

「世界でひとつだけの花」とか、「君にしかない生き方」だとか、要するに「オール5」じゃなくて「一芸入学」を突破するという人間像を「個性」と言っているように思う。

 

でも、それって「早いところ身のほどを知って"分かりやすい"形になれ」って言っているようだ。誰にとって"分かりやすい"のかといえば、社会でシステムを回していると思っている層だろう。ま、要するに「即戦力」だね。

 

この「即戦力」って、都合がよい言葉だ。状況は変化するので、その都度必要とされる「戦力」は変化して行く。そして現在変化は加速するだけ。戦力とされた人間は使い捨てされて行く。そして、使われるために益々目先の「募集要項」に適合した「即戦力」で勝負しようとしてしまう。悪循環だ。

 

「即戦力」という限定的な能力を磨け、というのが今の教育なんだろうなあ。それは「キャラ」という領域、つまり心理的な在り方まで踏み込んでいる。

 

この物語の子供達は生活とか生産には全く役に立たない「個性」を持っている。それゆえに支配層から不要と見なされると殺される。それも同士討ちのようなやり方で。異能に異能を殺させるのだ。そして、生き残った異能者も次には殺される側になる。

 

"分かりやすい"「個性」。しかし、人は一様ではない。状況の変化に合わせていくらでも変わるのだ。だからこそ一見無駄なような部分を作っておくことは生き残るためには絶対に必要なのだ。「僕にはこれしかない」みたいな人間がうまく生き残っているような嘘をつく奴は信じない方がよい。

 

僕は特技もない、とか得意なものも、特に好きなものもない、とかいうと、「定まらない奴」という風に、失格だとか、無能、とか言われるかも知れないが、こだわりや守るべきものがない分、身軽だし、学習の余地も残っている、つまり何にだってなれるのだから、生き残りとしては良い方法だと思うよ。

 

状況はどんどん変わるし、その原因は地球の反対側にあったりするのだ。どーしてこーなるの?と思うより、目に見えるものから状況判断して捨てるものは捨てて、身につけるものを新たに選んだほうが良いよ。実際、主人公は「他の異能者の能力をコピーする能力」で生き残る。素晴らしいじゃないか。

 

2巻は世界観におちをつけようとしたのだろうけど、うまく物語はまわらなかった。そこはちょっとね。でも僕でも、ニイコはどうやっても死なせない気持になるよ。それでよいのです。

 

『憐 Ren』全4巻 水口敬文角川スニーカー文庫

 

これはまたはっきりとした「異能」ものだと言える。謎の転校生、当然美女だ、が実は未来から過去へ「流刑」となった身だった。未来は計算機がひとを無能と有能に二分した身分制となっていた。ストリートで生き残るために犯罪行為を犯していた憐は、体制側から危険視され、仲間とともに流刑に処される。

 

ここでの「有能」は「向上心」である。いやあ、これも罠だよね、社会に出る前の皆さんへの。

 

呑気で陽気で乗りのよい、が、節操がないわけではない、というクラスメイトとのやり取りがこの話の肝だ。憐はそこで次第に「無能」という価値観から離れて行く。しかし、長年染み付いたものはそう簡単に彼女の中から消えてはくれない。

 

というと、なんか更生の話みたいだけど、そういう話としてみてもよね。ヒーローである玲人は自分が何者なのか、とかそういう「個性」くくりから自由だ。自分の居場所を優先している、ようだ。

 

「居場所」なんて言うと「ソフトヤンキー」かよ、って感じかも知れない。作者は短編集を通じてこの問題へのアプローチを試みている。答えはシンプルのようだ。「未来は決まっている」という思い込みを捨てること。だろうね。確かにそうだ。決めつけると逆に未来は狭まってゆく、という自己呪縛みたいなものだからね。

 

終りの方の未来社会の亀裂については話はうまく転がっていない、と思う。余計じゃなかったかなあ。未来からの新たな刺客みたいな存在もちょっとね、ま話を続けるにはよい方法だろうけど、僕としては憐ちゃんが、かわいいからね「ちゃん」、学校からその周辺コミュニティへと世界を広げて行く、って方向に話が進んで欲しかった、かな。

 

学園ものとしては秀作だと思う。

 

アンダカの怪造学』全10巻 日日日角川スニーカー文庫

 

10巻だから大ヒットだったのだろうね。でも5年半経つと、その存在を知るのに大分時間がかかりましたよ。作者の名前は「あきら」なんだそうで、読めないです、高校生でのデビュー作というから驚きです。

 

これもまた学園異能ものと言える。学校自体が変わっている。異世界から怪物を召喚する技術を怪造学と言う。そこで学ぶ女の子が主人公。彼女の父親は天才的な学者だったらしいけど、実験事故で死亡。しかし、その魂はどくろの首飾りのなかに封され残った。母親は予言者として権力に使い捨てられて亡くなっている。

