海辺の風景

海野さだゆきブログ

『あとは野となれ大和撫子』宮内悠介 著

舞台は中近東。両親を空爆で亡くしたナツキはアラル海が干上がったところに建国したアラルスタンに流れ着き、その後宮でエリート教育を受ける。そうした政策を推進した指導者の暗殺を機に、ナツキたちは暫定政権として周辺国からの干渉に、そして内政問題に立ち向かってゆく。

 

と、書きますと、すごい硬派、豪速球みたいな小説を思い浮かべると思います。実際、出だしは棍棒でなぐられるような衝撃とともに始まります。

 

ですが、その先はまるっきりライトノベルみたいなんです。いや、本当に。膝かっくんですよ、本当に。でもまあ、あまりに深刻な内容を深刻に記述すると、読み進むのが辛くなってしまう、から、でしょう、と思いました。

 

なかなかに読みごたえのある軽い記述に導かれて、あっというまに読み終えてしまいました。

 

ソビエト連邦の犯罪はいまだに裁かれていません。それは現代の大きな問題なんです。本当に。

 

絶対のおすすめ。腹にずしんと来ます。

『奪われざるもの』清武英利 著

SONYが何度も繰り返した首切りを取材したノンフィクション。かつて「出る杭求む」とまで言って技術者を集めた「愉快なる工場」は膨張の果てにその資産を食い荒らされ、手っ取り早い「改革」である首切りを繰り返した。

 

同じ清武さんの山一の最期を描いた『しんがり』でも同じなのですけど、その組織を愛して最期まで尽くそうとするのは末端の人、もしくは傍流の人たちだったりするようです。そして、組織をどうとも思っていない人は「自分ファースト」でとにかく自分の取り分を稼ごうとするだけのようです。

 

それはワインバーグ先生のお父上の言葉を借り、なおかつ僕の言い回しで言えば「仕事をする能力の高い人と、会社に残る能力の高い人」の違いです。

 

ここに取材されている人は、もちろん取材をオッケイした人なので、ある程度大丈夫だった人「だけ」なのは著者の清武さんはよく承知していると思います。その後が思わしくなかった人は取材には応じないでしょう。それでも描こうとした理由は、現在追い詰められている人へ、まだ何か別の選択肢もあるのではないか?、ということと、組織や会社やらが奪えないものはあるはずだという応援でしょう。

 

僕も何回も転職をせざるを得なかった人生です。かなり危機的な状況になったこともあります。でも、なんとか生きていきました。色々な人やものに励まされてやっと乗り越えてきたと思います。

 

なんだか自分の首がやばいなあ、と感じたときには、あの職安通いでいつも聴いていた角松さんの「Alright」が心の中に響いてきます。

 

過去を断捨離

僕は中学生の時から曲を作ってきました。2、3の栄光はあるものの、下手の横好きです。演奏、録音も自分でやってきましたので、その遺産が結構残っています。

 

カセットテープで。MDで。

 

大学生の時にはすでにPCM録音をやっていました。あったんですよ、ソニーの製品にビデオデッキを使う録音方式が。なので、アマチュアとしてはそれなりの録音ができていました。もちろん中身は下手の横好きですけど。

 

コンピュータにはデジタルデータとしてとっておきましたけど、いよいよモノの断捨離が進むに、カセットデッキを処分することになりました。そこで改めて96kHz24bitで取り込みました。

 

買ったときには16万円くらいしたTEACのデッキ。ずっしりと重い日本製のTDKのカセットテープ。カセットデッキとビデオデッキ+PCMでの多重録音でなんとかクオリティを上げようとした、まさに遺産ですけど、

 

ずっと色々なものを処分して来て思うのは、なくなってみるとなくてもよいものだったことが分かることです。「これだけは死ぬまで持っている」と言っていたものも処分すれば「別に困らなかった」という結果でした。

 

思い入れというならば青春を費やしたこのカセットテープたちは思い入れしかないわけですけど、所詮自分のなかの思い出にすぎないわけです。普段聞き返さないですし(笑)。

 

ばしばし処分。

 

青春時代の録音を聴くと、もう全部録り直したくなります。角松さんの気持が分かります、レベルが違いすぎますけど(笑)。

 

こうやって過去はモノからデータ、データから思い出になり、消滅して行くわけです。なんか身軽になってゆく感じは確かにします。

 

