海辺の風景

海野さだゆきブログ

東海道最終回 二日目

初日、田村神社のバス停で待っている時、東海道歩きはもう10回分は歩いた、というご夫婦と一緒になりました。世の中すごい人がいます。

すんごくガタガタ揺れるバスで、ものの20分くらいで水口宿。宿は水口センチュリーホテル。宿に入る前に、すぐ近くのショッピングセンターで夕食の買い物をします。地元の人がふつうに食べているものを食べたいのです。それにスーパーのお惣菜、お弁当は結構レベル高いのです。地元の味付けの傾向もわかりますし。

必ず食べるのは、サラダですが、「一日に必要な半分」をうたうのをふたつ。やはり、このくらい食べると翌日の調子が良いのです。

そして地酒。この辺り酒蔵がいくつもあるのです。本当は無濾過の生酒を飲みたいところなんですけど。

さて、二日目。近くのバス停から田村神社まで戻ります。ここには道の駅があります。「忍者米」やら近江茶、紅茶などをドバドバ買って、宅配便で送って貰いました。少し早いお昼はうどん、でもこれはただのうどんではありませんよ。是非現地で。とてもおいしかった。

と、ディサービスのご一行様が到着。にわかに賑やかになりました。全員女性。ですよね。「男はバカで早死に」で良いのです。

僕はここから水口宿までの道が東海道で一番好きなのです。だから東海道最終回はここしかない!のです。国道歩きがなく、人通りも車もほとんどない、静かな、緑やお茶や草、風の匂いがする道なのです。昔と変わらないのではないかなあ、と思うのです。

ここはゆっくり踏みしめるように歩くところです。

地元の方々のご尽力でこの風景は保たれています。しかし、日本のどこでもそうなように、主を失った家が朽ち始めています。観光では街並みは、この街道の風情は維持できません。東海道でも空き地が太陽光パネルで埋まるのが目につくようになりました。地元の企業が小さくても利益を生み、その利益で地元が駆動する、そうした仕組みを作り出して行く未来を祈るばかりです。

調子が良く、予定より歩いてしまいました。残りは明日。

 

 

 

東海道最終回 初日

還暦目前、時間もお金もないのです。人生の後片付けは東海道歩きも例外ではありません。機会があれば残りを歩きますが、ここで一区切りつけようと思いました。

場所は迷わず土山宿から水口宿です。東海道で一番好きな場所なのです。

17日深夜バスで出発。午前4時30分、雨の近鉄四日市に到着。まだ夜に包まれた街をJR四日市まで歩きます。始発電車には時間があります。装備を整理、壊れている膝にしっかりテーピングします。

朝の静かな空気の中、ディーゼルのワンマンカーは鈴鹿に向かって走り出します。汚れでちょっと曇る車窓で東海道を探して辿ります。いつものことですが、何年も前のことなのに、歩いた光景がよみがえります。

鈴鹿の山はけむって、細かい雨。旧道の街並みはまだ眠っています。って、朝食が調達できません。結局駅まで戻ってさらに国道を進んでコンビニでようやく。やれやれ、でも今回はまったく急がない旅です。これもあり、あれもあり、全部楽しみます。

歩けばつい昨日のように全てを思い出します。冷たく風が吹き下ろす峠への道。雪が降るなか歩いた時もありました。

10年くらいでは何も変わらない道。変わるのは人間である僕。水、また水。道は静かです。

峠は晴れていました。燈籠を見上げながらおにぎりを食べます。通りすぎる雲が時折陰を運び時間は緩やかに過ぎます。

もしかしたら、僕は死ぬ直前にこの光る風を思い出すのかもしれません。

 

人生の後片付け

CDを売り払った。一時は2000枚はあったと思うけど、随分と売り払ったつもりでも250枚はあった。残ったのは10枚位。どうしても残すというものではなく、売り物ではないから、とかの理由で残っただけだ。売却額が10万円を越えたのにはちょっと驚いた。

 

ずっとこのところ持ち物の整理を続けている。理由は簡単、今後いまの広さのアパートには住めないことが分かっているからだ。部屋は大幅に小さくなる。多くは持って行けないのだ。

 

