海辺の風景

海野さだゆきブログ

『Power Rangers』ディーン イズラライト監督

Power Rangers』シリーズを教えてくれたのはまだ小学生だった息子でした。スーパー戦隊ものを石森先生(僕にとっては石森先生)信奉者な僕は息子に見せていたのでした。

 

CATVでシリーズを連続して配信していました。これがなかなか面白かったのです。アクションシーンは日本の映像、でもドラマ部分はアメリカのオリジナルというまさに「合体」作品でした。

 

放映当時からかの土地ではすざまじい人気となったそうです。あのシュワルネッガー先生主演のクリスマスに子供のプレゼントがない、という大騒ぎのコメディはアメリカでの実話だったとかで、本当にびっくり。そう、このパワーレンジャーのおもちゃが全米で品薄になってクリスマスシーズンにパニック状態になったとか。。。。

 

僕は『ロスト ギャラクシー』が一番気に入りました。この話、実は俳優の病気交代とその復活という「現実」とリンクした感動的な展開でもありますし、初めて日本人スタッフがメインに係わるというシリーズでもありました。

 

向うでの人気のすざまじさはDVDセットの値段のけた違いの安さにも出ています。だって、『ロストギャラクシー』セット、1500円くらいなんですよ。こりゃ、買うしかないでしょ。

 

さて、過日、会員証をもっている映画観の上映日程を調べていましたら、「パワーレンジャー」の文字が。。。。はて?と見てみましたら、なんと完全新作で映画が作られ、アメリカでは上映後絶賛されているとか。

 

燃ました!映画評も決して「こどもだまし」的なレベルではないようでしたし、なによりも、完全新作、それも始まりの物語をやるというのですから。

 

得点つき前売り券を購入し、公開の日を待ちました。

 

さて、近くの上映館で字幕はなんと8:35スタート。6時起きして、7時に自転車にまたがりスタート。45分かけて到着です。休日、しかも「ポケットモンスター」や「プリキュア」などがやはり同じ時間にスタートということで、早くも親子連れの行列ができていました。整理券まで出まして僕は11番目。

 

一番小さいスクリーンというのが哀しいですが、日本で上映してくれることがなにより有り難かったです。やはりスクリーンで観ないと。お客さんは年齢高め。もちろん僕はどうみても最年長。20代なかばという感じの男子2人組、お、女子2人組もいますね、40代くらいのひととか、、全部で15人位はいましたね。同志ですよ、もう、この時間にこの作品をこの車でしかいけないようなところに来ているなんてね。

 

さて、映画はまるでドキュメンタリーのようなトーンの映像で始まりました。とてもリアルな感触です。そうです、なんかこう社会派のドラマみたいな。。。。。って、「パワーレンジャー」はそういう側面が確かにありました。

 

子供向ということで、スクールカーストも、いじめや不登校などの問題もオブラートにくるまれていました。笑いというなかにうまく隠されていたともいえます。

 

それが今回はリアルに全面に出ています。5人の若者が抱えている問題は実にリアルです。そして、その問題は実は彼らがパワーレンジャーになっても現実には解決はしていません。

 

そして、彼らは当たり前にであったばかりでお互いを警戒もしていますし打ち解けてなどいません。個人的な問題に対してももやもやしている彼らはチームとしてなど機能せず、それらが原因で変身ができません。

 

親玉のゾードンはそんな彼らに失望を隠しません。はっきりとそれを言いますし、彼らを見捨てて自分で敵を倒そうとします。甘くない、、、、いえ、、、実際の僕らの判断と変らないです。

 

そうした状況下、彼らがぎりぎりのところで心を開きあい、仲間になってゆくところはしびれました。

 

140分の長尺ですけど、180分くらいやって欲しかったくらいでした。しかしまあ、いつも思うことですけど、向うの映画の役者のレベルの高さにはうならされます。若い彼らには微塵も甘さがありません。女性ふたりがミュージシャンというのも何かこう示唆的です。。。

 

大人になったパワーレンジャーファンが、「やっぱり俺たちが好きになったものは本物だったんだ」と胸を張っていえる、そんな作品になっていました。素晴らしい。

 