これでよいのだ。

さようならランニング

サブスリー、つまりフルマラソンを2時間台で走るというのがアマチュアランナーの勲章だそうです。これって、42.195kmを約3時間ですから時速14kmくらいですね。

 

ママチャリのスピードですねえ。でもツーリングしかしない僕にとってはちょっと速いペースでしょうか、12km/hくらいでしか自転車漕ぎませんから。

 

雑談でサブスリーの話になったことがあります。話のネタをふった人は実際にランの大会に出たりしているので、やはりサブスリーは達成したいとのことでした。

 

僕はスポーツはある程度のレベル以上は指導者と仲間がいないと達成できないと思っているので、プロの指導とランニングのクラブみたいなところへの加入が当然だと思っていましたが、どうもそのランナーさんはそのどちらも嫌だとおっしゃるのです。よほど嫌な思いをしたのかなあ、、、、でも、、、、、

 

自転車でも先頭交代をしながらでないと、きつーいですよね。陸上も練習ではそんな感じみたいですし、、、、

 

さらに話をうかがうと、練習で40kmとか30kmとかの距離を走っていないみたいな、、、、

 

え?陸上って、距離で種目が変るって競技ですよね。普段40kmを走らず、10kmとかしか経験がないって、、、、、それって違う競技の練習をしているってことではないのかなあ。。。。。

 

7時間ぎりぎりだろうが42km走った人はマラソンという競技をしたわけですよね。9秒99であろうが100mならば100m走という競技をしたわけですよね。42kmの競技の練習が100mっていうことはないですよね。

 

野球の練習を両翼120mではない50mとかのフィールドでやってもそれは別の競技の練習になっちゃいますよね。。。。。普段120mできないとしても、最終的には120mのフィールドでやるしかないですよね。そうでないと練習にならない。。。。。

 

働きながらのアマチュアであっても週に一度は42kmの練習はできますよねえ。。。。僕がランが趣味ならばそうしていると思いますけど、、、、、。はて。。。。。

 

楽しいですよね、本番と同じって。違うのかなあ。。。。。長距離には長距離の走りかたってあると想像するんですけど、違うのかなあ。。。でも、生じる課題って距離が違うと変ってくると思うなあ。。。

 

というわけで、ちょっと走ってみました。とはいえ、僕はスロージョグ以上のペースでは走れません。スロージョグできるようになるまででも3年かかったので、これ以上のことはできませんし。

 

場所は多摩川。立川の柴崎体育館駅からスタート。この日は寒波来襲で気温は6度で無風。気象状況は良いですね。

 

最初はいつものスロージョグ、キロ10分ペース。5km過ぎてからあることを試してみました。

 

「地面を押す」

 

参考にした本のいくつもにこの言葉が出てくるのですけど、これが分からない。。。。やってみて確かめるしかないと思ったのです。あーでもない、こーでもないとやってみると、わかりました。ああ、これかあ、と。

 

確かに「地面を押す」としか言い様がないですね、これ。この走りをするとぐんぐん前に進みますし、おまけにとても楽です。これかあ、このことを言っていたのか、と納得しました。気が付けばキロ7分まで縮まっていました。びっくり、速くなるんですねえ。すごい。

 

でも、僕の現在の足の状態ではこの走りは続けられません。残念ですが。でもこの走りならば楽しいですよね。間違いなく。

 

その後、空模様も怪しくなってきました。確かめたかったこともできたので、10kmポイントで走るのを止めました。是政橋ですね。いやあ、走り終えて爽快この上なかったですね。これは楽しい趣味になるでしょうってこともわかりました。ペースはキロ9分でまとめました。10kmで90分かかりました。

 

この日、実業団らしきひとたちの練習に遭遇しました。僕がちんたら走っている間に、追い抜いてまた戻ってきてを2回繰り返しました。すごいですねえ。選手の皆さんはテレビでは分からなかったですけど、背が高いです。つまり足が長い。。。。そして、足音なんてしないんです、風を切る音しかしないのです。すんごいスピードで走っていましたけど、なんかよゆーの感じですし、体が滑って行く感じ、、、まあ要するにプロは別世界です。はい。かっこいいですねえ。。。。

 

件の人は多摩川で40kmとかしそうもないですけど、ランって楽しいものじゃないのかあ、、、、僕は足の状態からして、、、ランを趣味にはしないですけど、走れるならよい趣味になるとは思いました。

 