CDを売り払って意外な「効果」があった。以前より音楽を真剣に聴いているのだ。そう、音楽たちはデータとして手元には残っている。たぶん、僕はCDを「持っている」ことで何かが止ってしまっていたのだ。

 

聴いていると、案外ボンヤリと聴いていたことが分かった。なんだよ、俺、ちゃんと聴いていなかったじゃないか、と意外な自分の実際が分かったのも収穫だ。

 

SpotifyってLinux用があったのには驚いた。早速入れてみた。『ヒットの崩壊』は読んだけど、じゃあストリームサービスを使ってみようかとは思わなかった。Linuxに対応しているというので初めて興味が出た。

 

知っているものを検索して聴くという使い方は、確かにすぐに天井が見えた。なにしろ聴きたいものはCDとして所有していたから、今でもデータとして残っている。劣化した音質で聴く必要はない。

 

やっぱりラジオみたいな役割を求められているのだろう、プレイリストという「目利き」たちが選曲した番組みたいなものがある。だよね。ただ、それも僕には物足りない。NHK-FMみたいな本当になんでもある状態には程遠いから。出会いの範囲が狭い。

 

例えば日曜日なんて、午前中から夕方までNHK-FMを聴いているけど、「名演奏ライブラリー」「吉木りさのタミウタ」「トーキングウィズ松尾堂」「きらクラ」「洋楽グロリアスディ」「ワールドロックナウ」「サカナクション山口一郎Night Fishing Radio」という具合いだ。この出会いの幅は正直すごい。

 

でも、Spotifyは楽しいね。低音質でも十分だと思う。音質追求は疲れるからね。音より音楽を楽しむってのは大事。年間12000円払おうかなあ。と思える。

 

ものがなくなって中身と真剣に付き合う姿勢を取り戻したのは良いことだと思う。

 

まだまだ「後片付け」するものは沢山ある。自分を見つめ直すというより、直面させられ考えさせられるのもなかなか楽しい。

 

『どるから』石井和義 原作 龍造寺慶 脚本 ハナムラ 漫画

男女入れ替わり物は沢山あります。かわいい女の子の中身がオッサンというものもあります。しかし、この場合オッサンがあの石井館長なのです。いやあ、こんな濃厚な中身、ありえません(笑)

 

そして、その難題に挑んだのはハナムラさん。そう、美人編集者とのやりとりをせつなくもどこかおかしく、哀しく描いたあの『ハナムラさんじゅっさい』(僕、ちゃんと購入してます、はい)のハナムラさんです。

 

「この男は実在する」って、『空手バカ一代』じゃないですか。。。。

 

しかしまあ、館長、いきなり自分を死なせてしまって、いいんですか、、、、、。これがギャグとかフィクションとか、思えない、、、「まだ空手を裏切ったままやんか」といういまわの際の言葉はグサリと刺さります。

 

しかし、まあ、立ったまま死んでしまうなんて、『侍ジャイアンツ』ですか。かと思うと「なんじゃこりゃあ」の絶叫って、松田優作ですか。。。。。。

 

そうです、あちこちにオールドファンを泣かせるオマージュがちりばめてあります。いいなあ、心地好いです。

 

館長のキャラクタゆえでしょうか、ギャグがあちこちにありますが、爆笑した直後に厳しい現実描写が突きつけられ、また、その事態への館長のまっすぐな挑戦的姿勢にグッと来ます。

 

いやまあ、流石というか、女子高生の体になっても、館長、エロの微塵もありません。気になるのは「格闘家としての筋肉の付き方」なんですから。筋肉(笑)。

 

この高低差激し過ぎる物語を絵にするのは滅茶苦茶難しいと思います。ギャグはギャグ、シリアスはシリアス、きっちり描けるハナムラさんは流石です。

 

ハナムラさんじゅっさい』で、なかなか浮上できない状況をありのままに描いていたハナムラさん、ちょっと心配だったんです。あのまま終っちゃうのかなあ、、、これだけ力があるんだから、チャンスはあるよなあ、、、と、、、

 

良かったですね、ハナムラさん。独特の色っぽい線は健在、微妙な表情、難しい心理場面を描ける筆力、十分発揮されています。

 

「世にでない才能などない」とは故米長永世棋聖の言葉ですが、絶対そうです。

 