しかし、まあ石森先生はアメリカでも一体何人を「食わせて」きたのでしょうか。なんと素晴らしい「土台」を作ったのでしょうか。何度も自慢まんまんに言いますけど、子供の時、友だちと先生のお宅にノーアポで行って、ケーキと紅茶をごちそうになった僕は天国の先生に空をみあげて感謝して家路につきました。

『NieR:Automata』3週しましたので。

還暦間近遅れてきたゲーマー(笑)、PS4がスリムになったところで購入したはよいのですけど、走らせるべくソフトで、これがというものがありませんでした。そこにこのソフトの予告編が目に突き刺さったのでした。

 

ネット上に感想、攻略なのは沢山ありますね、みなさんこの作品が好きになったんですよね、僕もそうです。ここのところずううううっと、この作品にかかりきりでした。やっと3週目終りまして、文章を書く気持になりました。

 

僕は戦闘モノって苦手なんです。どうも敵を倒すとか殺すとか壊すとか、後味悪いんです。「誰か"話せば分かるコマンド"実装してくれないかなあ」って思うんです。現実が話しして分かりあえないが故に余計に、せめてゲームの中でくらい話し合いで収まらないかなあって。。。

 

なので戦闘は「オート」で押し通しました。でもオートでは解決できない場面がちょくちょく出てくるんですよね。そこは気合い入れましたけど、やっぱバトルは辛いです。

 

まずはオートセーブないバトル苦手人間をくじけさせるステージ。これ、本当に大変でした。でも、まあ操作練習だからとがんばりました。

 

誰かがネットで「2Bの尻で150万本」とか言っていましたけど(笑)、2Bは魅力ありますよね。ベルベット素材?のボリュームのあるスカートにブーツ。なんで目隠しし?と思ったらのバイザー。なかなか秀逸な造形ですよね。

 

廃墟が美しい。動物が沢山いるのも新鮮。でも、本当だったら、昆虫の楽園になっているかもしれませんよね。あちこち蟻塚とかゴキブリうじゃうじゃとか(笑)。絶対やりたくないゲームになっちゃいますね。

 

滝がある水のある風景というのが素晴らしいですねえ。観ているだけで飽きません。

 

お話はひたすら欝展開ですね。途中かなり辛くなって止めたくなりましたけど、最後まで見届けたくなる力に引っ張られて終着点までなんとかたどり着きました。

 

2Bが汚染されて、汚染波及を回避すべくふらふらになりながら行くところは泣きそうになりました。「もういいよ、もういいじゃないか、そこまでタコなぐりかよお」って。気持が高ぶって、手もとが定まらず、かえって2Bが苦しんで死ぬ場面を繰り返してしまうという、、、あれはきつかったです。

 

最後アダムたちに誘われて、お誘いに弱いものですから「はい、ご一緒します」って答えてしまいましたけど(笑)、残留のほうが良かったかもって、、、あのバトルもう一度やりたくないんですけど。。。

 

テクノロジーに絶望しても、カルトにも依存はできない、そう、ひたすらただ百億の昼と千億の夜を生きて行くだけ。。。。って。。。。。。そうですよね、無常観からすれば、戦記ですし、これは21世紀の『平家物語』『太平記じゃないでしょうか。

 

砂漠で出現する自爆ロボットは説明不要でしょうし、ゲーセンのようなハッキングは「モニター上の戦闘」という現代の戦争そのものですしね。。。。主不在の家臣家来だけの戦争って、本質かもしれないですね。

 

このゲームのためにPS4買うというのも、ありですよ。僕はお勧めしたいです。はい。

 

あ、プレミアムサラウンドヘッドフォン。よいです。臨場感抜群。装着感も悪くないです。お勧めです。

 

しかし、僕の回りでこのゲームの話できる人がいない、、、なあ。。。。還暦間近でもみなさんお仕事が第一みたいだし。。。。『君の名は』とか『この世界の片隅』とかも、話できない。。。。来週『パワーレインジャー』なんだけど、、、これも話し相手いないなあ、、、息子だけか。。。。僕も9Sなみに孤独かも。。。。

『デッド オア ストライク』西森 生 著 第2巻まで

あらすじの説明無用の野球マンガです。『アストロ球団』に熱中した僕には手放しで楽しめる作品です。

 

勝った者だけが「正義」の価値観からすると、確かに完全に勝ち抜きシステムである「甲子園大会」はそれを象徴するイベントですよねえ。なにしろここでは政治でさえ高校野球の勝ち負けで決まってしまうというのですから徹底してますねえ。いいなあ、こういうの。下手な風刺より効いてます。

 

僕の理解では、少年マンガというのは「インフレーション」が本質です。つまり、テーマは常に「違い」、なのでその「違い」をどんどんエスカレートしてゆくことで物語を駆動して行くのです。

 

俺とお前は違うんだ!