『虎子、あんまり壊しちゃだめだよ』ぬじま 著

『歌うヘッドフォン娘』がとても好きだったので、次なる単行本を待ちました。。。。。こちらさんも、なかなか情報がなく、、、大丈夫かなあ、、、と心配していました。

 

これは「ヤンキーギャグもの」とでも言うのでしょうか。ヤンキーな学園に転校してきました主人公、さっそく目をつけられ、けんかをふっかけられるのですが。。。。。

 

彼女、そう主人公は女の子です、けた外れの怪力なのです。本人はまったくその気がないのですが、なんでも壊してしまうのです。

 

ええと、まあなんと言いますか、女の子の胸があらわになったり、下ネタがあちこちに出てきたりするのですけど、まったくいやらしくないのです。はい。これは僕が老人で枯れちゃったからではないと思います。

 

絵が上品なのです。はい。僕が大好きな下元克己さんと同じなんです。テイストが。昔活躍した作家さんなので、実際の作品を読んで頂くのは困難なのですけど、

下元克己(3)ゴキブリ野郎 | ジョニーせつだのブログ

ぜひご覧ください。

 

あ、僕は本持っています。先生が描く女の子が僕には理想の美女で、子供のころは本気でドキドキしてました。はい。ぬじまさんの描く美女もハンパない美しさなので、そこも同じです。

 

下元先生もぬじまさんも、描線の躍動感が尋常ではありません。アニメーターですか?って思うくらいです。その溌剌とした線がとても健康的なのです。はい。何を描いても。はい。

 

まさかぬじまさんはそれが自分の限界?とか欠点とか思っていませんよね。この線のうねりはギャクを描ける線です。貴重な才能です。これからもバシバシとギャグ路線で描きまくって頂きたいです。僕にとっては21世紀に突如現れた下元先生の「二代目」なんです。

 

 

 

 

『阿修羅ちゃんと修羅場った』秀河憲伸 著

今日のユイコさん』は好きな作品です。作者のデビュー作だったんですね。次回作を楽しみに待っていました。なかなか「次」が聞えてきません。大丈夫かな。。。次が出なくてそのまま終ってしまう人も沢山いるし。。。。。と心配でした。

 

ついに出ました。待ってましたあ。

 

べたな「落ちモノですね。この「落ちモノ」という言い方はある方のを頂いたのです。映画『天空の城ラピュタ』のように、女の子との出会いが偶然、かなーり都合の良い偶然である物語を指します。

 

僕はべたなものが好きです。ある程度そのジャンルを知った誰もがその後の展開を予想できる作品を「べた」と呼びますが、そのべたでなお人を引き付ける力のある人が実力者だと思っています。

 

奇妙奇天烈、唖然とする展開、そういうものも好きですが、一種の小手先とも言えます。それも好きなのですけど、読み返す気持になるかどうかはわかりません。トリック、ギミック一発勝負もよいですけど、何度も読み返すか、ですね。

 

よいです。まあ、いきなり現れた「神様」に主人公があんまり驚かないのは、この作品の企画段階でかなり悩んだというなごりでしょうか?そこをあんまりやると哲学的な「神とは何か」になってしまうので、さらっと行ったのでしょう。

 

で、主題はそこにないですよね、この「等身大」の神様は、近所の女の子と言ってよいですよね。

 

男の子にとって、近所の女の子的であれ、女の子は「神様」になるんですよね。「妹の力」ですね。

 

男の子がはまる閉塞感。実際、行き詰まりなんでしょうけど、それを「妹の力」で打開して行く。王道です。はい。

 

「やーれーばでーきるよできるよやーればー」っていう歌が聞えてきそうですね。

 

もしかしたら難産だったかもしれない二作目。今後も期待しています。

ランナーさんたちって大変なんですね

ランニングを趣味にしている人の9割が怪我に悩む?

僕は人にアドバイスはしません。でも、職場のひとのことはちょっと気になっていました。

 

あのまんまでは大きな怪我するよなあ。。。。

 

残念ながら僕の予想は当ってしまいました。フルマラソン参戦したそのひとはかかとのあまりの痛さに途中棄権。整形外科で治療を受けるという結末になりました。

 

いくら勧めても読んではくれませんでしたが、『ボーン トゥ ラン』の著者が故障した、怪我で苦しんでいるランナーであって、その切実な願いがラン探求の旅の動機になったのだと知っていてくれていれば。。。。僕はアマチュアランナーの90%が怪我と故障に苦しんでいる、という実例を目の前にしてしまったのでした。

 