話は自殺してしまった女子高生、追い詰められ食い詰めの格闘家、どん底の出口はあるのか?「明日はどっちだ」です。

 

梶原先生の『空手バカ一代』を始め、格闘技漫画好き、再び立ち上がろうとする人間の話が好き、そんな人に読んで欲しい、絶対ぜったいのお勧めです。

『クリス クロス 混沌の魔王』高畑京一郎 と 『ソードアートオンライン』川原 礫

ソードアートオンライン』を読んでいませんでした。PS4のゲームを2本も持っているのに。。。概略は知っていますって、有名ですから。

 

どうせ読むのならば、どうも先行作品として有名らしい『クリスクロス』をあわせて、その世界観を味あおうと思いました。これは面白かったです。

 

僕は遅れてきたので、ゲームの発展を体験してはいません。ですが、ゲームの性能が上がるにつれて、その「没入感」が変ってきたのは想像できます。その「没入感」の違いがふたつの作品を読み比べるとはっきりわかります。

 

ゲームになぜのめり込むのか。押井さんは仕事がなかったころ、「ウィザードリー」を一日中やっていて、膨大な「ゲーム内財産」を築きました。そして、その財がなぜ現実において無価値なのか、とさえ思ったとか。。。。

 

その押井さんはついに「ゲームキャラクターのお話」である『アヴァロン』まで作っちゃいました。そうなんです、「ゲームキャラクタ」。これへの「感情移入」が「投入」に、「投入」が「没入」になったのではないでしょうか。

 

ゲーム内キャラクタは3次元的になるといよいよ「ひとがた」として機能し始めたのではないでしょうか。

 

そう「人形」です。また押井さんの話ですけど、『攻殻』から押井さんは人形に興味を持ったことがありました。それは『イノセンス』に結実しています。

 

「ひとがた」と人間とのかかわりについてはたぶん色々な論考があると思います。僕は簡単に「脳が機能として持つミラーニューロン」の結果だろうなあ、と思っています。

 

え?

 

そうなんです。僕はゲームやっているときに、「こっちが動かしている」感じが実はあんまりしないのです。逆さまで、「ゲームキャラがやっていることを自分が真似している」感じなんです。そう、再帰

 

自分が動かすーキャラが動くーその動きを脳が脳内で再現する

 

という感じです。これが没入という感覚を生むのではと思いました。

 

さて、両作品です。どちらもなかなかに読みごたえがありました。って、それだけかよ、って。。。。違いが没入感にあるので、そこだけ話をしました。。。。どっちもお勧めですよ。

 

 

骨ストレッチあれこれ

骨ストレッチという技術についてちょっとあれこれやってみました。参考にしたのは『「筋肉」よりも「骨を使え!』甲野善紀 松村卓、『ゆるめる力 骨ストレッチ』松村卓、『骨ストレッチランニング 世界一ラクに走れる!』松村卓の三冊です。

 

結論から言えば、前提さえ理解していれば十分に効果はある、でしょう。

 

以前、サブスリーを目指すという人にアドバイスを求められた話をしました。そもそも僕に聞いてくるという時点で間違っていますし、からかい半分で聞いてきたのだと思いますが。そのときにも言いましたけど、問題解決は「そもそも」を定義することができれば解決策は見つかる、ということです。

 

あらゆる技術、その実現のための道具は、当たり前ですけど、成立条件があります。前提があるんです。骨ストレッチは考案者の方がどういう人なのかが技術の前提となっています。本を良く読むと分かりますけど。

 

1、中学高校大学と陸上競技、短距離の選手だった

2、100mを10秒台で走れる選手だった

3、記録が伸び悩んでいたところで古武道にであった

 

つまり、この方はアスリートなんです。それも直進専用。それも10秒台の選手。これ、一般的な人からすればとんでもない身体能力ですよね。10年は競技としての短距離走に打ち込んでいたわけですから、毎日上位レベルのトレーニングを積み重ねていった、そういう方が発見した、書いた、という事が前提です

 

道具や技術には適用範囲というものがあります。重登山靴で通勤する人もいないですし、短距離用のスパイクで山登りをするひともいません。技術も適用範囲はあります。まったくの無前提というのはありえません。

 