 

違いすぎることが極限まで来ると、違いを担保しているカテゴリーを越境してしまうので、カテゴリー的には「違いがない」っていう結末になりがちというのが、少年マンガの危ういところですね。野球への姿勢は正反対だけど女の子の好みは一緒、みたいな感じでストーリーが完全に袋小路になってしまうわけです。おいおい、いつの間にラブコメになったんだよお、とか(笑)。

 

少女マンガは逆です。違い故にあった緊張感が物語が進むにつれて、段々とやっぱり同じところがある、分かるところがあるねって、違いを解消させてしまって、全員仲よくなってしまう、という。。。「同心円構造」に帰着して物語が停滞してしまうという。

 

で、このマンガ、少年マンガなのにどこかしら少女マンガっぽいところがあるなあ、と思いました。途中「美内すずえ白眼」が出てきたので、もしかしたらと思いましたら、作者さん女性?

 

このマンガの良いところは、女性が参謀であるところですね。お飾りの「かわい子ちゃん最低5人出しておけ」ではなく、はっきりとした目的、意思と戦略を持って立っているのが痛快です。今のところ女性たちより頭の良い男は出てきていない(笑)。雪村マネジャが格下マネジャを大局観がないみたいに切り捨てるところなんか、しびれましたねえ。

 

男たちは野球バカばかり(笑)。でも、いいですねえ、キャラ立ってます。僕はアフロが気に入りました。語りますよね、彼。その語り口が必殺シリーズっぽいので。

 

数々の少年マンガへのオマージュも練り込んで、この先どこへ行くのでしょう。必殺技がインフレを止められず、自重で瓦解していった過去の名作たちをどうやって越えて行くのかなあ。是非、素晴らしい方法論でやって欲しいです。

 

 

阪神ファンが観た6.8ジャイアンツ対ライオンズ

野球は楽しいので、阪神以外の試合もよく観ます。嫌いなチームなんてものは僕にはありません。どこに所属していようともスーパーマンたちのプレイはやはり素晴らしいからです。

 

去年も同じ球場で同じカードを観てました。チケットを買った時にはまさかこんな位置づけの試合になるとは夢にも思いませんでした。まさに異様な雰囲気とはこのことでしょう。

 

生で試合を観ていないとわからない「雰囲気」みたいなもの、そしてマスコミなどがあれこれいうのとは全然違う「実際」が目の前にあるのですけど、どっちかのチームに肩入れをしているとやはり「外野情報」に目が曇りがち。こういう「観戦武官」みたいな立場での観戦は実は僕はかなり好きです。

 

西武ドーム(ころころと名前を変えるので僕はこう呼びます)は、山の中の「半分ドーム」なので、かなり自然条件の変化に左右されます。この日は湿気がなくて、こういう日は球がよく飛ぶんです。カブレラの180m弾もこの球場ならでは。ちなみに僕、その場外ホームランの時、外野で息子と寝転がってまして、自分の真上を通過した打球にただ唖然としました。はい。。。。

 

あと、この時期だと「西日」が結構気になるレベルなんですよね。まあ、マリンスタジアム程ではないですけど、まぶしいですよ、三塁方向からの夕陽。

 

『球場三食』( 渡辺保裕さんの快作)に敬意を表して、水餃子、牛肉串にビールを買って内野最上段の端席へ。オーダー発表をみてびっくり。

 

「これジャイアンツは空中戦に持ち込みたいわけ?ここでは無理だよ、空中戦ならばホーム圧倒有利じゃん!」

 

これは「谷風」が吹く地形そのまんまの球場の形が影響しているんです。行った人は内野席の階段の長さにうんざりするでしょう?。トイレ行って戻ってくると誰も息切れてますよね(笑)。この地形的な条件、風、温度差、などを考慮に入れてプレイするのはマリンスタジアム同様ビジターには難しいと思います。

 

