海辺の風景

海野さだゆきブログ

「活劇 日本共産党」朝倉喬司

僕の心の師匠の一人、朝倉さんが亡くなってしまって、時代をどう読むのか分からなくなってしまった。遺作になってしまった本作品を辛くて読めないでいた。

 

敬愛していたミュージシャン、作家などが亡くなる度に自分の生まれ育った時代の終焉を感じていた。それはとりもなおさず、自分自身の終了、すなわち死の到来を告げるものだ。それは恐怖だ。「すべて生じる性質のものは消滅する性質のもの」。このまま終わりたくはないな、とどこかで思うのだ。

 

朝倉さんとの出会いは衝撃だった。「犯罪の向こう側へ」だ。現場を歩き、そこに「風景」を幻視する、そのほの暗い映像が僕を打ちのめした。僕もずっと「基底的な心象風景」ということに囚われて生きてきたからだ。

 

違う言い方で言えば「風土」。その土地に染み付いた何かが人の行動を規定する。染み付いた土地の記憶。そんなものがあるのかといえば、あるとしか言い様がない。人間は思った以上に動物なのだと思う。行動はすべて「動機」から生まれるものではない。

 

警察の調書というものをみたことがある人は少ないだろう。僕も一度だけだ。事故ではまた別なのだろうが、「犯罪」では必ず「動機」が必要となる。しかし、ひとはすべて自分の行動を「動機」によって説明できるものなのだろうか。

 

「魔がさした」。そう、「魔」としか言い様のないえたいの知れない人を突き動かす何かは存在するのだ。

 

東京都下を震撼させた連続養女誘拐殺人事件。その事件の最中に僕は事件現場がある線でつながれていることに気が付いた。「塩の道」あるいは「絹の道」と呼ばれた古い道だ。交易にさかんに使われた道はなぜか平野と山の「際」を縫うようにして走っている。事件はその道の周辺で起きているのだ。

 

後、犯人が特定されたときに友人たちとそのルートをめぐった。細い道はバイクでも苦労するような、まさに歩く道のまま残っている。ここを夜中に何をみて、あるいは何を聴いて走っていたのだろう。最後は犯人とされた人の地元に行った。延喜式にもある由緒ある神社。なんとその昔は鵜飼いが行われたほどだったという。そんな賑わいとはもう無縁の寂れた山間の小さな町である。が、ここは自由民権運動では有名な場所でもある。そうした「土地の臭い」。

 

「いいところだね」と友人が言ったのに僕はハッとした。そうなのだ、ここはいい所なのだ。が、時代はこの土地を置き去りにして反映を違う場所に連れていってしまった。

 

犯人は甦りの儀式を行ったと、そう伝えられていた。僕はそれはこの土地が持つ古い記憶の中にしか存在し得ない「動機」なのだと理解した。開発により、あるいは開発から外れたことで破壊されて行く自分の土地の風景。それが犯人の基底的な心象風景を同時に破壊していったのだ。犯人はそれを「呼び戻そうとした」。

 

近代的な個人の「動機」では犯罪は決して説明できない。「魔」は、そうした近代のほころびに「刺し込む」古い、おそろしく古い何かナノだ。

 

「命の教育」が、かつてその土地で繰り広げられた凄惨な「命をすりつぶした記憶」を呼び覚ます。近代的な個人の輪郭がおぼつかなくなる、破壊された時にそれは「魔がさす」。

 

そうした思考方法を師匠は教えてくれた。中学生の時に出会った「ユング心理学」に感じたものは、師匠によって現実を理解する強力な思考の杖になった。

 

それから僕は何か事件がある度に師匠のコメントがないか探すようなった。師匠は「風土」をもとめ、あちこちに旅をしていた。僕の東海道歩きもどこか師匠のそうした現場巡りに影響されていた。現代の最新技術が新幹線の形をして走るそのすぐ下を古い東海道が走っている。まさに今を生きる僕らの実相そのものだといつも思っていた。

 

いつ頃からかは自分でもはっきりしないのだが、僕は師匠の本を追っ掛けるのを止めていた。現在手元に残っているのは「電子少女犯罪」2000年である。「老人の美しい死」2009年は久しぶりに購入したものだった。師匠もいよいよそういう年齢になったか、という感慨はあった。そして自分のそういう年齢を意識するのを避けるように本は手放し、師匠の本も買わなくなった。

 

朝日新聞に書評が乗った。師匠の遺作である。これは絶対に読まないといけない、と購入したのはよいが、読めなかった。確実に終わるものがあったからだ。どこかしら自分にはまだまだ未来があり、いろいろなものにいちいちけりをつけなくてもまだ時間があるからよいのだ、という雰囲気。老齢になっている悪い見本を山程目の前にして、先の短さは自覚しているつもりでも、自分のことだと別なのだ。

