随分と前から僕は物語を綴らなくなった。作曲も一種の物語作りだと思うけど、そっちも止まったまま。
人生の残り少なさに気がついて思うのは、現実はただそれだけでそこにあるものであり、僕はそれだけでは生きてはゆけなかったということだ。現実に向き合うのが大変だった、らしい。
病弱児童だった僕は現実に向き合いたくなくなった。病室の毎日のリアルに打ちのめされてしまうからだ。
いま、人生が終わりに向かっていることに向き合うのは辛い。状況は病弱児童時代に似てきた。
少年ぽい妄想はもう無理かと思ったが、意外にも自分の中に残っていたりする。もちろん、今も当時も妄想は妄想として認識されていたし、「帰り道」の寂しさも受け取ってはいた。
もう、いいのだ。それぞれの人がそれぞれの現実を生きている、ということで。
体の事、社会的な立場、金銭財産、人間関係、もちろん毎日ご飯を食べている以上無視などできない。が、何かがささやくのだ。何かが。その声についてゆこうかと思う。