この日のホームランもそうでしたけど、おかわり中村選手のホームランも、多くはポール近く。それも両翼。僕は「両浜風や」って思ってますけど(笑)。なんか、ホームランじゃないみたいな角度のフライが外野近くで浮き上がるように伸びる感じです。バックスクリーンまでは行かないだろうって、見ていると入ってしまう感じです。

 

秋山選手のコンバットマーチじゃあないですけど「勝利を呼び込む風」が、独特の風があるんです。それはセのチームには分からない部分なのかなあって思いました。

 

たぶん、ジャイアンツの飛ばし屋のみなさんは打撃練習で「今日は飛ばない」って思ったのでしょうか?でも、この球場を知るファンでも逆に今日は飛ぶって思ったはずです。素人なので推測ですけど、上から強く叩いて角度をつけても上がらない、割合と非力にレベルスイングすると「勝利を呼び込む風」にボールが乗る感じです。

 

ラジオで谷繁さんが、浅村のフルスイングについて「なにもそこまで振らなくてもって思うくらい振る」「西武時代の和田さんのスイングには思わず笑っちゃいました」と。まあ、おかわり君もそうですけど、あれは「フォローが大きい」ってことじゃないかと思うのです。それはたぶん球場の特性上、そうするとよく「風に乗る」からではないでしょうか。。。。

 

さて、ジャイアンツの強打者のみなさん、飛ばないのならばヒットの連打勝負?でも、走れない選手ばっかり、小技のない、それも右ばっかり。。。。。おいおい、どうしてしまったの?これじゃあ、なあ、、、、と。思って2杯目のビール飲み出したあたりで試合はとんでもないことに。。。。

 

で、連敗中、それも「あのジャイアンツが」なので、まあ色々な人が色々なことを言うんですよね。V9時代の死闘(お家騒動を含みます)、暗黒時代を知る阪神ファンジャイアンツの連敗を結構気にしているのではないかと。これは色々な因縁があって、どうしたってジャイアンツのチーム事情を気にする癖がついている阪神ファンならではかもしれません。違いますかね。。。

 

僕は東京で生まれたので野球少年時代前半はジャイアンツしか見てませんでしたし、もともと嫌いなチームというものがないので、「くたばれジャイアンツ」とかいう応援、野次をしたことはないです。

 

思えば、松井がすざまじい慰留条件を蹴ってNYに行ってしまったあたりではなかったかと思うのですけど、応援席から「くたばれ」が聞えてくると、「本当にくたばったらどうすんだよ」って思っていました。で、本当にその兆候が出てきてしまった今、プロ野球どころか、野球ってジャンル自体の問題の最先端がジャイアンツで「発病」してしまった、そう思うんです

 

狼少年言動ではないですよ。ジャイアンツのwebsiteみてみてください。投手だけで育成を含めてこれだけの選手を抱えているんですよ。他でできます?ホークス?いえ、いえ、黎明期から80年の歴史、大都市東京、そういう条件を考えたらやはりプロ野球の、ひいては野球の代名詞なんですよ、ジャイアンツは。

 

東京のど真ん中で主催ゲームは少ないときでも2万以上動員できるんです。すごいです。

 

普通に就職先としてジャイアンツを考えてみてくださいよ。一般業種で言えば入社即部長就任みたいな条件ですよね。支店長。ブロック部長。いやあ、どのみちスーパーマンクラスです。

 

中学生でジュニアで名前があがってくるようなひとがごろごろ。でも、野村さんが相当前から懸念していたように、「お山の大将だらけ」で「人間教育」がどこかにいってしまったら。。。。って、僕の言葉で言えば、

 

スーパーマンたちは「天才型」なので、少年野球時代から頼られることはあっても、頼ることをしてこない、故に「助けてもらう」経験が少ない、故に「人を助けることができない」。

 

歩のない将棋は負け将棋。勝負は主役とわき役がきっちり機能してこそ総合力で勝てる、わけですよね。超一流でも3割しか打てない、超一流でも20勝はできない。3割打者を3人そろえたら9割にはなりませんし、20勝投手を4人そろえたら80勝できるわけではない。かえって正常に稼働する確率は下がります。

 

0.3+0.3+0.3にはならず、0.3x0.3x0.3になりがちです。どうしてでしょう。だって、ワンマンアーミーみたいなひとばっかりで「助け合い」「補い合い」がないので、マイナス面が足し算になることはあっても、プラス面が相乗効果をあげることがない、からです。

