新聞を読んでいたらある本の広告が目に入った。亡くなった親の「荷物」を整理する子供の負担が大きいという話だ。
それ、もろに僕たちの話だ。父が亡くなって母は家にある膨大な「ゴミ」と戦うこと2年でなんとかめどがたった、という程家にはモノがあふれていたのだ。
そのゴミの中で一番多かったのが「道具」である。もの作りが好きだったし、大工から企業の営繕を長く勤めた父には商売道具ではあるのだろうが、残っていたモノは哀しいものだった。
安っぽい工具類が山とあったのだ。それも同じモノがいくつも出てくる。高価なものは皆無。その安っぽい同じようなドライバーセットとかが2、3、4、5と出てくる。たまに古い工具が出てくるが、手入れはされていない。そりゃそうだ。定年から30年近く経って、父が何かを作る「仕事」はなかった。また、趣味で日曜大工とかしない人だった。
母は2年の間毎日ゴミ捨てをしていた。
さて、この僕、大切にしていたマンガをひとに譲ったのを機会に、捨てることを始めた。いやあ、あるわあるわ。。。。うんざりしてしまった。捨てるのにこれほどの労力が必要だとは思わなかった。
今も捨てている途中だが、ふと今日思ったのは、捨てたもののリストを残しておくべきだったということだ。
逆リスト。そのリストは僕が何をして、何をしなかったのかのリストでもあったはずだ。実際に使ったものも、どれくらいの年月使用したか、とか記録しておくとおもしろかった、というか自分が何者なのか知るチャンスだったと思う。
例えばDECのアルファワークステーション。Linuxを入れて稼働していたのはおそらく2年に満たない。実際はインストールしたままだ。ある程度の設定は動かすために必要だからやったが、メインはIntelマシンだった。
HPのPARISCマシンはルーターとして6年は稼働している。これはLinuxで動かしていた。もちろんカーネルをはじめソフトウエアも後進し続けていた。
A400のようにあまりに難しくてログインできてそれきり、というものもあった。
一時DTPを仕事にしようとしてMACを購入した事もあっが、あれも半年くらいで売却したはずだ。
NeXTの時代も3年以上あった。Nifty時代はずっと使っていた。
こうして思い出してみると計算機が僕の「モノ」として一番多くあったし、多くの時間を共にしている。そのわりに言語の習得はまったくと言ってよい程進まなかった。これが面白い。ユーザとしてずっといたわけだ。
まあ、仕事のために小規模なシステムを組んで仕事で運用していたこともあった。期間は1年ほどだ。あれはかなりのプログラム修正が必要だったので、まったくプログラミングをしていなかったわけでもない。
こうして思い出してみると面白い。ものを捨てるときに湧き上がる感情というモノがある。が、それは感情にすぎない。どれだけの時間、何をしたのか、という事実をまずは思い出すべきだったのだ。
その点車はわかりやすかった。20年約17万キロ。北海道から広島まで。
しかし、モノが捨てられてなくなり、残るのはわずかな記憶だけだ。そう、「僕の中の記憶」。他人には残らない。人生で残るのはその個人的な、他人には感心が持てないような記憶なのだ。
残る。そういう事を考え出すと、たどりつくことは。
残った「モノ」は残されたモノには迷惑なゴミでしかない。
残った記憶はそれを記憶している本人にしか意味がない。
すくなくとも「ユーザ」としてある場合は。