「最強格闘技」の技術をもっていても、「多数の素人がアサルトライフルを持っている」戦場でその格闘技で戦うことはないでしょう。

 

骨ストレッチは競技者レベルの人が更なる記録更新を目指してたどりついた技術、ということでしょう。『骨ストレッチランニング』に体験者の声がいくつもあがっていますが、全部競技者レベルの人たちですよね。それも「直進専用」の陸上の方が多いのは著者が陸上競技者だったからという以上の理由があると思います。

 

簡単に言えば、従来日本の学校レベルで行われていた陸上競技のトレーニングに一番欠ていた視点から発明、発見された技術ということでしょう。

 

では、一般の人に役に立たないのか、といえば、そんなことはないと思います。ただし、条件を満たしていれば、です。

 

話はエレキギターになります。Youtubeで教則動画を沢山公開しているHidenoriさんという方がいます。彼は非常に優れたコーチング技術を持っていると思います。「対面指導でないと何も教えられない」とは彼のよく言うことですが、全くその通りですし、それをはっきり明言している時点で十分優秀です。この国のコーチングレベルからすれば、です。

 

彼はある時に、ある質問に答えていました。やりとりを要約するとこうです。

 

「どうやったら指をリラックスできますか?」

「あなたが指をリラックスすべきレベルなのか、そもそも指の筋肉を鍛えるべきレベルなのかが分からないので、是非個別レッスン受けてください」

 

これを商売丸出しという人がいましたけど、これ、身体を使うトレーニングの真理を言い当てている、金言です。ちょっと覚えておいてください。

 

さて、骨ストレッチですが、著者は二言目には「ゆるめる」「リラックス」「脱力」です。競技経験談では、スタートに遅れてあきらめ半分で走ったらそのときに自己ベストが出た、という話を例にして、脱力こそパフォーマンスを上げると説いています。

 

そうです。骨ストレッチは脱力の技術なんですね。

 

そこで、なるほどと思わないでください。Hidenoriさんの言を思い出してください。

 

そもそも脱力という前に、抜くだけの力がついているのか?です。そもそもろくに筋力もついていないのならば、動けるだけの筋肉をつけるのが先ではないでしょうか。

 

ゆるめるべき筋肉がそもそもついていないひとが、何をゆるめるのでしょうか。著者や体験談を寄せている方々はすでに競技レベルの筋力、身体能力があるわけです。その方々は脱力技術が足りていないために、体の動きが阻害されていたわけですから、効果絶大でしょう。

 

競技にもよるでしょうけど、ある程度の競技力がある場合にのみ有効でしょう。運動強度が何かくらい知っていて、それを意識してトレーニングをしている人ならば「一般の人」でも十分に有効だと思います。

 

はい、骨ストレッチは脱力技術、そもそもそれぞれの目的達成に十分な力がない人はまずは力をつけるトレーニングをすべきでしょう。

 

で、僕ですか?やってますよ、なかなか面白いと思います。AISとあんまり思想的には変らないと思います。色々なポーズが自然と呼吸と連動する辺りは古武道から学んだことなのかなあ、と想像しますが、そこのポイントだけでもかなり高得点の技術だと思います。

 

『あとは野となれ大和撫子』宮内悠介 著

舞台は中近東。両親を空爆で亡くしたナツキはアラル海が干上がったところに建国したアラルスタンに流れ着き、その後宮でエリート教育を受ける。そうした政策を推進した指導者の暗殺を機に、ナツキたちは暫定政権として周辺国からの干渉に、そして内政問題に立ち向かってゆく。

 

と、書きますと、すごい硬派、豪速球みたいな小説を思い浮かべると思います。実際、出だしは棍棒でなぐられるような衝撃とともに始まります。

 

ですが、その先はまるっきりライトノベルみたいなんです。いや、本当に。膝かっくんですよ、本当に。でもまあ、あまりに深刻な内容を深刻に記述すると、読み進むのが辛くなってしまう、から、でしょう、と思いました。

 

なかなかに読みごたえのある軽い記述に導かれて、あっというまに読み終えてしまいました。

 

ソビエト連邦の犯罪はいまだに裁かれていません。それは現代の大きな問題なんです。本当に。

 

絶対のおすすめ。腹にずしんと来ます。