 

かくして「四番バッターばかり」になった時にジャイアンツはまず最初の「崩壊の前日」をみせてしまいました。それを反省した清武体制は、どこかのチームのお家芸だった「内紛」で消し飛んでしまい、「崩壊の始まり」にスイッチを押してしまいました。

 

でも、これって、高校野球でとっくの昔に始まっていましたよね。「野球留学」なんて、大型補強と同じですし、勝利至上主義のレギュラー偏重、レギュラー選手酷使も唐の昔。で、その強豪チームに入るべく存在する中学生チームがそれをまったく同じように真似する。

 

結果、典型的なスーパーマン、ワンマンアーミー、天才型が、少年期から「名門」巨人軍を目指す、と。。。。。

 

言われて久しいですよね、アメリカみたいなリトルリーグの選手起用を少年野球ではやろう、とか。でも、今年の選抜高校野球での21世紀枠へのブーイング発言みたいに、「教育段階でのスポーツとはなにをすべきなのか」はどこへやらの勝利至上主義跋扈は相変わらず。

 

思い出すのは、亀田兄弟が話題になっていたときに、あるタレントさんが、「非常識ですよ。今の日本、高校出ていないとどうなるか。彼らだってこれからの人生の方が長いんです。ボクシング後の彼らは苦しむことになる。それが分かっていて、親がそれやります?」と言っていました。

 

Bリーグで、現役選手が公認会計士資格をとったとか。必要ですよ。そうした「一般社会で生き残る技術」。

 

超一流選手でもプロ野球で10年やる人はほんの一握り。その後の人生の方がはるかに長いのです。ワンマンアーミーみたいな生き方しか知らない人はどうなるんですか?球界を代表する選手だった人が薬物につまずき、とか、現役選手の賭博とか、崩壊は進んでいますよね。

 

若い選手はおやじたちの勝利至上野球に使い捨てられないように、注意深く生き抜いて欲しいです。

 

まあ、「知人」とやらに汗水たらして稼いだ数億円を騙し取られて随分と高額な社会勉強をしてしまった人が監督をやっているチームは、少しは「人間教育」を口にしてきているようなんですけど、野球エリート揃いのジャイアンツ首脳陣はどうなんでしょう?まあ、タイガースも「天才型」の「守備に興味がない」という若い選手を、自分のピッチングにしか興味がない「天才型」の若い選手をどう「教育」するのか、ファンとしては見守るしかないです。

 

試合に戻りますと、ライオンズはとにかく「進塁」の野球でした。守りは源田選手が固定されて隙がなくなりました。去年までとは大違い。打撃ではとにかく進塁打、逆方向。それしかしないのです。メヒア選手だって例外ではなく、どうみてもセンターから逆方向しか狙っていないですね。あの「ラッキーな」ボテゴロだって、その姿勢が生んだ「必然」でしょう。いやはやもう呆れるくらい徹底していました。

 

クリーンアップに回せっていう野球ではないです。進塁打を積み重ねて得点するというものですね。先頭は出塁、出塁したら進塁。明確な方針です。分かりやすいし、打撃があんまり得意でない選手でもヒットではなく「進塁」なら俺でもやれるって気になりますよね。

 

思い出すのはバレンタイン監督時代のロッテマリーンズ。里崎さんによれば「みんなで2塁打を打とう」という明確な方針があったそうです。道理で、ね。あの屈辱の日本シリーズでそれは思い知らされましたよ(笑)。

 

源田選手のホームランも、掛布さんの言うところの「ヒットの延長線上にオーバーフェンスがある」ってやつです。逆方向への犠牲フライが「勝利を呼び込む風」に乗っただけのことです。辻監督はバレンタインさん同様の方針をチームに浸透させたのでしょう。

 

対して、ワンマンアーミーが連なるジャイアンツは進塁打が出ません。さすがに天才坂本選手はあり得ない体勢で三遊間に転がして進塁を実現させましたけど、やっぱり「ひっぱり」なんですよね。

 

なんだか「なんとかしようとしている」で、終っている感じでした。全部。その「なんとか」を明示するのが監督、コーチじゃないのかなあ。。。。監督が「なんとか」と言う時点で戦闘終了でしょう。

 

歴史的な連敗記録更新ということで、前にもまして色んな人が色々なことを言って、この僕も同じなんですけど(笑)