 

が、自分のみの回りのものを整理、要するに捨てていって、だんだんと見えてきた自分の終りを、やはりだんだんと受け入れるようになった。「読もう」。そう思った。師匠もきっといつ自分が終わるとなんて思って生きてはいない。人にあるのは今だけだ。未来は「終わる未来」だけが残ったが、未来は未来だ。時間を進めること、それが生きることなのだ。

 

未完に終わってしまった本作の題材はなんと日本共産党である。単純に言えば「周縁から歴史を再描写する」作業をし続けた師匠は最後にえらいものを選んだものだ。僕の年代では左翼は「新左翼」の印象となる。立ち食い師を巡る押井さんと笠井潔師匠の対談はなんかおやじの思出話のようだった。現代書館発行「オルガン10号」で「これであなたも、左翼がやめられる」橋爪大三郎はこう述べている。

 

人びとの現実の社会生活を維持していく責任から全く無縁のところにある、左翼の存在理由とはなんだろうか。それは一種の、心理的安全弁のようなものになってしまう。社会に適応できない知識青年も、そこでなら自分の存在理由を見つけられるのだ。左翼にどれほど良心的な人びとが多かろうと、こういう限界をふり払うことにはならない。(123ー124ページ)

 

僕は中学生の時に「ユング心理学入門」と「共産党宣言」に出会って、知的な興奮を味わった。特にユングには世の中には同じ様なことを考えている人がいるものだ、とひどく感心した。共産党宣言は「かっこよさ」だった。まだまだソ連の暗黒面を知らなかった中学生にはそう思えた。

 

ユングはオカルトすれすれ、あるいはそのもの、のところで人の近代的な自我とは別の行動原理がある、と訴えていた。僕もそう思っていた。小さい頃に妖怪を目撃した経験があったからだ。友だちとふたり、雨の日に歩いていたときだった。自分でもそれは幻覚なんだとおもったが、そのリアルさに人には別の世界があり得るのだと教えた。その後発熱にうかされたときになどにみる幻覚も同じであった。そのリアルさはしかし、逆にリアルなものが実は不確かであることも教えた。ユングを読みまくる中、僕はユングの説の立脚点のいい加減さに幻滅、心理学に興味はなくなった。高校生の真ん中辺りである。以降、認知心理、情報処理、現象学などにのめり込んだ。一番影響うけたのは「かくれた次元」エドワードホール、である。動物の空間認知の話は人間も同様の情報処理をしているはずだと僕に確信させた。

 

資本論もなんとか読み終えた。フィールドワークの良さがあって、そこには共感したが、弁証法でなんでもかんでも説明しようというところでエンゲルスがおかしな論証をしているあたりから頭に疑問が涌いた。ヘーゲルは素晴らしい翻訳のお陰で分かることは少なかった。当時熱中していた生科学、とくに消化酵素とか触媒とかの複雑なメカニズムの方に現実味を感じていた。「ブレーキをブレーキする」みたいなその仕組みは社会にもあるだろうし、実際人間の認知領域でも同じだろう、と思っていた。現実の若い共産党員のみなさんへの、クラスメートで入党した人がいたわけ、嫌悪感も手伝って、だって思考停止しているんだもの、すっかり左翼熱は冷めていた。実生活では大学生活の落ちこぼれであり、僕は映画館に逃げ込んで没交渉な生活を送っていた。開き直って社会に出るまでに4年かかるのである。

 

その社会に出て左翼のみなさんと大勢出会うとは思っていなかった。職場にうじゃうじゃいたのだ。結果は橋爪さんの言う通りである。彼らは人を攻撃するのにはたけていたが現実的な運用、つまり喰う住む寝る、金と人を動かす、では最低だった。組合の会合で反対派の僕らに対して「敵と見なします」と言い放ったのを聞いたときには流石の僕も立って怒鳴りつけた。「同じ組合員を敵とはなんだ」。でも、そういう常に敵を作り続けるしかないのが彼ら左翼なんだよな。尾行、無言電話、濡衣、なんでもやるのだ。そのエネルギーを仕事に向けろよ、だった。

 

僕の関心は前の戦争に移っていた。「人はどのようにして兵になるのか」彦坂諦さん、である。何でもどんな状況でも日常と化す。そしてその日常を生まじめに生きる。その原則がたまたま戦争状況に現れたにすぎない。そのことをこと細かく調査分析して行くのである。あるものや人がなぜ、いつ、どこから来て何をし、しようとしたのか、などという関心はない。そこに他者はない。あるのは目の前の自分の日常である。それを生まじめにやるだけなのだ。