 

この怪しくも危険な学問の犠牲になり、人生を壊されたひとびとの群像劇というのが話の筋。アンダカという異世界の存在、怪物を道具として利用するという学問の姿勢に疑問と反発を持ち、主人公は「怪物は友だち」という、どこかのサッカー少年みたいなポリシーで学問そのものさえ変革して行くという志を持っている。

 

しかし、アンダカ世界の闇は深く、そことの関わりで傷付いた人間、怪物両者は分かり合うことはできず殺戮戦を繰り広げることになる。いやあ、出てくる人物が全員まあ重症重傷なのである。ガンダムの『Z』『ZZ』並の苛酷さ。死人も何人も出る。

 

この状況ではどちらも壊滅的だろう、そういう戦いは毎回「はれ?」という展開で終息する。主人公の「仲よくしよう、友だちになろう」である。

 

え?それで説得できちゃうの?できちゃうのである。これが10巻の最後まで続く。うーーーーーーーん。君は国連調停官になったらどうでしょう。

 

救われない結末にしかならないだろう展開は見事だ。独特のネーミングセンス、どこか壊れているような人物の行動原理、どれも筆者の力量で説得されてしまう。上手なイラストの力は大きい。文章からは想像できにくい容貌を見事に形にしている。10巻あるが、まったく苦にならなかった。ま、時々心理描写に力が入りすぎていることもあるけど。

 

でも、なんというか、あまりに独特の世界だったので、なんか残らないんだよね。なんでだろう。たぶん、物語世界がみょーに現実を残しているからだろう。この話は今の日本の、とあるところで起っている。この破壊力抜群の学問がマニアックな場所に収まっている。それがどうにもリアリティを感じないからだろう。今の日本じゃなくて、怪造学が普通に町の、国の資源になっている、そういう世界を構築するべきだったのではないかと思う。学園ものにしては規模がでかすぎた、と思う。

 

ま、読後感は悪くないし、読み物として楽しめる作品。

 

『動機演出家 雪織廿楽のヒトゴロスイッチ』飯山満 著 KCG文庫

 

おもしろい。死んだ人間の「動機」を遺留品などから「創作」するのだ。それが楽しいので死者に興味がある。なぜ「創作」なのかと言えば、事実は身も蓋もなく、醜悪だったりと、興味がもてないのだ。

 

うーーん、朝倉師匠の「犯罪の向こう側へ」に近いスタンスだ。「犯罪は安心できない娯楽」。

「それにしたってだ。だからせめて、感動的な動機にしてやりたかった」

だ、そうだ。思えば歴史なんてそういう風な勝手な解釈がごろごろしている感じがする。遺留品や状況は事実を物語らない。事実は動機の中にある。確かにそうだろう。

 

その「動機を演出する」能力を使うと推理は容易だ。一番やっかいなのは犯人の動機だから。動機からは手段が浮かぶ。手段から動機はなかなか浮かばない。

 

優秀な主人公だが、実は自分の家族が死んでいった「動機」が分からないのである。その部分は「続く」なんだけど、今のところ続刊はない様子で残念。イラストもめちゃ良いし、どして?

 

帰宅部!GO HOME 決戦は日曜日』川嶋一洋 著 スーパーダッシュ文庫

 

11年前の作品。ライトノベルが本当にライトだったころ、なのだろうか。聞くところによれば『ブギーポップは笑わない』あたりが画期的、革命的だったようで、それ以降、描き込みの密度が上がったとか。

 

帰宅部とは下校時間の警備活動。うーーーん、PTAやシルバーのひとがやる、あれを武力行使OKでやっているのである。これは設定としてはおもしろいよね。

 

ただ、この話は企業戦争が舞台になっている。話が大きいのだ。僕が思うに、もっと小さい、しょーもないネタでやっていれば、もっとおもしろいのでは。そう、あの『うる星』の「さよならの季節」みたいに。

 

高校生だ。帰りの寄り道でいくらでもショーモナイ事件は起きるのである。買い食いひとつでも事件である。下校時間に他校生と接触は普通はないが、あったら事件である。それを武力行使オッケイで解決するとなると騒動である。

 

って、それは僕の好みですね。でもさ、例えばよ、帰りの商店街でぶらぶら安いソースの匂いの焼きそばなんて食いながら歩いていて、他校生の生徒手帳拾ったなんて、ないけど、あったら相当の事件でっせ、高校生的には。そういう小さい事件に無駄に体力と知力を使うのが高校生だよ、、、ってそれは僕の好みですけど。

 

ライトノベル、まだまだ積んであります。未読12冊。購入予定もまだまだあります。ちょっと前のヒット作は図書館にあったりするので、そっちもぼちぼち読んで行こうと思います。