 

僕は、ジャイアンツは先頭に立っているがゆえに、ここ何十年もの、プロ野球を頂点とする少年野球から高校野球、社会人野球を含むシステムの問題が形になっただけ。そしてそのシステムは崩壊の過程が進んでしまっていると思います。誰も、現時点でこれを止められる人は現れていません。

 

岡田さんの30チーム1リーグ制も良いかもしれません。が、実現には現在の球団が「ひも付き」ではなく、自立した事業体になる必要があります。その意味では独立リーグに希望は残っていますが、どうなんでしょう。

 

阪神ファンは今でもグッズ購入で、アイドルグループのファンみたいに「買い支え」している感じですけど、本当に親会社から離れた場合、どれだけの人が例えば年間会費10万円とかで買い支えますかね。大阪の企業たちがどれだけスポンサーになってくれますかね。僕が生きている間に真の「大阪タイガースは実現するでしょうか。

 

まあ、ジャイアンツはまずは自前の球場を建設運営する団体になって欲しいと思います。そこが日本の野球振興の中心となって、アマチュアからなにから1年中野球の試合が行われている場所になっていたら、真のボールパークになっていれば、と思います。

 

全レベルの野球に責任を持つ球団に変身して欲しいですよ、ジャイアンツには。もちろん、タイガースにだってそういう姿勢は欲しいですけど、まずは先頭切って「東京ジャイアンツ」に生まれ変わって欲しいです。

 

ベンチ入りした選手の全員出場、複数ポジションできるオールラウンダーをそろえたチーム。監督、コーチの「審判資格習得義務」。などなど、リトルリーグがグレードアップしたような、そんな野球。そこでは「連携」だけがある美しいプレイが見られる。。。。かな。

 

BANYMETALはJPOPの統一理論だ!

敬愛している脚本家でもある小中さんが本まで出していたのですね。僕がごときが何か言っても大外れだけど、言い切ってしまおうと思いました。

 

にわか勉強ですけど、ヘビーメタルとか、ヴィジュアル系、アイドルについて頭に入れました。サカナクションの山口さんのNHK-FM、日曜日1800の番組がすごくためになりました。まさに丁度よいタイミングでした。

 

スタジオ録音はライブブルーレイの後で聴いたんですけど、順番が逆だったら、聞き流して終っていたと思います。

 

面白いんだけど、言葉遊びに終っているかなあ。

曲が間延びしているかなあ。

音楽的にはごった煮すぎているかなあ。

とか、もし音だけ最初に聴いたら思ったと思うのです。

 

ライブを観ると、間延びなんじゃなくて、フロントの大活躍の時間なんですよね。歌詞は振り付けがあることでセリフのようになって、面白く感じます。ライブこそ本来の姿のようですね。音だけより圧倒的に面白いです。

 

で、ごった煮の件ですけど、なんでメタルなのかなあ、ってところですね。メタルはドラムスのキックの連打が示しているように、リズム的にはもうこれ以上はないところまで来てしまっている音楽だと思うのです。形式美と言えば恰好は良いですけど、行き詰まってしまったという言い方もできるかと思います。

 

行き詰まると、枝葉に走ると云いますか、違うと言われる方向性のものを載せたり、ちがうジャンルと言われる曲をやってみたりと、出口探しがはじまります。

 

これ、行き詰まり、という捉え方ではなくて、安定したプラットフォームだと思えば、なんでもまとめられる、取り込める強力この上ないものになるのです。

 

つまり、メタルは、歌謡曲だ、演歌だ、アイドルだなんだと細分化してしまった日本のポップスの統一理論になりえたのです。全部メタルでいいじゃないか。です。実際驚くほど全部なじむのですね。本当にびっくり。

 

これが楽しくないわけがないです。はい。ライブパフォーマンスとしての力を取り戻したところといい、今後も楽しみですね。YMOがテクノで統一理論だりえたことに続いての中々に面白い現象です。

 

『Babymetal Live at Wembley 』ブルーレイディスク

始まりは木場ストックでした。LadymetalさんというBabymetalのコピーバンドを観たことでした。バンドはコピーといっても、本家同様3人の女性ボーカルをフロントに置いて、その振り付けまで本家そのまんま、という本当の「コピー」バンドでした。

 