問題解決は「そもそも」を考え言葉の定義をすることから

僕はインターバルランとスロージョグはやってきましたが、それはランをしたいからではありません。「ぴんぴんころりで死ぬ」ためです。高齢化した後、「こんな風に死にたい」と思った死様を何人も見てきました。まさに「ぴんぴんころり」と亡くなったひとたちです。どういう風にああいうふうに死ねるのかを研究した結果、心拍数を意識したトレーニングをして(いわゆる)健康状態を保ち続けると良いとわかったのです。

 

ようするに「体を、生命を燃え尽きさせる」ということが「ぴんぴんころり」の正体なのです。

 

高齢になって、それに適した方法の中では走るインターバルトレーニングが一番だったのですが、僕の足は障害認定寸前の状態で、走れないのです。なので、速歩でインターバルトレーニングを始めました。10ヶ月続けたあたりで、もしかしたらジョグ的なことはできそうだと、こわごわやってみました。できました。歩いた方が速いくらいですが、間違いなく両足が空中にという動き、すなわち走る動作ができました。

 

できたは良いですが、これで怪我故障をしては元も子もありません。ランについて少し研究しました。

 

痛み、筋肉、皮膚、トレーニングに関しては過去の腰痛克服過程でちゃんと学びました。特にトレーニングに関してはちゃんとした講座に通いました。10万円かかりましたが、実技も充実、肉体面はもちろん、心理面、社会面も網羅した内容は本当に役に立ちました。

 

情報はただではないですね、色々な意味で。

 

当然アカデミックなアプローチ、エビデンス重視、コーチングなど他人にものを言うときの根拠の大切さも学びました。少なくとも目の前にいる故障する危険の高い人に何かをいえるほどには。。。。

 

なんでランナーは故障するのでしょうか?今回は「かかとが痛い」なんですけど、論理的にはわかるんですが、僕は「かかとが痛い」状態になったことがありません。故障したランナーたちの「証言」を調べることにしました。あんまり時間も費用もかけられないのですけど。

 

ランニングの本を斜め読みしたところで、すぐに混乱しました。言葉の使い方があまりにばらばらなんです。教則本的なものは全部パスでよいな、と思いました。アマチュアの方の「証言」で、これは面白いと思ったのは

『走れ!マンガ家 ひぃこらサブスリーみやすのんき

です。

 

それでも、更に慎重に考察することにしました。なぜならば「人はあまりに当たり前のことは書かない」からです。本人が前提としていることが意識に上ることはまずありません。ですが、その前提が分からないと確実に誤解、もしくは理解できないという事態に陥ります。

 

ですから「そもそも」です。

 

「そもそも走るって何?」

 

ここから始めます。走ることができない僕は当然それを考えざるをえませんでした。走るって早く歩くことですか?どうなんでしょう。

 

それに直接、それも科学的なエビデンスで明確に説明してくれるのが

 

『ランニングする前に読む本』田中宏暁 著

 

です。これを読めば故障なんてしないと思うのです。これほどの本が手軽に入手できるのにどうして読まないのでしょう?わかりません。

 

さらに「そもそも」を考える

ランに関する「そもそも」は田中先生の本で決着がつきます。はい。確実です。僕は田中先生の技術論に全く疑いを持ちませんが、

 

そもそもなんで走るの?

 

ということは考えました。

 

猫がもう狩りでたべものを得るという生活をしないのに、相変わらず「見回り」も「ハンティング」も止めないのは、「そもそも猫とは?」という原点にどうしても帰って行くからではないでしょうか。

 

人間も、すでに長距離を走って獲物を手にいれていた時代は終っているのに、それが人間を人間たらしめている故に、走ることを止めないのではないでしょうか。

 

『ボーン トゥ ラン』はその意味でも「人とは何か」を説き明かす、哲学的な、根元的な問いに対する解答を描き出した、全人類必読の書物だと思うのです。

 

朝まで呑んでゲロ吐いているような状態なのに、いざ走るとなると別人になってしまう、などなど奇妙奇天烈な人たちを描いているのは、そういうひとで「さえ」、走るということを描くことで、いかに走ると云うことが人間の根元に係わっているかを知って欲しかったのではないでしょうか。

 

件のひとはサブスリーを目指すと言います。僕はその前に「なんで走るの?」という問いに対する揺るぎない解答を自身に確立することではないのかなあ。。。と思うのです。

 

人は走ることによって人となった。

 

ですよね。