 

本作の第一話は南喜一である。僕はまったく知らなかった。彼は師匠の描写の中では拷問で死んだ弟の「敵討ち」のために実業家という自分を捨て共産党運動に飛込むのである。そして最後は「私娼」支援運動であるが、解放したはずの娘たちを地元に帰したのに、地元は迷惑だ、という「現実」に出くわし、運動から脱退、再び実業家へ戻る。師匠は彼の入党も支援運動もやむにやまれぬ人情から出た、という。そうかも知れない。しかし、ここでも橋爪さんの指摘はそのまま当てはまる。

 

第二話は徳田球一。名前くらいは聞いたことがあるが、こちらも初めてである。師匠は彼の中の「琉球人は汚い」と差別に苦しんだルサンチマンをみる。頭脳は相当優秀だったことがうかがえるが、いまでいうところの空気が全然読めないどころか、正しければOKの世界なので、他人の事情はまったくといってよいほど考慮しない。最後に師匠は大の共産党嫌いだった吉田茂のエピソードを紹介しているが、これは「正しい正しくない」という行動原理だけで生きていたと思われる徳田の典型的な行動であって、彼は研究科学者には向いていたが、なんでもありの世界では軋轢障害を生むだけだったのでは、と思えた。

 

第三話は田中清玄。この人も全く知らなかった。過激な武力闘争派である。このくだりは左翼の地下生活の異様さが際立つ。その窒息しそうな閉鎖性は左翼ならではのものだ。これがやがて内ゲバ時代を生む。以前、笠井師匠は日本の左翼がなぜああも悲惨な内ゲバに陥ったのかと発言した。左翼は全世界どこでも内ゲバだらけなのは今となっては明らかである。「テロルの現象学」はその解明にかけた豪速球であり、僕の座右の書の一つである、いまでも。田中は最後に誇り高き会津藩というフィクションを持ち出して割腹自殺をした母親の事件をきっかけに転向。その彼も官憲を前に俺は会津の末裔だと叫んだことがあるようだ。自分の立脚地点を検証しないまま、突き動かされるままに生きて、最後にはありもしない「会津藩」にすがるしかなかった親子。人はリアルに幻を見るのである。

 

師匠はインターネットが関わる犯罪の考察の後で、ラスコリニコフが見たという夢を紹介している。今風に言えば「おれ以外全員馬鹿」という自分の正しさに絶対的な確信を得るという「病気」が全世界を覆う。そして人びとは殺し合いほとんど生き残らなかった、という。

 

20世紀の悪夢、共産主義はいまだに終わってはいない。中国という大国の動向に右往左往し、中朝論という逆立を編み出した日本のインテリがやがて周縁から、それも支配階級の下層から、明治革命を、クーデターを生み、それに乗り遅れた青年たちが俺も新しい世界をつくるんだと共産主義に、あるいは皇国史観、あるいはカルトに走った。その結果はどうだったのか。そして今またもや大国の狭間で右往左往する内ちは同じものを産み出すだろう。

 

「こんな世の中いやだ」「世の中間違っている」。では、どう運用して行くのか。君の大嫌いな人も安心して暮せる仕組みとはどういうものか。というか、そもそも世の中は実際どうなっているのか。自分は何に立脚して生きているのか。そういう地道な考察や行動へ経ずして、一気にことは運ばない。しかし、それを欲望するものは後を絶たない。

 

この師匠の最後の作品もまた、中国の歴史書から始まる「どうしてこうなるの」のひとつに加わった。その歴史書ですでに「昔が一番良い」歴史観。時代の雰囲気に対向できなかった人だらけ。でも、それはそれ、これはこれ。「ちょっと待てよ」と立ち止まって、おびえて、引き籠もって、泣いて、目をつぶって、で良いのではないかと思う。その恐怖が続く限りは動かないことだと思う。そのままでいると、その恐怖が必ずルサンチマンを生む。調べて学んで、状況がつかめたら最低の行動原則だけを決めて始める。僕はそうしてきた。正解かなんて知らない。ただそうだっただけだ。

 

僕が師匠から学んだのは、立ち止まって以降、調べ学にあたっては必ず「現場に立つ」だ。すべて現場に行った。遺跡発掘現場しかり、旧東海道しかり。今はどういうわけか「死の現場」。それももう飽きてきたけど、いずれにせよ現場で考えた。二次情報ではない、その現場に立ってこそ感じる「風景」「風土」が必ず何かを教えてくれるのだ。それは僕をずっと導いてくれた。師匠に心から感謝している。僕もまもなくそっちに行きますけど。

 

心よりご冥福をお祈り致します。