還暦前の老人ですが、Babymetalは知っていましたし、いわゆる音楽評論の固定的な評価も耳にはしていました。

 

「まあ、メタルの要素は揃っているよね」

 

木場ストックでLadymetalをライブで体感した僕は、いや、これ、ちょっととんでもないことなのではないかと思ったのでした。Ladymetalさんが本質を捉えたパフォーマンスをしてくれたからです。そうです、僕はコピーバンドを通じて、その本質に気が付いたのです。Ladymetalさんに感謝します

 

Babymetalは21世紀の三味線音楽だ。

 

鶴屋南北近松門下、などなどは21世紀の今にタイムマシーンに乗って来ることができたならば、間違いなく絶対に、確実に本当にこう言うと思います。

 

「だろ?俺たちは最初からこういうのが目標だったんだよ」

 

と、いっても、これは歌舞伎ではないでしょうとは思います。江戸期の三味線音楽は300種類あったとか。その中でも「ダンスミュージック」でしょう。

 

当時も今もダンスミュージックはクローズドな空間で演奏されるようです。屋外でやると「煽り」に押さえが効かないのは今も昔も同じ様ですから、ひたすら面倒を嫌う軍事政権である江戸政権はこうした音楽を屋内でやってもらうようにしたようです。

 

ま、たぶん、屋外でのダンスミュージックは「神様」と供にある種類なので、オープンエアというのは「神様」の領域ですから。神様に捧げる音楽はオープンエアなんですね、たぶん。

 

「神君」という神様以外は認にくい江戸政権は「屋内でやってくれよ」っていう姿勢だったのではないでしょうか。

 

で、ダンスミュージックなので、言葉の制約をあまり受けない。つまり、「国境を越える」種類の音楽なんですね。だって、ノリがすべてですから。

 

ノリがすべてというと、では中身はどうでも良いのかと言えば、逆だと思います。「扇る」ことが言葉になければ、ノリはこの場合生じないのです。

 

Babymetalの歌詞が「案外と中身あるじゃん」と思うあなた、正解です。いまの僕らの生きているリアリティに届かなければ、このダンスミュージックは成功しないのです。

 

ややこしいことを言いますけど、社会性というのは、この日本でも室町以降は「身体性の制限」にあったと思います。人間は移動が結構気楽になおかつかなり柔軟に行えるんですね。だから、色々な制限のうち、「位置」に関する縛りには、はなから自由なんです。

 

封建制から始まる「国家統制社会」は自由な移動を嫌うんですね。だって、「嫌なら逃げる」だと安定しないんです、権力からすれば。東京の一極集中が嫌だと、地方の政権が思うのは「俺こんなムラ嫌だ」で移住しちゃうことができるからです。東京サイグ(東京へ行く)側からすれば「我慢して留まってくれ」という言葉に説得力がない。。。。。つまり政治力ない。。。って事です。

 

で、まあ、クローズド空間に権力によって閉じ込められたようですが、どっこい、そこに落とし穴があったわけです。クローズドなので、政治的なNGに触れることも「クローズドじゃん、民衆を扇ったりしてないよ」で、オッケイになってしまうのです。

 

で、まあありとあらゆるタブーが「クローズド」で演じられるわけですよ、特に江戸期は。

 

で、扇情的なテーマをそのままやっても、少なくとも人間に関する表現を突き詰めてきた作家や演者は「そんなの下品、客をなめてる」って云う感じで、ひたすら表現を磨く方向に突き進んだんですね。

 

だって、現実の方がよっぽどすざまじいのですから、作り事がそれに対抗するためにはめちゃくちゃ作り込まないといけなかったわけです。江戸期は猟奇事件、政治的な大事件、結構な数あるんです。軍事政権の作り出した鬱屈した社会はそうした病理を次々と産み出したんですね。

 

現実の大事件よりも人の心を打つものを作りたい。それが江戸期のクリエイタの姿勢です。

 

で、クローズド空間では楽器奏者はとんでもない数のレパートリーを持っている「絶対間違えない人」になり、フロントの「ダンサー」は一部の隙もない技術を身につけた人になったのです。

 

なぜでしょう。彼らは取締側から「突っ込み」が入らないことを非常に意識したからだと思います。

 

「え?俺たち譜面通りだし、踊りも振り付け通りしかやってねえよ」って。「問題アルならば譜面で指摘してよ、すぐ直すし」。

 

我田引水?

 

いえいえ、そういう「やたらと正確な演奏や演技」は日本の伝統なんです。Babymetalさんは江戸幕府に気を使う必要はありませんから、歌う内容、演奏内容もずっと自由です。はい。ヨーロッパの若者が感じるくらいには。

 

江戸期のクリエイタたちがそうであったように、実際の事件のインパクトに負けない「創作」のために「やたらと正確な演奏や演技」は今なお強力な武器なのではないかなあ、と思いました。

 

はは、へ理屈はともかく、ブルーレイで観る彼らのパフォーマンスはすごいです。演奏はもうどこも突っ込みどころがありません。ひたすらすごい。フロントの女の子3人も酸素ボンベ必要でしょ、のがんばり、でも笑顔満面、で感動的です。

 

しかしまあ、「かごめ」で熱狂コールの英吉利の若者を観て、大久保たち明治政権初期の政治家たちに1時間くらい説教したくなりますね(笑)。

 

外貨獲得できたじゃん、当時だって!英吉利の若者の支持を取りつけられたじゃん、当時だって!誰か、明治政権初期の渡英に、当時の日本最強の「バンド」を連れて行くという、巴里万博よりも早く、ライトノベル書いてください。

 

伊万里とかもよかったけど、やっぱ「文化輸出」は桁違いの外貨獲得をしたと思うのです。はい。

 

Babymetalの音楽、在り方についてはたぶん、ずっとすごい論評がネットにはあると思います。還暦目前のジジイは

 

おお、これ、130年前にできたじゃん!

 

と思ったのですした。いやあ、でもやっぱ彼らはライブ最高ですね。死ぬ前に一度ライブ行くぞ!

 

『恋愛3次元デビュー』カザマアヤミ 著

サブタイトルが「30歳オタク漫画家結婚への道」とあります。まあ、まんがに純粋培養されたような女性が人生の今後に危機感を抱いて、パートナー探しをする、というお話です。

 

目立つエピソードだけを取り出すと、あり得ないようなことですべて埋まっているようですけど、全体からすると普通に通過するようなことを通過し、乗り越えるようなところを乗り越えていったと思います。

 

他人の人生を覗き見する、それを肴におもしろおかしく楽しむというのは、これまた普通にある娯楽ですよね。僕も十分に楽しみました。ただ、ご本人たちが言うほど変っているとは思いませんでした。

 

人は今までの環境から掛け離れたところで何かをしようとすれば、本人もびっくりするような失敗をしますし、その一生懸命さが第三者には笑いの種にもなるでしょう。

 

僕は彼女、作者さんですね、はまんがを仕事にすることで実はすでにすべての準備ができていたのではないかと思うのです。

 

ひとりよがりでは漫画家にはなれませんよね、そもそも。ひとりではまんがはなりたちませんし。商業誌のレベルならば、編集者との共同作業でしょうし、リテイクをくらいまくりながらも「次の手」を作り出して、「注文に応える」ということをずっとずっとやってきているわけですよね。

 

作ったネームがだめでも、他人のせいにして終りってわけにゆきませんよね。次を作り出さないと明日はありませんよね。

 

結婚生活も、生活ですから、次から次に起こることに対して、あれやこれやと次々に手を尽くしてゆくことですから、同じです。他人のせいにできません。ましてやパートナーのせいになんてしたら、

 

そもそもそいつを選んだのは誰だよって、自分に跳ね返って来るだけですから。

 

自分の失敗として受け止め、次を繰り出す。同じです。

 

なんか、漫画家という普通じゃない仕事とか、女子校まっしぐらとか、普通じゃない部分が面白さとして読まれているのならば、それは違うように思いました。

 

それこそ「普通の」会社勤めのひとたちより、ずっと結婚生活に必要なものが鍛えられてきていたのでは、と僕は読みました。彼女はそれこそ読者の楽しみという「目に見えない」注文に応えて来たのですから。夫婦である、パートナーである、という「目に見えない」ものに対する準備は整っていたのでは、と思いました。

 

この作品と同時に、過去にとらわれ、自分にとらわれ、自分も未来も「曲げない」で、苦しい境遇になった男女のまんがを同時に読んだので、こちらのまんががとても健康的に思えたのでした。。。。

 

なかなか良い作品でした。